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「挑戦者のつもり」ではなく「挑戦者」

「挑戦者のつもり」
この言葉、ちょっと苦手なんです。

そういっている時点で挑戦者になってないんじゃない?挑戦を受ける立場にいるから、それじゃいかんみたいな前提になってないか?

というか。
実際にこの言葉に含まれる意味は当事者しかわからないこともあります。

勝敗はやってみなくてはわからない部分は確かにあります。とはいえ、過去の対戦成績とか色々な要因によってなんとなく立ち位置をつくってしまうのも事実。それが裏目に出ることもあるけれど、そのことが心の余裕を生み出していることもある。

ただ、当然相手だって色々な策を講じてくるわけですね。これまでの対戦などから色々な情報を収集してそこを越えるための作戦もある。

そういうこともわかっていて、奢ってはいけない、「挑戦者のつもりで臨もう」なんでしょうけれど。もうちょっと違う捉え方でもいいんじゃないかなと感じます。試合中だと「もういちど、0対0のつもりで」というのも。

何に挑戦していて勝利を目指すのか

勝利をつかむことこそが挑戦、ならばそれでもいいかもしれない。

ただ、難易度とモチベーションの関係性もあります。容易だと思ってしまったことに対してのモチベーションは維持しにくい。

勝つことももちろん目的ではあるけれど、その先に、あるいはその過程で何に挑戦を設定していくのか、そこは大事なんだろうと思うのです。

これをやって勝利を目指す
このプレーの成功率を〇%

などといったチャレンジがあると「挑戦者のつもりで」なんてこともなく、「挑戦者」。

ただ、そういうことだけが全面に出過ぎると、目の前の相手を蔑ろにしてしまうことにも繋がりかねません。そう捉えられることもあります。

友人が、「勝つ、負けるじゃなくて互いに試合をつくっていて、『相手がどんなことを仕掛けてくるか、それにどう対応できるかチャレンジしていこう』」という話をしてくれたことがあります。勝ち、負けを目指す中だからこそこの心持ちも必要だと思うんですよね。

ちょっとまとまりが悪いですが。







読んでいただきありがとうございます。日々の雑感やスポーツ、運動にまつわる数字を眺めてまとめています。普段はトレーニングサポートや講義を行なっています。