見出し画像

「大型化」、「お家騒動」、、~大相撲の歴史を覗く-3~昭和(戦後)期までの幕内力士の体格と気になる話

大相撲調べ第3弾です。昭和(戦後期)ということで、実際に現役時代の取組を見たことのある力士がどんどん出てきて、隠れたエピソードなどをついつい読んでしまう、、、そんな時間でした。力士数も多いため、入力に時間かかりました。過去の記事については目次よりとんでみてください。

・出典

「大相撲力士名鑑令和二年版: 明治から令和までの歴代幕内全力士収録」
https://www.kyodo.co.jp/books/isbn/978-4-7641-0716-8/

・掲載力士数

明治:92名 ・ 大正:69名 
昭和(戦前):145名・昭和(戦後):324名

*昭和(戦前)の力士数は前回投稿時から増えています。これは入力の際に3名分飛んでいたためで、今回追記したためです。したがって、下記のデータも前回と少し異なっている部分があります。

・身長、体重

明治―昭和戦後まで(1)

明治―昭和戦後まで(2)

全力士のデータをみると一段と大型化しているのがわかります。どの番付においても言えることなんですが、その中で横綱については他よりもあまり変動が大きくない印象を受けます。面白いです。

・BMI

明治―昭和戦後まで(3)BMI

BMIでみると横綱は大きく変わっていないことがさらに確認できます。大型化はしているけれど、あくまで身長と体重のバランス?という部分ではあまり変わっていないということになります。

もう少しBMIを掘り下げてみると、以下のようになります。最初のグラフはそれぞれの年代での該当人数。2つ目がそれぞれの年代の中での割合。今回の昭和(戦後)期で割合も随分変わります。

明治―昭和戦後まで(3)BMI-2

明治―昭和戦後まで(3)BMI-3

・BMIが84.8!!

そんなBMI上昇年代(?)には、84.8!という驚愕のBMIを残している力士も出現しています。小錦関。「黒船来襲」と呼ばれるほどの活躍をしましたが、膝の怪我などもあり番付は大関まで。183㎝・284kgという体格。活躍が記憶にある方もおおいのではないでしょうか。ちなみに四股名の「小錦」はWikipediaによると6代目だそうです。

・引退、廃業後

これまでにも多くいましたが、プロレスに転向する力士や料理店を開いた方がさらに多くなって気がします。全体の人数が多いので、その影響かもしれませんが。

・内臓疾患

内臓疾患に悩まされた、またそれが原因で亡くなったという記載も印象として残ります。

・兵役、戦争経験

実際に戦地に赴いたという記載も出てきますね。

・誤記載がそのまま四股名に

海乃山関は本来、「海力山」と名乗る予定だったのが誤記載によってこの四股名になったそうです。

・トンガ力士騒動(1976年)

跡継ぎ問題から発展した事件。大相撲独特のしきたりもそこにはあるのかもしれませんが、結果的に将来を嘱望されていた力士たちが追われてしまう結果となってしまいました。


・大相撲の不祥事

上記のリンクもこちらの1ページになります。名鑑には記載されていない様々な不祥事や事件もこちらに記載されています。しかもこれで「厳選」されたものという。。。

・ツラ相撲

「連相撲」と書くようです。勝ちや負けが連なるということで、連敗や連勝が多いことを指すようですね。

・あとがき

残すは平成年代。令和は編集時点で5名のみなのでもう一息です。他にも出身地などいくつかのデータを並行して記録しているので、そういったものも含めるとあと何回かになりそうですね。知っているようで知らないことはいつもたくさんあります。

出身地が近いということで、千代の富士関を家族で応援していた記憶があります。お盆に墓参りに行くときに、いつも記念館の前を車で通っていましたね。

・過去の記事-1  :明治・大正年代

・過去の記事-2:昭和(戦前)


読んでいただきありがとうございます。日々の雑感やスポーツ、運動にまつわる数字を眺めてまとめています。普段はトレーニングサポートや講義を行なっています。