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住み続けたいひめじ

普段「姫路最高!いつまでも住むぜ!」なんて地元愛を叫ぶ性格ではないので、自分で書いたタイトルにまぁまぁの恥ずかしさを覚えます(笑)

実は今年度から姫路市が『住み続けたいひめじプロジェクト』を始動しています。積極的に行政情報を追いかけていない人からすると、「何そのプロジェクト?」と疑問に思うでしょう。

以下の太字は姫路市ホームページに掲載されている情報です。

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姫路市では、姫路の未来をもっとワクワクするものにしていくために、地域の魅力やまちの将来像を描く「住み続けたいひめじプロジェクト」をスタートします。

令和6年7月から、「住み続けたい街とは?」「子どもを産み育てたい街とは?」などをテーマにディスカッションを重ね、約1年間かけて、みなさんの声を象徴するブランドメッセージ&ロゴを作成するプロジェクトです。

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姫路市政策局ひめじ創生戦略室の金治諒子さんがこのプロジェクトについてPRするラジオ番組を私が編集していた時に、「なんか面白そうだな」と素直な感想を抱いたので、編集終了直後に第1回トークセッションの参加申込みをしました。

興味を持ったのは「姫路市民同士で姫路の良い所や悪い所を言葉にする」というポイントです。ネガティブな意見は耳にすることが多いのですが、姫路の好きな所を嬉々として語る人は稀かもしれません。生活や交通の利便性は感じているものの、"まちの魅力"を延々と話す姫路の井戸端会議はきっと珍しい光景でしょう。

魅力を語るよりも、「姫路で何をする?」という質問に対して、「え?何もすることないで。」というやり取りを聞く機会が何度かありました。この会話を私(34歳)よりも年上の方がするのを聞くと、ここ最近は悔しさを覚えます。

ただ、福岡に住んでいた頃、友人に同じ質問をされた私は「お城行けば良いんちゃう?」と平熱の返事しか出来ませんでした。そんな私は一度離れた姫路に戻ってきて約8年が経ちましたが、いつの間にか地元愛のような感情が芽生えてきたように思います。その感情の正体を探りたいという個人的なモチベーションを抱えて、今日7月6日の『住み続けたいひめじプロジェクト第1回トークセッション』に行きました。

トークセッションのパネリストには3人の"言葉のプロフェッショナル"がいましたが、印象に残った久保田智子さん(姫路市教育長、元TBSアナウンサー)のお話を1つ紹介します。

久保田さんは林田町にある伊勢自然の里・環境学習センターをお子さんと訪れた時の話をしました。虫とりをしたり、じゃぶじゃぶ池で遊んだり、植物観察ができるなど、自然とコミュニケーションができるような貴重な場所です。

少し余談をはさみますが、ホームページを見ると交通アクセスに「バス・電車はありません」と書いています。そんな親切な情報があるにもかかわらず、私は数年前にラジオ番組のために一人で足を運んだ際、バスに乗って伊勢自然の里に向かいました。おそらく終点のバス停で降りた後、大津茂川沿いをひたすら徒歩で北上しました。そのため、伊勢自然の里の中にある大津川の源流を見たとき、「ここから流れてくるのかー!」と感動しました。

さて、久保田さんの話に戻りますが、伊勢自然の里には"昔話のような自然豊かなエリア"と"来場者が歩きやすい舗装された道"が共存していることに気付いたようです。そんな共存した姿に「姫路を感じる。」と話していました。新幹線も新快速も停まるJR姫路駅、駅から城へと続く大手前通り、海に囲まれた家島、秋には紅葉が美しい書写山など、自然と人工がほどよく混ざりあったまち。そんな豊かな姫路を小さな伊勢自然の里でも感じたというお話が私はとても好きでした。まちの魅力を語る時、当たり前に思える"小さなこと"に何かを感じる目線が大事ですね。

もう1つ印象に残っている話を紹介すると、モデレーターの方が「福岡市の人はまちに対する自己肯定感が高い」と話していたことです。私は福岡に約7年住んだ経験がありますが、確かにまちに対するネガティブな意見を身近な人から聞いた覚えはありません。そして、博多駅周辺の開発、天神ビッグバン、物流改革などの最近の福岡事情を考えると、「住みやすいだけでなく進化のスピードも早いからなぁ~。」と自然に納得しました。

そういえば、私がかつて住んでいた九大学研都市駅周り(福岡市西区)と、今住んでいるはりま勝原駅周り(姫路市の西側)は少し似ている所があります。駅の近くにイオンがあること、生活や交通の利便性が良いのに自然に囲まれていること、この2つが大きな共通点です。そのため、大学時代の友だちを私の家に呼んだ時は「学研都市駅感があるなぁ~。」というリアクションをもらいました。

そんな現在住んでいるはりま勝原駅周辺を気に入っていますが、「これがまちに欲しい!」という願望もあります。少し抽象的かもしれませんが、それは"カルチャーの香り"です。こだわりを感じる書店、気ままに開かれるアトリエ、ガラス越しに見えるギター・デュオなど、創造のインプットやアウトプットの場が生活圏にあることです。それらは無料で活動披露をする場ではなく、対価で耕し育む場です。時間はかかるかもしれませんが、耕し育くむ場から「そこにしかないもの」が生まれるはずです。

その願望をこれまで魔法のランプに委ねていましたが、はりま勝原駅周辺にジーニーが登場することはなく、自分が当事者意識を持って臨む必要があると気付きました。そんな意識で行動したことの一つが『あやみのギター音楽教室』のスタートでした。なんか大層なスタートにも思えてきたのですが、「おっ、なんかやっとるやん!」とワクワクする場を身近に作れたら嬉しいです。

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