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心のブロックが外れた時

こんにちは!

ケミオです。


わざわざ公表するようなことではないのですが、一昨日、ブックオフに行ってきました。


目的は、古本です。

ダラダラ読んでいた本が終わってしまったので、何かを調達してこようと。


新書を3冊買いました。

しかし、そんな本とは関係のないことにピン!ときたことがあったので、それについてです。


レジを済ませて店を後にしようとした時です。

昔のプラモデルやトミカが陳列してあるのが、目に入りました。


思わずそちらに歩を進めては、ジロジロと眺めてしまいました。

「うわ~懐かしいな。こういうのを見てるのって、やっぱり楽しいな」

そんなことを思いながら。


結局は、プラモデルもトミカも買いませんでした。

なのでこのこともまた、取り立てて紹介するような話ではないと思いますが、しかし。

その場その時、私の頭にピン!と来たことも確かでした。


「あっ!この感覚でいいのだな」と。


自分の、とても素直な心が出ていた気がしたんです。

一目散というのは大袈裟ですが、それに近い感じで思わずおもちゃのところに向かってしまったことに対して。

またそこで、懐かしいとか楽しいとか、感じたことに対して。


この場合、以前であっても同じ行動をしていたかもしれません。

しかし、今回のような素直な心が出た感覚は、まずなかったはずです。


きっと、ビクビクした感じで見ていたことでしょう。

「他人に見られていないかな?」

「(良くも悪くも)これに関心があると知られたら、どう思われるだろうか?」

そんな無意識の下で、プラモデルなりトミカなりを眺めていたと思います。

それこそ、恥ずかしながらですが。


しかしそんな状態では、たとえ意識の上では「いいなぁ」なんて思っても、心から楽しめていないのは明白です。

今回の例は非常に小さな出来事ですが、私は常時そんな感じで、何事も楽しめてはいませんでいた。


端的に言えば、心をブロックしていました。

それが、この時は外れていたと思います。

出来事自体はとても小さなことなのに、ブロックが外れただけで、驚くくらいの清々しさもまた、感じてしまいました。


しかしおそらくは、それが普通の感覚だと思うんです。

ようやく、つかみかけたというか…。


とはいえ、この感覚が私には、最初からなかったわけではないはずです。

子どもの頃に親に取り上げられては、そのままになってしまっただけで。

それを今回は詳しく書かないのですが、私は元の状態に戻ろうとしているだけと言えば、その通りのはずです。


そのためには、今は小さなことも積み重ねていくしかないのかなと思います。

単に見るだけでも、聞くだけでも。

そこで無心に感じ、思い、行動する、みたいな。


読んでいただいてありがとうございます。

今日もお疲れさまでした!


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