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その人は本当に“人罪”か?

こんにちは。

地方中小企業専門 伴走型 経営コンサルティング『あなたの社長室』室長こと坂東賢吾です。

今日、LINEの上に出るバナーを見ていたらこのような記事がありました。

普段LINEのバナーは「結局宣伝じゃ~ん」ということが多いので、あまりタップしないのですが、クライアントさんに広い意味での教育関係の方もいらっしゃいますし、今回は私自身も小学生の子供がいることもあり、教育には関心があるので思わずタップ。

概要としては、

小学校の校長先生が、児童や保護者の目に触れる配布物の中で
「人財になるための7つの条件に合致しない人は“人罪”だそうですよ」
という内容を載せたことが物議を醸している

とのことたったのですが、私が思うに、この“人罪”は何も小学校だから、に限ったことではなく社会人に対して使うにも適しません。

ちなみに7つの条件とは以下とのこと。

・明るく元気な挨拶ができる。
・言われなくても、自分で考え、行動できる。
・人がイヤがることでも、進んで取り組める。
・常に「どうしたらできるか?」を考える。
・時間をうまく使って、仕事ができる。
・ミスやクレームなどの報告を、すぐにできる。
・人が見ていなくても。手を抜かずに仕事ができる。

確かにこの項目自体は、仕事で成果を出すうえでかなり有効な場合が多いです。

しかしながら、この項目に全く当てはまらない人を
“人罪”と表現してしまうことは間違っているように思います。

性格と仕事の適正に相関がありそうだというのは、確からしい(例えばビッグファイブ理論など)
とは思いますが、性格の違いがそのまま人としての優劣ではないですからね。


極端なことを言うと、
誰とも話さず、気分で仕事をして、身の回りのこともだらしない、誰とも相談せず、突然作品を発表して、でも出来上がった作品は最高の芸術家がいたとして、その人は本当に“人罪”か?ということです。
(ここでタイトル回収ですっ)

むしろそのような特性の人で、歴史的にも極めて高く評価されている人たちは数多くいます。

もっと現実的な例でいきますと、
発達障害(この言葉もあまり好きではないですが)をもっていて、たまたま7つの条件が全て不一致だった人は“人罪”か?ということです。

7つの条件は単純に、会社の中で成果を出したり、他者と協働するのが苦手な人。というだけです。

成果が出ない人や人件費に見合わない人を雇用し続けることは経営者にとって大変たいへん頭の痛い問題であることは間違いないのですが、

罪という言葉で人格否定を想起させるべきではないと私は思いますし、元々の研修や雇用という観点で言うと、
どうしても業務内容や求める成果と合わない、教育コストをかけてもその期待値には届かないならば双方合意の上で会社を去るかどうかを決めていくしかないわけで、それだけでは罪でもなんでもない。
(故意にサボる、会社の備品を盗むとかはダメですよ!!)

本人なりに頑張っているのであれば、
むしろ結果的に自社に合わなかったその方を雇用し人生の時間を使わせてしまったのに残念なことになって申し訳ない、
という気持ちを、雇用する側としてはできれば持っておきたいものですね~。

少なくとも、
「お前はいるだけの人存か?マイナスの人罪か!?はぁん!?」
なんて態度は、やめましょうね。。
今回の校長先生はそこまでの意図はなかったとは思いますが・・・

今日もお読みいただきありがとうございます。