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「ありがとう」と言われることを期待している自分

ありがとうの向こう側


‘ありがとう’について

“嫌われる勇気”という本を通じて、私は次のような視点を考えました。

それは「’ありがとう’をもらいにいっている自分がいるのでは?」という視点です。

「’ありがとう’をもらいにいく」とは、自分自身の心の状態について考えた時に生起してきたものです。他者から認めてもらいたいという自分自身の欲求から発生していることに気付きました。それは承認欲求のことです。

以前、学生さんに「介護の職場のいいところはなんですか?」

と聞かれたことがありました。当時の私はこう答えました。

「’ありがとう’が溢れているところ・・・仕事として当たり前のことをして、こんなに感謝の言葉を頂くことができるところはないよ・・・」と

現在も’ありがとう’が溢れています。’ありがとう’の一言で救われている自分がいます。

こうした’ありがとう’という感謝の言葉が溢れているところは、介護福祉施設の良いところの一つだと考えています。

そこで、この’ありがとう’について考察してみます。

“嫌われる勇気”は今の私に大きな影響を与えている本の一つになります。アドラー心理学について書かれている本です。青年と哲人の対話が展開されていきます。

“嫌われる勇気”アドラー心理学では「承認欲求」を否定しています。そして、「貢献感」を持って自分のできることに目を向けて取り組んでいくことを勧めています。

本を読んで衝撃を受け、心が楽になったことは事実です。しかし、日常生活の中での実践は難しく感じています。

「承認欲求」について

""他者から承認してもらおうとするとき、ほぼすべての人は「他者の期待を満たすこと」をその手段とします。適切な行動をとったらほめてもらえる、という賞罰教育の流れに沿って。しかし、たとえば仕事の主眼が「他者の期待を満たすこと」になってしまったら、その仕事は相当に苦しいものになるでしょう。なぜなら、いつも他者の視線を気にして、他者からの評価に怯え、自分が「わたし」であることを抑えているわけですから。・・・""

「嫌われる勇気」 著者 岸見一郎 古賀史健 発行所 ダイヤモンド社より引用

サービス業において、他者の期待を満たすことは大変重要な要素であり、そこから結果がでると考えます。例えば、ある商品を作るときに他者の期待、ニーズを分析し、応えていくことが重要ですし、利用者の期待に添った支援という視点は欠かすことはできません。

ここで考えていくことは、自分自身の心の状態です。自分が何を求めているのかということです。

支援の方向性、実際は利用者の方のニーズ、期待に添ったものであるべきです。

しかし、私がなにかアプローチをした時、利用者の方がどのように感じるかは、私がコントロールできることではありません。

「ありがとう」をもらいにいってとれなかった時、すなわち、承認欲求を満たすために行動をとって承認されなかった時に私はどんな気持ちになるのでしょうか?

26年前の介護実習での出来事


自分自身の「心の状態」を分析してみたいと思います。

今でも、鮮明に覚えている大学3年時の介護実習の時の出来事です。

昼食中にお茶をついでまわりました。「ありがとね」と次々と言われて調子に乗っていました。

そして、「お茶いかがですか?」とある利用者に声掛けをした時、厳しい顔でこう言われました。

「飲んどるじゃないの!!!」

私は、悲しい気持ちになりました。

今になって分かります、「ありがとう」をもらいにいってもらえなかったから、あんな気持ちになったんだと・・・

承認欲求を満たすことを主眼にすると苦しくなっていくことは明らかです。

「利用者の方の期待に応えたい」という想いは当然ですし、大切な視点であると想います。実際にそこにこの仕事の醍醐味があるとも考えています。

重要なのは、自分自身の心の状態が「承認欲求」なのか、「貢献感」なのかということです。

視点が似て非なるこの状態は、自分自身の課題であります。

課題の分離


""自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」,それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたはどうにもできない話です。""

「嫌われる勇気」 著者 岸見一郎 古賀史健 発行所 ダイヤモンド社より引用

課題の分離について、哲人が青年に語っている一節です。ある事象について、それが自分の課題なのか、他者の課題なのかについて考え、他者の課題については介入、思案しないということです。

課題の分離について、ある国のことわざを引用していました。

「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を呑ませることはできない」

""父は晩年に病気を患い、最後の数年間はわたしや家族による介護が必要になりました。
そんなある日、いつものように介護をするわたしに、父が「ありがとう」といいました。父のボキャブラリーにそんな言葉があることを知らなかったわたしは大いに驚き、これまでの日々に感謝しました。長い介護生活を通じて、わたしは自分にできること、つまり父を水辺に連れていくことまではやったつもりです。そして最終的には父は、水を呑んでくれた。わたしはそう思っています。""

「嫌われる勇気」 著者 岸見一郎 古賀史健 発行所 ダイヤモンド社より引用


アクティビティ・サービスの研修から

アクティビティ・サービス・コーディネーター資格研修のなかで生活支援学を研究されている黒澤貞夫先生のお話を聴く機会がありました。

自己実現について、強く印象に残ったお話を紹介します。

生活支援において、利用者の自己実現は直接的に支援できるものではない。

なぜならば、自己実現とは、その人本人が想い、自ら発信、行動をしていくものであるから・・・

前記のことわざで考えれば、アクティビティ・サービスにおける生活支援は水辺までいくことができるように支援すること、水辺が視野に入るように支援をすることと私は、理解しました。

課題の分離という観点が、アクティビティ・サービスの学びと繋がりました。

私ができること

日々、利用者の方の反応をみながらアプローチをしています。レクリエーションプログラムなんかもそうです、楽しんでいただけたら・・・と思い試行錯誤します、自分が「良かれ」と思い実施します。でも、その結果はコントロールできません。

大切なことは、私の視点、心の状態であると言えます。

‘ありがとう’という素敵な言葉

その言葉を大切にしながら・・・

「ありがとうをもらいたい!!」という思いの向こう側へいく視点が必要ですし、そこに、この職の醍醐味があると思っています。

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