漢人国家、漢人とは何だろうか

読みづらいのでPDFを付けておく。 
以前紹介したよう東京都立大学に「オープンユニバーシティ」という生涯教育向け(シニア向け?)講座群がある。
その一つである「清朝の歴史と多民族文化(その2)」を取っている(講座は四半期単位で今回は2回目なので(その2)が付いている。1回目も受講)。
内容はとても興味深いが、冒頭、以下の話があり少し違和感があった。
  「清は最後の中華帝国であった。但し、漢人が建国したものではなく特殊である」
 
その理由をまずは帝国と漢人建国の統一国家(王朝)から述べる。
春秋戦国時代や五胡十六国時代は当然ながら対象外として漢人が立てた統一王朝は以下の4つしかない(宋は漢人が建てた国と見做されていない。秦もかなり怪しいと言われている)。①    秦(短命)
②    漢
③    晋(短命)
④    明
この内、匈奴に貢納していたとか、他民族を従えていたのかに疑問符がつくとは言え、帝国といってもいいのは漢のみ。漢人の語源でもある。
明は「明帝国」という呼び方は通常しない。鄭和の遠征や冊封・朝貢体制があったとは言え
海禁政策、北虜南倭で内向き、或いは侵攻される側であった。「土木の変」で正統帝=英宗がエセン・ハン率いるオイラト(モンゴル系)に捕虜になったのがその最もたるもの。
 
一方で帝国(注1)に相応しいのは隋・唐帝国(鮮卑)、モンゴル帝国・大元国(大元ウルス)、及び清帝国であることに多分異論はないだろう。帝国の建設に必要な軍事力は近代戦以前のアジア大陸では騎馬を駆使できる国家/民族である。
これらの帝国は武力だけで帝政を確立した訳ではない。漢の王莽時代あたりに律令の萌芽があったようながら、科挙・律令制が整備されたのは隋唐時代だし、元の駅伝制整備、宋の儒教による徳知主義の整備もある。勿論、人数的に漢人が圧倒的多数なので実務的には漢人の果たして役割が大きいのは確かである。要は上手く人材を使ったということであろう(+漢化されるのはやむなしか)。
 
次は漢人、中華である。
中華思想(注2)の本来の意味は黄河流域の「漢人」が中心ということである。極論すれば、黄河文明の末裔であると言える。或いは、伝説の「三皇五帝時代」を除く、夏・殷・周時代の考えである(夏王朝の存在は遺跡として確認されていない。尚、中華ではなく中夏という用語があり、こちらの方が古いようだ)。従って、長江流域・江南の人々が漢人か怪しい。遺伝子解析によれば、現代の漢人と称する人々のハプロタイプと黄河流域遺跡から出る人骨のハプロタイプはかなり違っているそうだ。嘗て「世界四大文明」という用語があったが、黄河文明と長江文明(河姆渡遺跡が代表)とは独立に併存したことが分かっているので、もう使われていない。
黄河流域と長江流域の人々の融合(混淆)に加え遊牧・騎馬国家の人々の融合も進んでいるので、何を持って漢人というのかは容易でない。
因みに日本に稲作文化を持ち込んだのは、長江流域の人々という説が有力である。
 
少し長くなるが、清朝の特に草創期のプロファイルも併せて列記しておく。
① ツングース系女真の愛新覚羅(アイシンギョロ)氏のヌルハチが後金国創設。
アイシン=金(Gold)。嘗て同じツングース系女真の金国があったので後金と言われる
② 2第目ホンタイジがモンゴルを併合して大清国(大清グルン)を設立。女真⇒満州に変更
③ 3代名フリンが山海関を超えて北京に入城。明を滅ぼした訳でない。農民反乱指導者の李自成の乱により明は先に滅亡。
④ 満州文字はモンゴル文字をもとに作成した表音文字。因みに女真文字は契丹文字+漢字の表音・表意文字の模様
⑤ 公用語は変遷があるものの、満州語、漢語、モンゴル語、チベット語、ウイグル語等の多言語国家
⑥ モンゴルと同じくチベット仏教のゲルク派(ダライラマの派閥)信奉。清の皇帝は文殊菩薩の化身。現在の中国要人にチベット仏教を信奉している人がいる。チベットを弾圧しているのは、あくまでダライラマのいわば王政だから。
⑦ 辮髪は所謂北方民族一般の習俗(モンゴルや契丹などでもある)。辮髪の形は、清時代は前期・中期・後期で違う。日本人は大抵後期のイメージを持っていると思う。
⑧ チャイナドレスは清から来ているのは知られているが、旗人(八旗といわれる満州人の貴族階級)が男女に限らず着用していた騎馬用の「旗袍(チーパオ)」とい丈の長い上着から来ている(下はズボン)。スリットは女性が馬に乗リ易くするためという説をよく聞くが怪しい気もする。貴族階級以外でも同じようなものを着ていて、貴族階級は区別するためにスリットを入れたという説もあるようだ。
⑨ 「満蒙」という用語があるようモンゴルは属国というより対等的・一体的。清の皇帝は満州のハンであると同時に(大)ハーンでもある。清朝は元来、満洲人・モンゴル人・漢人の三者に推戴された王朝で、満州人とモンゴル人が共同して漢人を統治するという趣旨で成立したもの。
⑩現在、中国の内モンゴルとモンゴル共和国は分断されているように見えるが、元から前者はチャハル、後者はハルハと別れていた。尚、満蒙は日本(日本軍?)が作った用語ではないかと思う。満州+内モンゴル(チャハル)を指す。
中国については以下の書籍をお薦めする。
① 『シリーズ 中国の歴史 (全5巻)』岩波新書
② 宮崎市定『雍正帝―中国の独裁君主』中公文庫
③ 興亡の世界史Vol#2, 森安孝夫『シルクロードと唐帝国』講談社学術文庫④ 『中国の歴史(全12巻)』講談社学術文庫
 
注1:帝国の定義
一意ではないが、最も一般的と思われるものをブリタニカ辞典より。尚、ローマ帝国が原型かは異論があろう。ペルシア帝国などもあったので。
「通常は自国の国境を越え多数・広大な領土や民族を強大な軍事力を背景に支配する国家をいう (大英帝国,大日本帝国など) 。その原型は古代ローマ帝国にある。近代においては海外に植民地をもったヨーロッパの列強をさすことが多い。さらに軍事力で広大な領域を支配している国や侵略主義的な大国も帝国と呼ばれる。」
 
注2:中華思想
中華思想とは日本の用語で、本来は「華夷思想」。同じくブリタニカ辞典より。
「中国が世界の文化,政治の中心であり,他に優越しているという意識,思想。中国では伝統的に漢民族の居住する黄河中下流を中原と称し,異民族を夷狄 (いてき) ,あるいは蛮夷と呼んできた。異民族は東夷,西戎,南蛮,北狄に分けられ,この四夷を,中華がその徳化によって包摂しようというのである。この思想は古く周代に始り,以後近代まで連綿として引継がれ,中国人独特の世界観を形成してその歴史や文化に多大な影響を与えてきた。漢民族の優位が確保されている限りにおいては寛容で開放的な博愛主義となって現れるが,ひとたび優位が否定された場合には,きわめて偏狭な保守排外主義の傾向が示される。」
 
                                      (了)
漢人、漢人国家とは何か(池上).pdf drive.google.com

以前の人種、民族についてのものご参考まで。 人種、民族等のあれこれ : Dr.Zombie 人類史・人体史に関する書籍を結構読んできたが、遺物の発見、何より分子考古学の発展により時を経るに連れ説が変わって行くことを感じる。尚、今回は国立科学博物館長である篠田謙一氏(2021)『人類の起源』中央公論者社を読んだのを機に書いている。 サル、次に類人猿から lineblog.me

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