見出し画像

玉手箱の箱の中身

僕はよく、どうでもいい事を想像したり一人で哲学する事が趣味なのですが、今回はその「どうでもいい事」の中の一つについて書いてみたいと思います。

子供の頃に誰でも桃太郎やカチカチ山などのおとぎ話やグリム童話などに触れるかと思いますが、小さい時なんかは子供ながらにワクワクしたり、そこから読書などに興味を惹かれていく方も多いかと思います。
ふと最近、大人になった私は考えたのですが、意外とおとぎ話って子供の頃は気にならなかったけど、大人になって改めて考えてみると意外と深くまで掘り下げられる部分があったりするものだなと思いました。

「浦島太郎」の結末で…

例えば浦島太郎のお話の中で出てきた「玉手箱」の存在が気になってしまって思考を巡らせる機会がありました。

何故、乙姫は彼に玉手箱を渡したのか?
箱を開けた時のあの煙は何なのか?

子供の頃はあまり考えなかった部分です。

そもそもで、まずこの「浦島太郎」と言うお話ですが皆様ご存知のストーリーはこんな感じですね。

亀を助けた報恩として浦島太郎が海中に連れて行かれ、龍宮(竜宮)で乙姫らの饗応を受ける。帰郷しようとした浦島太郎は、「開けてはならない」と念を押されつつ玉手箱を渡される。帰り着いた故郷では、龍宮で過ごしたと感じたより遥かに長い年月が経っており、失意の余り玉手箱を開けてしまった浦島太郎は、白髪の老人に化する。 (wikipediaより抜粋)

また、浦島太郎のお話自体は『日本書紀』『万葉集』『丹後国風土記逸文』などの文献に記述が残っており、それぞれ設定や名称は個々によって違うそうです。

玉手箱の中の煙は何だったのか?

ここからは完全に僕個人の意見にはなりますが、結論から言うとあの煙は本来浦島太郎が地上で過ごすはずだった「時間」と言う概念・存在そのものだったと思います。これは箱を開けた瞬間に彼が老人になった事でも明らかですが、「玉手箱」と言う言葉を調べていく中で「軽々しく開けてはいけない大切な箱のこと」とあります。と、言う事は「時間」と言う物は箱にしまって(丁重に扱うべき)物であり、「軽んじてはいけないよ・大事にしましょう」と言う崇高な物だと言う意味でもあります。
また、おとぎ話の中で宝物が出てくるお話がいくつかありますが、それらは大抵(これはたぶん想像やイラストを書いている人によって違ってくるかもしれませんが)箱の中に入っていたりしています。
これは言ってしまえば(箱に入って扱われている物)「お宝」=「時間」と同価値であり、昔からよく言われている「時は金なり」と言う概念にも通ずる所ではないでしょうか。

乙姫が玉手箱を渡したのは何故か?

では、何故竜宮城の乙姫が彼に玉手箱を渡したのかと言う部分ですが、僕個人が思うにそれは「玉手箱と言う存在が浦島太郎にとっての現実だったから」だと思います。
これはどう言う事かと言うと、時間とはどんな事をしても過ぎていくものだし、それを無視する事はできません。お話の中で浦島太郎は龍宮城で楽しい時間を過ごしますが、そう言っても地上での時間だって流れていきます。
また、亀に連れられてくるのだって不思議なのにそこには美しい姫が居て…って言うんですからまるっきり現実なわけがないですね(笑)。
だから、龍宮城とはある種異世界なわけで、そこでの時間軸が現実の世界と同じと言うのは少し考えにくいですね。
ですから、せめて本来浦島太郎が過ごすべきはずだった時間を玉手箱と言う形で乙姫は彼に返したのではないでしょうか。

本来、個人が持つ時間=人生の一時一時とは各々が持っている物であり、他人には他人の時間が存在しているだけです。だから、「浦島太郎の時間と言うのは浦島太郎本人だけの物なので、龍宮城に置いていく事はできない」とも言えるわけです。

おわりに

ここまでざっと話してきましたが新たに疑問に思った事として、玉手箱を返した乙姫側としてはあれだけ念を押していたにも関わらず浦島太郎が玉手箱を開けることを知っていたのでしょうか。そして、経ったはずの年月がどれほどかまで確実に知っていたのでしょうか。

色々考えを巡らせると、既に知っているはずのおとぎ話もまだまだ面白い部分がありますね。

サポートで頂いたお金は今後の活動や自己投資のために使わせて頂きます。もし私の記事をご覧になって頂き、少しでもイイなと思ってくださったら、サポートをお願いいたします。