何も考えなくていい
おはようございます!
ケミオです。
過去に縛られていた状態から、解放されつつあります。
同時に、現実の世の中を実感できるようになってきていると思います。
また、そんな世の中に、これまた実感できるようになった現実の自分を当てはめてみると。
明らかに、取り残されています。
今はまだ、仕方がないと思っています。
世の現実をまるで見えていなければ、どうあがいてもフィットしない状態でずっと苦しんでいたからです。
とはいえ、世の中と自分とのすり合わせのようなことを、だんだんと考え始めてもいます。
このことにおいては、多分に感覚的な言い方になってしまいますが、まだまだ「当たり前感」が必要だと思います。
認識する世の中も、生きる自分も当たり前(客観的に、ではなくあくまで自分にとって)。
どちらもまだ、あやふやな感じが残っている状態です。
ですが、この状態を高みに持っていくことが難しいのか簡単なのか。
これがイマイチ、よくわかりません。
いずれにせよ、やるだけと言ってしまえばそうなのですが。
当たり前を追求するようなことは、ことさら何もする必要がない気もして、至って簡単なことのように思えます。
そのままの自分が、そのままの現実を認識すればいい、といったことでしょうか。
であれば、むしろそれを捻じ曲げて認識していたこれまでの方が、はるかに複雑で難しいことをしていたように思うところ。
でも、そんなこれまでが変わること自体は、簡単でもないような…。
堂々巡りになってしまいますが、結局のところのやることとしては。
「何も考えなくていい」くらいの意識でいるのが、正解のような気がしています。
以上で、「(世も現実も)捻じ曲げて認識していた」と書きましたが。
それは、わざわざそうしていた、ということだと思います。
子どもの頃に親に支配された精神構造からの意味付けがなされては、あらぬ方向に。
それはやめることが求められていますが、しかし「やめよう」なんて考えれば。
そこには、「自分を変える」といった意識が働いてしまいます。
ですが私がしたいのは、自分の自然な心と行動に立ち戻ることです。
意図しない方向に変えられてしまったのは、むしろ子どもの頃。
それによって世も自分も捻じ曲げてしまう状態から脱却するには。
まだ意識が芽生えたての頃のように、「何も考えなくていい」くらいの意識でいることが必要のように思います。
もちろん、大人になった今に、現実にやることなすことすべて、赤ちゃんや子どもの頃のようにはいきません。
しかしそれも、自分の自然な心と行動に立ち戻ったところで。
「そんなに心配する必要ないだろう」と思うところです。
理由は、理屈で書けることかもしれませんが、それ以上に。
私がやろうとしているのは、ただただ現実の世にフィットしている人と、変わらないことだと思うからです。
理屈以上に、「なんとなく大丈夫」という感覚が強い。
読んでいただいてありがとうございます!
台風にはお気を付けください!