見出し画像

雑然帳

頼まれごとの温度差

何かしらの相談を受けることは、比較的ある。それに対して、回答したり場合によっては積極的に関わりが増えていく場面もある。

自分が前のめりになると、頭の中で色々広がっていく。
こんなこともできたらいいね、これはいい、もっとこうしよう

他方、相談した側には話が進むにつれて色々な課題も表面化してくる。
直接的ではないが、障壁となることもあるよね。

そういったところで互いの立ち位置がいつの間にかズレていく。
最初は気にならないくらい、そしてそれはそれぞれで解決していく話だから、、といったことがだんだん大きくなっていく。

いつのまにか「そんなつもりじゃなかった」「そこまでじゃない」なんてことにもなる。

良かれと思った提案も相手にとってはストレス、雑音にもなっていくんだろうね。

誰かの日常にお邪魔して非日常が成立する

1.5-2時間くらい運動してご飯を食べる。
時にちょっと贅沢をして、食費がドンと跳ね上がることもある。
三崎口、城ヶ島まできてもやってることはあまり変わらない。
自分にとって体を適度に動かすということが結果として充電であり、どこかでゆっくり過ごすという域には達していないらしい。

普段と違うところで非日常を求める。

しかし、そこには確実に誰かの日常がある。観光が基盤産業だとしても、それぞれの生活の下に観光も成立する。
観光客もそこが観光地であることを支える要因だけど、特権を与えられたわけではない。

観光地価格はそれらを支えていくものでもあると思う。味や量に加えて、その要素があると考えている。

自分の武器

自分にとっての強みが何か、自覚しているものは何かしらあるけれど正確に把握できていないこと、とても多い。

もちろんその武器を用いながら戦うというのは理にかなっていること。
苦手なものを前面に押し出していくのでは、望む成果を得られないことにも繋がりかねない。

でも、武器を前面に押し出すのか、その武器はしっかり持っているけれどそれを懐に忍ばせていくのか。

トレーニング指導者としての強みが、トレーニング指導している場面で最大限発揮されること。それはとても大事で必要なこと。

発揮しなくてはいけないもの。

ただ、怪我の場面に遭遇した時、あるいは全然違う場面でも出ているのかもしれない。

だから、
「トレーニングはわかるけれど怪我のことはわからない」
なんてのはもったいない。
その世界から見えている景色がある。

でも見えているのはその視点からだけかもしれない。それが全能ではない。

「自分の強みを知らない方がいい」
秋元康さんがラジオで語っていた言葉。これはオーディションに臨む際のアドバイスとしておっしゃっていたこと。
詳細は割愛しますが、これは今の自分になにか響いた。

がむしゃらにやっているうちに、自分らしさや強みが発揮されているのかもしれない。


今回はここまで

読んでいただきありがとうございます。日々の雑感やスポーツ、運動にまつわる数字を眺めてまとめています。普段はトレーニングサポートや講義を行なっています。