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こだわりは人となりを表す大切なもの?

こんばんは!

ケミオです。


突然ですが、私は毎週、ラーメンを食べています。

またそれを、インスタグラムに投稿して、記録したりもしています。


SNSで人と交流しようとか、考えたわけではありません。

何年か前に仕事柄、SNSについて知っておく必要があり、インスタグラムも勉強のつもりで初めただけでした。

ネタがなかったので、適当にラーメンの写真を撮って投稿。

べつに続けなくてもいいのですが、記録が貯まっていくうちにやめられなくなってしまいました。


昔から、外食でラーメンはよく食べています。

なので、それの写真を撮ってアップすることぐらいのことは何ら負担でないですし、むしろ毎週色んなラーメン屋を体験しては、小さな刺激を得ています。


そして今日も例の如くラーメン屋に行き、インスタグラムに投稿。

しかし今日は、いつもとは違うことも考えてしまいました。


「刺激だけでいいのか?」と。


というのは、私は何事に関しても、「これじゃなきゃ!」というのが全然ないのです。

ラーメンも、然り。

ジャンルを問わずどんなラーメンでもだいたいおいしく食べられるのですが、一方で「これたまらねぇんだよ」というのがありません。

ただ、新しい体験と刺激を繰り返しているだけなのです。


一言で言えば、「こだわり」だと思います。

しかし、こだわりがないこと自体が問題ではないでしょう。

なんでもこだわるというのは、かえって生活に不都合を生んでしまうように思います。


と、ここまで書いたところで疲れ果ててしまい、続きが書けなくなってしまいました。

今日は久々に、10キロ走ったんです。

書こうとしたことは、「こだわり」というのは人となりを表す、意外と大切なものなのではないか、ということだったのですが…。


なお、そんなことを考えた挙句、私が本当に好きなラーメンジャンルはとんこつではないかと思いました。

20年ほどラーメンを食べまわって、初めて見えてきた嗜好です…。


改めて整理して書きたいです。

今日もお疲れさまでした!

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