書評『河合隼雄と箱庭療法』(日本箱庭療法学会編集委員会・編集)パネリスト(著者):松岡和子・茂木健一郎・高木祥子・河合俊雄・川戸圓


2008年の河合隼雄一周忌にちなんで開催された「河合先生追悼シンポジウム(河合隼雄と箱庭療法)」の記録。本来は会員向けの学会誌だったが、市販本として出版された。第一部は講演二本―①松岡和子〈世界の箱庭としてのシェイクスピア劇〉/②茂木健一郎〈無意識を耕すために〉。松岡氏のシェイクスピア劇における“計算された言い間違い”は実世界という劇場の中で生きる人間という役者の無意識を炙り出す仕掛けとして作用するものであり、劇空間が世界を投影するもの=箱庭としてとらえることができるとする。確かに日本語でも「人生劇場」という言葉があり、自分という役を演じている感覚を持つことがあるので、その捉え方は納得できる。茂木氏は自身が箱庭を作った経験があり、その経験を土台にして無意識の表出を脳科学の視座から読み解いており、意表を突かれたような読後感がある。
 
第二部は高野祥子〈見られる不安・見る罪悪感にさいなまれる青年の内的体験〉。高野氏が担当した実際の臨床事例紹介。すなわちクライエントが作った箱庭を時系列で示し、その変遷過程ごとに分析~見立てを述べていくというもの。初期の頃は、防御の構えが強く無機的な印象の強かった箱庭作品が戦闘、混沌などを経て統合に向かっていく。それは成長と呼べるものではあるが、内面の抱えた問題がすべて解消されているわけではない。捉え方としては、問題を内包しつつもそれを最小化し、超克する新しい心の働きが作用するようになったということだろう。箱庭を作りながらクライエントの中にある自己治癒力が高まっていくダイナミズムは感動を覚える。
 
第三部は全体討論で第一部・第二部を通して見えてきた箱庭療法の現状と今後の展望が論議されている。言葉では表現しきれない心の形を投影する道具として箱庭療法の持つ可能性はまだまだ発展すると思う。
 
(2024.7.31読了)

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