「和歌山カレー事件の犯人は、林眞須美の長女だったのでは…」という憶測が流布している件について
林眞須美死刑囚の長女が自殺したことを伝える報道が飛び交っている。そんな中、「直前に林眞須美が行なった再審請求と何か関係があるのでは…」とか「実は長女が犯人だったのでは…」などと憶測をする人がネット上で散見される。
それも眞須美死刑囚の冤罪を疑う声が増えているからだろうが、結論から言うと、そういう憶測はまったく見当はずれだ。しかし一方で、そういう憶測が流布する原因は察せられるので、そこまでさかのぼって説明したうえ、誤りを正しておきたい。
(※下の画像は、林眞須美死刑囚の著書「死刑判決は『シルエット・ロマンス』を聴きながら 林眞須美 家族との書簡集」(講談社より2006年初版発行)の表紙。タイトル上の写真も同じ)。
長女犯人説が流布した事情
まず、眞須美死刑囚の長女がカレー事件の犯人であるかのような憶測が流布するのはなぜなのか?
以下2つの事実が憶測のもとになっているのだと思われる。
この2つの事実に基づき、「カレー事件の犯人は、実は林眞須美の次女で、林眞須美は死刑になってまで次女をかばっているのでは…」などと憶測する人は、10年以上前から存在した。
そしてこの「次女犯人説」がネット上などでまことしやかにささやかれたことにより、「真犯人は眞須美の子供だという説があるらしいね」などという少し曖昧な形で広まった。
そんな中で今回、よりによって眞須美死刑囚が新たな再審請求を行った直後というタイミングで、長女が「自殺」とみられる亡くなり方をしたため、「実は長女が犯人だったのでは…」などと憶測する人たちが現れたのだ。
情報というのは、広まる際に色々尾ひれがつき、いつのまにか最初とはまったく異なる話に化けることはよくある。これはその顕著な例の1つだろう。
(※下の画像は、民家のガレージ。撮影・修正は筆者による)
ちなみに次女も犯人ではない
さて、ここまで読み、「長女が犯人ではないということは、次女が犯人ということか…」とか、「林眞須美の弁護人は裁判で次女が真犯人だと主張していたのか?」などと別の憶測をする人もいそうだが、それも間違いだ。
なぜなら、上記した「カレーの鍋が置かれた民家のガレージに、被告人が一人でいて、道路のほうをしきりに気にしながら、カレーの鍋のフタをあけるのを見た」という目撃証言に出てくる「カレーの鍋」とは、「現場に2つあったカレーの鍋のうち、ヒ素が入っていなかったほうの鍋」のことであるからだ。
つまり、この目撃証言に関しては、「カレーの鍋のフタをあけたのは、本当は林眞須美なのか? それとも次女なのか?」という問題以前に、「そもそも、ヒ素の入っていないカレーの鍋のフタをあけたことが不自然な行動と言えるのか?」という問題も存在するということだ。
これは、眞須美死刑囚の裁判で確たる有罪の証拠が存在しなかったことを象徴するエピソードでもある。
有罪の証拠とされた目撃証言が実はむしろ無罪の証拠になりえる理由
ここで、もう1つ大切なポイントがある。それは、次女と眞須美死刑囚が裁判で、それぞれ次のような証言をしていることだ。
一読しておわかりの通り、この2人の証言が事実であれば、眞須美死刑囚はカレー鍋の見張りをしていた間、ずっと次女と一緒にいたので、鍋にヒ素を入れることはできなかった――ということになる。
そして、目撃証言者が見た「カレーの鍋のフタをあけた人物」が本当は眞須美死刑囚ではなく、次女なのであれば、この目撃証言は有罪の根拠にならないばかりか、むしろ眞須美死刑囚と次女の証言を裏づける無罪方向の証拠であると解釈できるのだ。
そして実際、その他の事実関係も総合的に検討すれば、この目撃証言はそのように評価するのが妥当なのだが、そのことを説明すると話が長くなるので、それはまた別の機会にしたいと思う。
ともかく、カレー事件の犯人は長女だったのではないかという憶測も、次女だったのではないかという憶測も見当外れなので、事実関係が正しく理解されて欲しいと思う。
林死刑囚は、4人の子供への愛情は持っている。しかし、いくらなんでも死刑囚になってまで娘をかばいたいと考えるほどに子供思いではない。
(了)