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過去は体全体でちゃんと覚えている

こんにちは!

ケミオです。


おかげさまで、体の調子がいいです。

今週はひとまずそれが安定すれば良しとすることにして、できれば先に向けて前向きな考えが出てくるようにしたいところ。

後者までは難しいかなと思うところですが。


朝も散歩しました。

短くない時間の中でだんだん暑くなってきましたが、それでも晴れていて気持ちがいい。

そんな最中にあって、近隣の小学校中学校へ登校する生徒の列に、挟まれてしまいました。


意図していたわけではなかったのですが、生徒の様子を間近に見て、自分も同じだった頃が思い出されました。

野球部の練習用ユニフォームで膨らんだスクールバックを担いで、毎日川沿いを歩いていたな、とか。


一方ではその頃の私は、常時自分のすることに集中できなくなっていました。

自分より他人や周囲に、ほとんどの神経が向いていたような…。

すでにアダルトチルドレンは、芽を出していたことになります。


私のこの状況は一見、精神的問題であるかのように思うのですが、しかし。

「健全なる精神は健全なる身体に宿る」ということわざがあります。


精神と肉体は一つであることを言っているわけですが、これを前提に考えて。

おそらく私は体全体で、当時既に身につけてしまった普段の精神の習性を覚えていては、またそれをいとも簡単に、反復してしてしまうと思うんです。

体調が良いのは嬉しい限りですが、それは前提条件。

今の私が目ざしているのは、この習性を少しでも何とかすることになります。


これに関連する話(だと思う)として、同じく今朝の散歩中に思い出したことがありました。

今から10年以上前に、中学校を卒業して以来約15年ぶりに、野球を再開した時のことです。


当時30歳くらいで、言ってみれば当時の人生の半分の時間が空いていたわけです。

なので、やろうとしたのはいいものの始める前は、まるで初心者くらいな感じになるかもしれないと思いました。


しかし、いざやってみたら不思議でした。

塁間の送球やゴロのさばき、トスバッティングなどを、全然考えることなくまあまあできてしまう。

もちろん力やスピードは劣ってしまったものの、ほとんど体で覚えるべきこれらの動作の感覚をまるで忘れていなかったことに、正直驚きました。


野球に関しては嬉しかった話ですが、嬉しくない話もきっと同じだろうと思うんです。

嬉しくも健全でもない習性は当然取り去りたくとも、おそらく思った以上に、強固にねちっこく身にまつわりついたものであることを想像します。


話は戻りますが、健全なる身体の上に、健全なる精神も宿ることを考えれば。

健全なる身体が続くことは、自分でまず良しとします。

あとは健全なる精神を、どう宿らせるか。

試行錯誤は続きますが、あきらめずに頑張りたいと思います。


読んでいただいてありがとうございます!



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