常識は変わる、時代と共に。
noteを書こうと思い立ったきっかけは宮台真司さんの「14歳からの社会学」を読み終わったことだった。
本書では著者が子どもと大人の間にいる14歳に対して、”社会の本当”を伝えるというテーマで書かれる。2008年出版ということですこし昔のものであるにも関わらず、今読んでも自分の中に抽象的にあって説明ができなかった世の中の常識に対するモヤモヤに言葉を授けてもらったようなそんな感覚を味わうことができた。
全7章あってれぞれで語られているテーマは異なるが、僕は
過去は正しかったけれども、時代が変わったので、今は正しくないことはたくさんある。でも大人や教育や常識は時代に即して変わり切れない部分だってある。そんな直感に反する常識とか、社会に反する直感に対してモヤモヤとした気持ち悪さを感じないために本当の社会を教えてあげよう
こんなテーマで語られているように感じた。
本書の初めにこんな文章がある
大人から「みんな仲良し」と言われている一方、君は心の中で「そんなのウソ!」と感じてしまう。君はもう社会にはタテマエとホンネがあるのを知っているから、「タテマエだ!」と感じてしまう。
じゃあ次に、ホンネについて考えよう。「みんな仲良し」と教えられて「そんなのウソ!」と感じてしまう君は、いまの社会をどんな気分でながめているのだろうか?「ぼやぼやしていたら自分も置いて行かれるぞ」「しょせんやった者勝ち」という感じかもしれないね
確かにこの通りであると思う。
正しいとされていることをすると感情が反対するような時に出くわすようなことがある。ルールに納得できないときもある。
でも僕たちはできごとに対して「時代に沿っていない相手が適切じゃないのか」「自分がただ、わがまましているのか」を判断しないといけない。
昔の価値観で今には当てはまらなそうなものを知ることは判断する手助けになるだろうと思う。
ここでは自分が興味を持った承認というトピックに絞って考えてみる。
”自分はOK”になるための承認
昭和の暮らしが輝いて見えることがある。生活に困っていた日本人は豊かになるという目標に向かって一生懸命に暮らしていた。
豊かになることが大切という共通のゴールがあった。
「いい学校」「いい会社」が「いい人生」に結びつくようなそんな時代だった。
でも、今は時代が変わった。ものが不足していた時代からものがあふれた時代になって、より高品質で自分が気に入るものを求める時代になった。
それぞれの豊かになるというゴールが”いい人生”に結びつかなくなって、自分なりの他者とは違うかもしれない”いい人生”を見つけていく必要がでてきた。
今まで決まっていたいい人生の基準が壊れたことで、自分がやっていることに自信が持てない。チャレンジすることが怖い。でも今までの基準で行動すると将来に不安がある。
恋愛においても、今話題に上がるのは、パートナーがいないことよりも、パートナーと続かないことなのであるそう。相手と深い関係を築くことが困難になっているそうで、代替可能な存在になってしまっているらしい。
今まで以上に承認される必要が生まれてきたように感じる。
承認って何か?自分をそのまま認めてくれることである。
でも認めるって言葉ではよく使うけど、具体的に何かを考えると難しい概念である。
僕は認めるって意味は臨床心理学の分野で言う共感するときのプロセスに似ているように感じる。
相手に共感するとは、相手の立場に立って考えることで、そこに自分はいらない。自分の判断とか、倫理的な善悪とかは持ち込まずに、ただ相手が何を感じているのかを想像して確かめる行為だと思う。
承認するとは、相手そのものを認めることだと思う。相手が○○であるから認めるのではなくて、ただ相手の存在を認めるようなこと。
アドラー心理学の共同体感覚という概念もこれに似ていると感じる。
相手の立場に立って、相手を仲間としてみなすこと。
共同体感覚では、相手の範囲をもっと広げていって、社会とか、自然とか、未来とか、さまざまに広げていくけど。
今まで肩書とか、お金とかからの承認を求めていたけど、それらの価値が下がってきている。今は他人から認められる経験を求めている。
でも人を承認するにはそれなりの技術が必要で、誰かが「自分はOK」と思うためには、人を認める技術が広がらないといけないのかもしれない。
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