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浅めの情報過多?

自分の形を知る

専門学校の講義。昨日は体育館での実技、今回はトレーニングでした。
もちろんただひたすらにやる、ではなく色々と考えてもらいながら。
フォームがうまくできないと、柔軟性や「バランス」といったことを考えてしまいがちだけど、それより前に

自分の動作を認識できているか?

ということに目を向ける必要がある。自分で行っているつもりの動作を実現できていない、その中で指示を受けてもズレが大きくなる。難しいアプリなんか使わなくても、見るだけで気付くことが沢山あるので、まずは撮影から。頭のイメージ通り動かせている人は少ない。もちろん映像見なくても感覚を理解できて修正できたら言うことないけど。これだけで改善できることもある。「求める形を伝える☞自分の形を知る☞気付く☞修正」その上で局所的な課題やイメージの問題が残る。

繰り返しの功罪(留意点?)

何年も同じ講義を繰り返していくと、自分にその意識がなくても先回りをして教えすぎている部分はあるんだろうなぁと思うこともある。表面上はうまく進むけど、そのことが相手に対して疑問を抱く機会を奪っている、、ことにもなる。よく質問が出そうなところをあえて残すことができるか。。。

繰り返し伝えていく中で自分自身の知見も増えていく。そうすると内容をバージョンアップさせたり改変させることもある。このことを伝えたい、もっとこういう表現で、、、、と思うこともある。これもまた、受け手を置き去りにしてしまうことに繋がっているかもしれない。

浅めの情報過多

良い資料ができた、うまく説明できたと思ってもすっきりしない感じがある時にはそれが原因かもしれない。もしくはそこに熱を忘れたか(「芸人先生」の影響、、か?)。。。。。。接している時間以外でも考えは深まったり、理解が進むこともある。大事な芯は外してはいけないけど、枝葉はうまい塩梅で。。トレーニングと同じですね。なんでもそうか。

講義をする側は何回も繰り返しているけれど、受け手は初回

チームでトレーニングに関わっていてもこれはありますね。こちらはずっと関わっているからバージョンアップさせたくなるけど、生徒は入れ替わるし同じだけの能力で入ってくるわけではないからそれを間違えたらただの自己満になる。。


読んでいただきありがとうございます。日々の雑感やスポーツ、運動にまつわる数字を眺めてまとめています。普段はトレーニングサポートや講義を行なっています。