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なんとか生き延びたのも過去の事実

こんにちは!

ケミオです。


まだまだ私も、しょっちゅう忘れてしまうことがあります。


当たり前になれば、いちいち意識する必要もまるでないものとは思いますが。

どのようにして、今の自分があるのか、です。


たった今については、「ここそこにいるのが私です」が自明のことですが。

しかし、それはなぜなのか?


間違いなく、過去の経緯があります。

とはいえ今の私は、その過去がいとも容易く分断されてしまうというか。

なくなってしまう、と言った方が正しいかもしれません。

いずれにせよそうなってしまうと、今現在の思考も行動も、一人の人間としてのまとまりを欠いた感じになります。


その過去は、理屈としての答えはすでに出ているものの。

まだそれを自分で認めたくない、認められない気持ちが、どこかにあるのかもしれません。


よく使われる言葉では、機能不全家族や毒親があって…となりますが。

これが感覚的に、自分にもっとピッタリな表現となると。

「ロクな家族ではなくて、ロクな育て方をされていなかった」

こうなります。


それはそれは、認めたくなくても仕方がないと思います。

ただ、これを認めないと、話が戻ってしまいますが。

たった今も、なんたがまとまりを欠いた人間の感じになってしまいます。

あえて言うなら、そもそもがずっとそんな状態だったからこそ、長く苦しい状態にあったわけですが。


なので、忘れてしまうことに気づいたとて、やることは一つ。

「ロクな家族ではなくて、ロクな育て方をされていなかった」

悔しくてもなんでも、これを認める以外にありません。


しかし、認めるというのは、なにもロクじゃなかったことだけではなく。

そこをなんとかサバイブしてきた、自分自身に対しても、だと思います。


ロクじゃなかったのは、自分にはどうにもできなかったことです。

その責任も、自分にあったわけじゃない。


自分は、ただ生き延びようとすることしかできませんでしたが。

これができたのもまた、立派な事実。


どうしても、ロクじゃなかったことにばかり、意識が行きがちです。

しかしそれだけだと、過去を認めるのをどうしても、ためらってしまう気がします。

立派に生き延びた事実もそこに含めないと、認めるのはなかなか難しい。


ただ、両者があってこそ本当の過去なので、どちらも認める必要があるのは、当たり前といえば当たり前かも…。

みたいな感じで、私もまだまだ修練が必要です。


読んで頂いてありがとうございます!

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