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現代病

コロッケの幻影がチラつくせいで、五木ひろしを見るとついついくすっと笑ってしまう。
歌謡曲を歌おうが、笑顔でトークをしていようが、コロッケがよぎり、笑ってしまう。

そもそも私の中の五木ひろしは、ありとあらゆる芸人たちによるモノマネを通じたルートの先に存在する。
あの絶妙にしゃくらせて目をキュッと細いアーチ形にし、その他もろもろの顔面の全ての筋肉をそれらしく動員させたあの造形が、五木ひろし。本物を知る前に知った、フォーマットとしての五木ひろし。

そしてそれはモノマネの範疇であって、「大げさにやってるから」「なんか顔が面白くて滑稽だから」などの理由で、人々に笑いを与えているのだとかつては思っていた。

しかし、歌謡番組で本物を見て気づく。
「あ、似てるやん。」
コロッケのあの歌い方が絶妙に五木なのだ。ナチュラルにしていても例のフォーマットを踏襲している人になっていた。
いや、フォーマットを「踏襲する」というのは本人そのものが原型だからおかしいのか。
もはや五木ひろしをコロッケが投影しているのか、コロッケを五木ひろしが投影しているのか、ちょっとあべこべになりそう。
元祖フォーマットが話しているだけで面白い、謎のツボにナイスインしてしまった。

父と母がコロッケで泣くほど笑っていたのが何となくわかった気がする。ちゃんちゃら変なことしてるのに、似てる。これはずるいぞ。

本人の所作や声の原型を希釈して滑稽な動きをしているのに、なぜか本人の原型がしっかりと根底にある。だからこそ、本人にリターンした時に謎の混同が起こる。

これは、原型をリアルタイムで知らない世代に起こりがちなスパイラルなのだろうか。
五木ひろしでこうなら、おそらく長渕剛やら森進一あたりでもそうなるんだろうな。

森進一のこと考えたら遠藤章造でビジュアルが再生されるあたり、もうそれはばっちり序章なんだろうな。



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