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「ダサい」と「カッコいい」は紙一重

死なば諸共
そんな綺麗事
頭を垂れろ
幼稚なおままごと
ただの独り言
あいつが悪い
自分は悪くない
無いものねだり
だるいだる絡み
しがらみ
全部無くしたい
心から笑いたい

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音楽活動を続けていると
当たり前だけど、
触れる音楽の数が増える。
その中には、カッコいいと
感じるものもあれば、
ダサいと感じるものがあるのは
自然のことだと思う。

好みの問題が大前提として(ここ大事)
歌詞がダセェとかクセェとか
皆が同じコードでつまらんだとか
また丸サかよとか
誰々のパクリだとかなんとか…
ついつい文句を言いたくなるのが
音楽陣の悪いところだ。
自分も気をつけているつもりだが
それでも無意識に文句ばかり、、、
口を開けば文句を言ってる自分、、、
本当に良くない(笑)

音楽を知れば知るほど
音楽陣の思うカッコいいと
世間の思うカッコいいには
微妙にズレがあるように感じる。

そのズレと向き合うのか
我が道を行くのか
選択を迫られるわけだが、
邦楽のトップシーンで
実績や名を残している人は
そのズレと向き合っているんだと思う。
本当はもっと違う音楽をしたいのに、
世間の需要に合わせて音楽を作っている
なんてアーティストも、多分結構いる。

そんなの音楽じゃねえよ。
「音」を「楽しむ」と書いて
音楽だろうがっ!!
自分のやりたい音楽で売れるんだよっ!
って、売れてないやつほど言う気がする。
(悪いとは言ってない。尖ってて素敵やん?)

10代の頃、父親から教えられた
「自由と身勝手は違う」
という言葉がある。
自由とは制限の中にある。
制限を超えた自由はただの身勝手だと。

個人的に、この言葉が全てだと思う。

音楽は言ってしまえば商売だ。
この言葉を嫌うアーティストも多いが、
事実、日本で音楽をするなら
商売は切って切り離せないだろう。
音楽事務所にとってアーティストは商品だ。
事務所は商品がより売れる為に、
作戦を考えているのだ。

例えば食材自身が
卵「私、オムライスになりたい!」
と言っても
作り手「そんなもんは流行らん。
時代はパンケーキだ」
と言うわけだ。

じゃあその卵はどうするか。
それでも作り手を無視して
ポムの樹に飛び込むのか。

パンケーキと決められたら
パンケーキなりに、
なるべく膨らんでやろうとか、
風味を出そうとか
そういう方向に思考を動かすべきだ。
そうやって美味しく
食べてもらえるのがプロなんだ。


卵の賞味期限と、音楽の消費期限は同じだ。
「いつかパンケーキにしてもらえる」と
「いつか自分の音楽が評価してもらえる」
は同じだ。

そう思うと、今まで「ダサい」と
感じていた音楽が「ダサい」と
感じなくなった。

だって自分より上にいる人達だ。
僕なんかよりもっと沢山知識がある上で
沢山の制限がある中で、
沢山の曲を作って、悩んで、苦しんで、
これだ!って完成させた音楽だ。
僕がそれを「カッコいい」と
思える次元にいけてないだけなんだ。
その過程を考えれば
「ダサい」曲なんてない。

最近、僕が特に強く思うのが
人生は思ったより短い
という事だ。

曲を作ることは命を削る作業だ。
短い人生・時間の中で、
何を表現するのか。
制限がある世界で、
どう自由を体現するのか。

数年前に親父が言ってた言葉が、
今の自分の苦しみや悩みの答えだった。

少しだけそう思えた時に、
音楽を聴くのが久しぶりに楽しいと
感じる事ができた。


この業界に長くいればいるほど、
世間一般でいう
「奇跡」
なんてものは存在しないと痛感する。
「奇跡」に見せているのは事務所で、
アーティストはそれを掴む行動や
努力をしている。
夢のない話に聞こえるかもしれないが、
それはむしろ逆。

業界の外から「奇跡」に見えるものは
業界の中での「行動や努力」で掴める。
コネや大きなお金の力が
無いとは言い切れないが、
仮にそういうものがあったとしても、
それを掴む努力をしない人に
チャンスは来ない。
夢は見るモンじゃなくso かなえるモンでしょ?
ってやつだ。
だからかなわない夢なら夢とは言わない!!
ってやつだ。
努努と書いてゆめゆめだ。



たらたらと話の主軸から
脱線しながら書いてきたが要は、

売れる為の曲を作る。
ズルして売れる。
長いものに巻かれる。

などなど…

およそ音楽陣のほとんどが嫌う
言葉を僕は否定しない。いや、できない。

そういう文句は売れてから言えばいい。
でも事実売れてる人が文句を言わない。
それが答えじゃなかろうか?



いかがかね?




少なくとも僕はポムの樹で
使って貰えず腐っていく
卵にはなりたくない。



自分の音楽は好きだ。
ライブを見たり、
音源を聴いてくれたりする
周りの人がそれを
評価してくれることも多い。


でも業界の外に出て、
流しで演奏をしたりしていると
「もっと明るい曲をやれ」
「歌うの難しそうな曲」
「売れたいならTikTokで流行る曲やで」
みたいなことを言われる。

それはきっと事実だ。
内の「良い」より
外の「良くない」の方が
きっと正しい。

これは何事でもそうだ。
自分のモノサシで物事を測って、
「俺はこれでいい」と思うのは身勝手だ。


自分の為だけに音楽をするなら
それでいいのかもしれない。
でも誰かの為にって言葉を使うなら、
一度でも口にした事があるなら
身勝手な音楽は決して許されない。
少なくとも僕は許さない。


尖る方向を間違えてはいけない。
みんな心の中では薄々気づいている。

でも今までの経験やプライドや
自分の積み重ねてきた事を崩す勇気がない。
でもそのままじゃいつまでも変われない。





だから僕は、2023年のKenは、
「ダサい」と「カッコいい」の両立
に挑戦しようと思います。

これまでの僕の曲は
よく言えば綺麗でまとまりがある曲。
悪く言えばカッコつけた小難しい曲。

そう自己分析して、
もう少し「等身大の自分」に挑戦したい。
「ダサい」自分も表現してみたい。
ラブソングも恥ずかしがらずに沢山書きたい。
終わった恋や引きずった恋ばかりじゃなくて
始まる恋や片思いの恋も書きたい。

今、自分が「カッコいい」と思う音楽に
少しずつ「ダサい」をスパイス的に注ぐ。
それが人間味になり、親近感になり
共感に繋がればいいなと思います。



年が明けてから
いい曲・いい詞、沢山作ってます。
バンドも弾き語りもそれ以外も。


今年も精一杯、音楽活動頑張ります。
気づかせてくれた
大切な人や仲間のために。
そして、応援してくれるファンの方のために。



今年もcallslowと
Ken Ikezawaを
どうかよろしくお願いいたします。

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