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生きている証

最近良く考えることがある。


「なんで自分は生きているんだろう」
「生きている意味は一体なんなのだろう」


家族のため?
自身のやりたいことを成し遂げるため?
はたまた、今の自分では出しえない答えが他にあるのだろうか?

答えのない問い。
考えても仕方のないこと。

グルグルグルグル。
そんなことを最近は無意識のうちに考えている。



人は生きる価値を見出すために生きているのだろうか?
だとしたら僕はまだまだ価値を見出せていない。



焦る。



30歳。
世間で言えばもうそこまで若いと言われる歳でもなくなってきた。

新卒の時は「若いなぁ〜」とチヤホヤされ、周りがキラキラして見えた。

僕の人生これからだ!
何が起きるか分からない、自分の思うままにやりたいことをやってみよう。
きっと楽しいことの連続だ!



だが、そんなに世間は甘くなく、自身の無力さに打ち拉がれる。



何をやっても三日坊主。
仕事ではミスばっかり。
休みの日はグータラ。何もしない。


それでもきっと何か自分にとって良いことがいつか舞い込んでくると信じていた。



しかし、そんな物は一向にやってこなかった。



なぜか。
答えはシンプル。



何もしていないからである。



甘えていたんだ。



何もしてない奴のところに一体どんな幸運が舞い込んでくるのであろうか。

もっと早く気づけば良かったのだろうが、
恥ずかしながら25歳の頃にようやく自身の考えの甘さに気づいた。



傲慢・鈍感も甚だしい。



その頃からだ。
自分の存在意義を考え始めるようになったのは。


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自分は今までに何人の人に「ありがとう」と言ってもらえるようなことができただろうか?

これから何人の人に「ありがとう」と言ってもらえるようなことができるだろうか?


これが今、自分が生きるための原動力になっている。


それが正解なのかというとそんなことは分からない。

ただの自己満にすぎないかもしれない。
そう「考えている」と言った方がしっくりくる。



最近見つけた、かの有名な詩人の相田みつをさんの詩集にこんな言葉がある。

どのような道を歩くとも、
いのちいっぱいに
生きればいいぞ。



悩みながら生きていくのが人間という生き物。


ぼくはそう捉えた。

正解なんて物はきっとない。

一生懸命に、自分の決めた道をゆっくりでいいから歩んでいくこと。

正解を探すから苦しくなってしまうのだ。



ただ、分かっていながらやっぱり考えてしまう。

kengkengという人間はこういう生き物なんだ。


きっとこれが僕が生きている証なんだと自身に言い聞かせる。


グルグルグルグル。頭の中をモヤモヤした物が駆け巡っては、忙しい日常へとまた意識を戻す。
生きている証を求めて。



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