ゼロワン26話:嘘のように冷めた熱

消防士対決が始まった26話。
この回、自分にとっては、これまでのゼロワン熱が嘘のように、スン…って冷めてしまった回となりました。
なんでだろうな…キラメイジャーがかなり面白くて、そっちに心奪われたというのもあるかもしれませんが、それだけじゃない。
気づいてしまったいろんな綻びを、分析していきたいと思います。

ほんとは27話放送前に間に合わせたかった…!
投稿時点では27話が放送されていますが、このnoteはあくまで26話時点のものであることを、はじめにお伝えしておきます。


お仕事勝負①性差別描写

差別だなんて、きつい言葉を使うようだけど、
これを差別と呼ばないでいたら、いろんなところで横行している差別が、うやむやのままになってしまいそうだから、はっきりと言います。
あの描写は明らかに、性差別です。

唯阿から訓練の説明を受ける消防士たち。
救助者役の人が各フロアに何人いるか説明される。
救助者が若い女性たちのときに、うおーーーと盛り上がる消防士たち。
次に、屈強そうな男性(エイムズ隊員だった)を見て、テンションが下がる消防士たち。

この描写、要る??????

救助者の性別によってやる気が変化するって、もう、多方面に失礼すぎて、どっから突っ込んでいいやら。
まず大原則として、女性と男性で不必要に取り扱いを変える、もうこの時点でシンプルにアウトなわけで。

こう書くと、いや女性と男性は違う生物だろ、区別して何が悪いんだ、とかいう反論が聞こえてきそうだから、この際ちゃんと書いておきましょう。
確かに全く同じ生き物ではないかもしれないが、それは身体と内臓のほんの一部の話であってね?性別がなんであれ、同じ「人間」なの。例えば人間と犬、ほどかけ離れてるわけじゃない。
もちろんスポーツとかで分けなきゃいけない場面もそりゃあるけど、日常生活を送る上で、分けなきゃいけないのって、服を脱ぐときだけだから。トイレと風呂くらい、ほんとに。
普通に服着て生活してる上では、それこそ、男性か女性かなんてのは、東北人か関西人かとか、そのくらいの違いでしかなくて。
出身地で差別とか今どきしませんよね?でもそれと似たことが横行してるのが、現代社会の女性差別なんですよ。

だから今回の、救助者役、っていう点においても、男性だろうが女性だろうが、全く関係ない。どちらも同じ人間で、全く違いのない、ただの救助者役。
なのにそこに差をつける描写をした。1アウト。

次に言いたいのは、実際の消防士さんたちに失礼だよ、ってこと。
訓練だから緩くてもいいじゃん、みたいな意見も見かけましたけど。
実際の消防士さんたちが訓練するときも、こんな感じだと思うわけ?
自分もテレビのドキュメンタリーとかで見た知識しかないけど、ああいう人を救う職業のプロって、訓練でも本番を想定して、本気でやってる。
気が抜けるのは本当に、非番のときとかだけじゃないか。

百歩譲って、ドキュメンタリーとかはテレビ用にかっこよく撮ってるんだろう、本当は実際の消防士さんたちも訓練は緩くやってるよ、という意見を容れるとしましょう。
で?ゼロワンもテレビ番組なんだが???
しかも、子どもがメインターゲットで、このお仕事対決では、子どもに仕事への夢を与えようとしてたんじゃなかったのか???

何より、現実の消防士さんたちが、訓練でも本番でも関係なく、助ける人の性別によってやる気が変わるわけないじゃん?
自然災害のときに自衛隊の人たちを何回か見たけど、皆さん本当に一生懸命に、もちろん分け隔てなく支援してくれてたよ。
それをあんなふうに、事実を歪曲して描いた。
たった一瞬の、しかも大して面白くないどころか多方面に失礼、かついろんな人を傷つける、あんなギャグ描写のために。2つ目のアウト。

さあ、ツーアウトまで来ましたね。とどめの3アウト目は、
消防士たちと同じ反応を、或人にもさせたこと。
穂村隊の消防士たちの横で、同じように、テンション上がり下がりの仕草をしていた。
子どもたちの、いや自分のような大きなお友達にとっても、ヒーローである、或人が。
ヒーローが、女性差別的言動をしている。
3アウトチェンジです。いや何が変わるのかわかんないけど。
ああ、少なくとも、自分がゼロワンを見るモチベーションは、大きく変わってしまいましたね…。
こんな、たった一度の描写で?って思うかもしれませんが、信頼って、積み上げるのには時間がかかり、失うときは一瞬、そういうものですよね。

わからない方がいるかもしれないので念を押しておきましょう。
「女性救助にやる気出してくれたんだから差別じゃないじゃん」という人がいるかもしれませんから。
あのね、別に、フェミニズムって、私たち女性を大事にしろ!って言ってるんじゃないんですよ。お姫様扱いしてほしいわけじゃないんです。
「不必要に差をつけるな」と言ってるわけですよ。
差別、っていう字、よく見てください。差をつけて、別れさせること、ですよね。
女性を優遇する、あるいは女性を冷遇する、どちらの意味も、全く含んでいないわけです。
だから、差別に、優遇も冷遇も関係ないんですよ。
差をつけて、別れること。それをしないでくれ、と言ってるわけです。
だって、同じ人間なんだから。
「同じ人間」なのに、どうして違う扱いをするの?それをやめてくれない?と言っているんです。
おわかりいただけるでしょうか。


ほんとに、この描写の必要性がわからなくて。
お仕事勝負の対戦相手である、穂村隊長のクズさを見せたかったのかな?という仮説も考えたんですが、それじゃ説明つかないんですよね。
これまでの対戦相手や関係者の中には、卑劣な悪役もいた。華道と不動産では、対戦相手がレイダーになり、弁護対決ではあの人が…。
だから今回は、穂村隊長が、ヒューマギアに悪意を向ける悪役で、だからあんな、女性差別丸出しの描写をしたのかな?とも思ったんですが。

でもこれまでの悪役って、それなりに筋が通ってるというか、無意味にゲスいわけじゃなくて、
ちゃんと物語上の必要性もあり、かつ、華道と不動産に関しては、事情とか背景がしっかり描かれて、人間が多面的に描かれてたんですよね。
ところが今回は、この下劣な描写の存在意義が、全くわからない。

まだ次回もお仕事対決は続くので、穂村隊長への評価は一応保留ということになりますが、
そもそも穂村隊長という一人の人間の描写として、仕事が雑すぎないか、と思うわけです。
これまでのゲストキャラの描き方がすごく丁寧だったから、特にそう思う。

そして繰り返しになりますが、
この女性差別描写は断じて許せません。
仮に穂村隊長が、もう救いようのない下衆な悪役だったとしても、
それでも、そのゲスさの描写として、これを使うのは間違ってると思う。


ここまで来ると、イズの描写もだんだん嫌になってくる。
女性の描写全てを、疑ってかかるようになってしまいました。
イズのこと、必要以上に可愛く、というか、或人に追従するように描きすぎな気がして。
今回の冒頭、天津と話してるシーン。イズがウェーイって或人に合わせるのも、なんか、なんかね、或人にっていうか、視聴者に?特に成人男性になのかな?「媚びてる」って感じがしちゃって。

ものすごくあからさまな言い方をすると、今回のスタッフの価値観って、女性は愛玩動物でいてくれ=同じ人間じゃない、って感じなのかな…って。
この価値観、まさに、現代日本にはびこる女性差別そのものなのに。
でも、こう考えると、いろんなことが腑に落ちてしまうの、本当に、しんどい。


犯人捜しをしたいわけではないんだけど…スタッフに触れないわけにはいかない。こういうことはスタッフの価値観を如実に反映するから。
自分、統計的に、上堀内監督の作品とは相性が悪いんですよ。ビルドもリュウソウジャーも好みじゃなかった。
でもそれは、あくまで作風の話、だと、思いたい。
でも、ここまで繰り返されると、ね。そもそも前2作の好きじゃないポイントも、少なからず女性描写絡みだし。
若手のホープと言われてる監督の倫理観、ジェンダー観がここまで古いと信じたくないよ…
それとも、古いとか若いとかの問題じゃないんだろうか。そう、本来、古いとか新しいとかじゃなくて、多くの人が傷つく価値観、と、そうでない価値観、があるだけなんですよね…。

先に上堀内監督を槍玉に上げちゃってほんと申し訳ないんだけど、自分、脚本の高橋悠也さんのことは、信じていたいんです。ものすごくわがままだけど。
悠也さんの作品は、エグゼイドだけじゃなくて、東映と協力した舞台「SLANG」も観たんですが、それがまあ素晴らしくて。
一言でまとめると、「人が傷つくとはどういうことか」をめちゃくちゃ真剣に書いた話だったんです。
エグゼイド小説版にちょっと雰囲気が似てたかもしれない。人は、何に傷つき、何に救われるのか。そのことに、ものすごく敏感な作家さんだと思う、思ってる、思ってた。
だからこんな、初歩的なミスを犯すだろうか?って思って。
ちょっとこの悠也さんの作風については、次項以降にもかなり関わってくるので、そろそろ次行きましょうかね。


お仕事勝負②119之助は本当にラーニング不足なのか

訓練中に起きた実際の火事に際して、周囲をスキャンして、軽傷、重症、心肺停止、と判断を下していく、119之助。
彼は心肺停止の人は救助せず、生存者の救助に動き出しました。
それを見た穂村隊長は、早く言えバカヤロウ!と、心肺停止者に蘇生術を開始。結果的にその救助者は助かります。
そして訓練後、119之助は、「救える命を諦めるな」と穂村に諭され、命の大切さについてのラーニングが足りなかったことを、或人とともに反省した…という流れ。

いやいやいや、えっ???
これもまた突っ込みどころが多すぎて…
大きく分けて2つ。
優先度付けは必ずしも悪じゃないよね?っていう、現実からの視点と、
こんなに一方的に正答と誤答を描くの?っていう物語作りへの視点から、
検討したいと思います。

まず、あの場面で、救助者の優先度付け…医療用語でトリアージと呼ばれることを行った119之助について。
あの場面でトリアージすることは、絶対の間違い、ではないよね?だって火事だもん。
冒頭の別の火災のシーンに、あと数秒で崩落です!急いでください!というセリフがあったように。あるいは、活動時間4分!というセリフがあったように。救助活動できる時間も、割ける人員も、限られてる。
穂村隊長のセリフ「救える命を諦めるな!」ってのは、目の前にその一つの命しかないとき、例えば医療ものでの手術のシーンとか、そういうときにはハマるセリフだけど、
あの火災現場ではむしろ、並みのレスキュードラマなら、トリアージは辛いけど受け入れろ、みたいになる場面だと思いました。ベテラン隊員が、理想で突っ走ろうとする若手隊員を諭して…みたいな。
そして結果的に全員救えました!とかになったら最高だけど、もちろんそうならないドラマもあっていいだろうし、現実は全員なんて救えないですからね。
だから、もちろん感情論とか人道的にとか考えたら、そんな簡単に諦めるなよ、と言いたくもなるけど、
あれだって一つの在り方、考え方なわけで、あんなに穂村隊長に怒られるようなことか…?と、違和感を覚えたわけです。

ここで、これ書きながらTwitter見てたら「そもそもトリアージするかどうかが重要」という意見を見つけて、なるほどーーー!!!となったので引用しときますね。

こ、これだ…。
確かに、119之助のトリアージは、ちょっと早かったかも。
でもそれならそれで、穂村隊長はそこを怒ってほしかった。
…それを言ってくれるスタッフはいなかったのだろうか。
今回は、医療知識の足りなさ、リサーチや検討の甘さが、悪い方に出てしまったんだなあ…。
エグゼイドのときは、医療監修がものすごく良かったと思っていて。そういう監修の人を、単発エピソードで呼ぶことって、できないのかな…
大河ドラマくらい潤沢な資金があると、ちょいキャラにも方言指導とかついたりしますけど、ニチアサだとどうなのかな…。

というか、そもそものちゃんとした医療知識として、
「心肺停止状態でも蘇生法によって蘇生することがある」ってのが実際にあるんだったら、
119之助をつくる時点でその知識はインストールしておかなきゃいけないのでは…?
てか、そう、蘇生することがあるから、運転免許取るときの救命講習とかで、やれAEDだ心臓マッサージだってやるわけですよね?
これも、作中の目線で言ったら飛電の手落ちだし、
作品外の目線から考えたら、医療知識関連の詰めの甘さでは…。
しかもこれは、監修つけなくてもわかりそうなことでは…?

今ちょうど、新型コロナウイルス絡みで、疑わしいものは全員検査するべきかどうかとか、重症患者に医療リソースを割くために軽症者は自宅待機でとか、トリアージに似た話題で世間は持ち切り。
そんなときに、こんな雑な話を放送せんでも…。もちろん撮影時には今こういう状況だとか知るべくもないでしょうけれど。


そして、前段ともかなり話が重複しますが、2つ目の物語内での視点について。
今回、ほんとに違和感しかない。
これまでのお仕事対決、こんなにはっきり白黒つけてきたか?
むしろこれまでは、ヒューマギアと人間の、仕事に対するスタンスの違い、を丁寧に浮き彫りにしてきたんじゃなかったのか?

これまでのお仕事対決、縁結びマッチも含めて、本当に大好きなんですよ。
ヒューマギアたちの、あの、仕事に真面目すぎるあまり時に融通のきかない不完全さが、人間味のようなものに見えたりとか。
一方、それに対する人間も、勝負に勝ちたいとか、私利私欲とかから、いかにも人間らしく狂って。ヒューマギアではこうはならないな、という姿を見せてくれた。
どこまでも仕事の遂行を目指すヒューマギアと、自分の勝利や利益も考えてしまう、というか考えざるを得ない人間の、スタンスの違いが見えてきて。美とか、顧客の満足とか、人間とヒューマギアでは明らかに向き合い方が異なるであろうお題で、確かに異なるアプローチを見せたあとには、
裁判(捜査込み)と縁結びという、間違いが許されない、かつ、ヒューマギアの力を借りないと無理、ってかなんならヒューマギアの方が向いてる?というお題にまで向き合って。

各職業へのリスペクトももちろん持った上で、AIと共に働く近未来、その実験的描写をやってるんだな、って思って。本当に真剣に、もし人とヒューマギアがそれぞれ真面目に仕事したらどうなるか、を考えてるんだな、って。
ここのパートが、もしかしたら、スタッフがいちばん描きたい部分なんじゃないか、と思って、毎週ものすごく楽しく、真剣に考えながら観てたんです。

さらにこれまでは、白黒つけない匙加減も絶妙で。
華道や不動産では、ヒューマギアが敗れたとはいえ、或人がヒューマギアの味方をしてくれることで、そこの結論をいい意味で曖昧にできていたと思うんです。もちろん、対戦相手にも同情の余地や改心がちゃんと描かれましたし。
仕事をする上で、人間側とヒューマギア側、どちらのスタンスもあるんだよ、みたいなメッセージを勝手に感じてました。あとはこの、それぞれのスタンスを見て、視聴者たち自らで考えてね、ってことなんだろうな、と。
そして裁判ではより一歩進んで、ビンゴと対戦相手の検事さん、仕事へのスタンスの異なる二人が協力して、真実を暴き出した。
ここも、人とヒューマギア、一方的にどちらかが正しいわけじゃない。人の中でも、いい人もいれば、真犯人のようなクズもいるんだ…みたいに描かれてて。
人ならでは、ヒューマギアならではのいろんな姿を見せるだけ見せて、番組では白黒はっきりさせないから、みんな考えてみてね、ってことなんだ、深い…!って一人で盛り上がってたわけですよ。

で、今回。
前述のとおり、トリアージはかなり難しくてデリケートな問題。
でも今回、これまで結論をぼかす役を担っていた或人は、119之助と一緒になって反省しちゃった。命の大切さに対するラーニングが足りなかった、って、間違ってると認めてしまった。
さらに、穂村隊長の119之助に対する言い方のきつさとかを総合するに、
今回、わりとはっきりと、穂村隊長=正解、119之助=間違い、って描いてるよね?
今までそうじゃなかったのに。なんでこうなったんだ。

そう、穂村隊長の言い方のきつさ、についても少し。119之助に対して、感情論の押し付け、って感じがして。
医療知識が足りなかった、とかを抜きにしても、そんな感情論だけでゴリ押しする?とちょっとここもモヤモヤしました。
なんだろう、ひどい被害妄想じみてるかもしれないんだけど、ヒューマギアには俺たち人間の感情なんてわかんねえだろうがな!みたいな、圧というか、どこか見下したようなというか…うまく言えない。
そしてこの感じから、119之助を間違いと断じてるように見えてしまったんです。

せっかく、正解を出すことが難しい、骨のあるテーマだったのに。
安易に正解者と誤答者を明示せず、これまでみたいに、これがヒューマギアと人間の違い、ってことで曖昧なままにしておいてほしかった。
一方は、自らも炎の熱さや恐怖と戦っていて、家族とかの守りたい人がいたりする、感情を持った人間の消防士。
もう一方は、バックアップさえあれば命の危険もなく、合理的になるべく多くの人を救おうとする、(シンギュラリティに到達しなければ)感情の薄いヒューマギア消防士。
人間は心肺停止者の蘇生に走り、ヒューマギアは優先度をつけて救助しようとした。
前に引用したとおり、そもそもの救助現場についての知識不足・検討不足はあれど、
それでも、人間とヒューマギア、どちらか一方が正解!なんてことは、この場合、ないよね?
この、安易に結論が出せない難しさ、ゼロワンはそれに向き合ってくれる作品だと、信じてたのに。

1つ補足をしておくと、結論を曖昧にすることは悪じゃないです。むしろ安易に白黒つけるより、わからないことがわかりました!の方がよっぽど誠実。

だから或人の言葉も、「俺たちは間違ってたんだ」じゃなくて「難しいよな、でもお前はお前なりに全力を尽くしたんだ、これを次に生かそう」みたいな感じであってほしかった。
ヒューマギアを信じる、という或人自身のスタンスに、明確に背いたわけではないけれど、
なんかこう、信じるのであれば、過ちにももっと寄り添ってやれよ、というモヤモヤを感じてしまいました。

で、ここで脚本の高橋悠也さんの話に戻るんですが。
結論が出ないこととか、終わりのないことに、エグゼイドで、SLANGで、あんなに向き合ってくれた人じゃん。だから信じたいんです。信じさせてほしい。
でも、もしこのまま、気持ちが離れていってしまったら、
エグゼイドは医療監修の人が良かったんだね!脚本家のおかげじゃないね!ってなっちゃうな…って。
何が言いたいかというと、監修って、大事なのね…って話です…。


ついに1000%を嫌いになった――これまでの解釈とその破綻

天津社長のこと本当にわからなくなってしまった。

自分、この26話の直前までは、それこそTwitterの皆さんみたいに、社長嫌い!早くボコられろ!とか、全然思ってなかったんですよ。
むしろ好意的…とはいかないまでも、物語に必要な存在だと思ってたんです。
てなわけでまずは、25話までの、私なりの天津社長の解釈を述べさせてください。

彼の核にあるのは、排外主義であり、人間至上主義。
ヒューマギアを徹底的に敵視し、わざと暴走に追い込んでまで、排除しようとする。
これ、現代だけでなく、世界中で繰り返されてきた、差別と排除の歴史と、全く同じだな、と思って。
天津社長を、排除する側=マジョリティ、
ヒューマギアたちを、排除される側=マイノリティ、って置き換えて見てしまって、もう毎週しんどくて。
人間の愚かさを、鋭くえぐって描いているんだ、って勝手に解釈してました。

力なき者は、初めから攻撃的なわけではないんですよ。むしろ、先に憎しみを向けるのは、力のある側、排除する側。
そしてそれに抵抗すると、排除する側の思うつぼで。
力のある側は、力なき側をわざと怒らせたり、ほんのささやかな抵抗でさえも、ほらこんなに危険ですよ!というストーリーにすり替えて吹聴したりする。
当然、相手を理解したり、歩み寄ったり、という姿勢は皆無。よくわからないものは排除すべし、で凝り固まってしまってる。
そして排除する側の代表は、メディア戦略や印象操作なんかにも長けている。
…これって、例えばナチスドイツの歴史や、現代だってフェミニズムや性被害者、性的少数者などへの風当たりの強さとか、どこかの国の自国至上主義とか、それらの根幹にある排除の思考そのものじゃないですか。
それを、天津社長を通して、あぶりだすように描いているのかな、って思ってたんです。

なんだろう、自分がマイノリティだから、排除に敏感になりすぎて、虐げられるヒューマギア側に過剰に感情移入してたのかもしれないんですけど。
私たちは天津に石を投げられるのか、とか、本当に真剣に考えてたんです。
一度も、他者(往々にして弱者)を排除したことのない人だけが、彼に石を投げることができるのではないか、って。

だから正直なことを言うと、1000%社長最低!ムカつく!という声ばかりだったことにも、若干の違和感を感じていました。
彼を糾弾できるほど、私たちは寛大で、できた人間なのか?って。
私たちは誰しも、彼のような排外主義に陥ってしまう危険性を持っている。だから、一方的に彼を叩くのではなく、一歩間違えば自分も同じことをしてしまう、という、当事者意識というか、そういう恐怖感をもう少し持ってもいいのではないか?と。

そう、だから、毎週しんどかったんです。
ヒューマギアに感情移入すると、ただ必死に生きたいだけなのに排除され差別される、その苦しみ、悲しみ、恐怖に共感してしまってしんどくて、
でも一歩引いて見てみると今度は、天津の行動が、これはお前たち人間の愚かさだぞ、お前たちもこうなる可能性がある、なんならもう同じことをしてしまってないか?って突き付けられてるような気がして、またしんどくて。
でも、このしんどさこそが見ごたえ…!って思って、毎週心かき乱しながら見ていたわけです。

今思うと、ほんとに個人的な勝手な解釈、いや妄想の域の話なのかもしれないですけどね。天津社長の本来の目的は、飛電株の下落だって言ってたし。
でも、天津は飛電を買収したいんだよね?信用の下がった会社を買収っておかしくないか?それって利益になるのか?
…ということを最初から考えてたわけではないのですが、
あの異常なまでのヒューマギアへの憎しみは、買収話とかを越えた、何か個人的な主義主張…人間至上主義的なもの…があってのことだと勝手に思っていたんです。

あと、ビンゴのときでしたっけ、破壊する前にバックアップがあるか気にかけてくれたの。だから、運用の方法さえちゃんと考えれば、唯阿と同じく、「道具」としてなら受け入れてくれるのかもなあ、とも思いました。
もちろん、或人のように人間と同列には扱ってくれないだろうけど、まだ天津にも、ヒューマギアとともに生きる社会を認めさせる余地があるかも、と。

人間の悪意についてとかも、或人が激昂するのを紛れもなく悪意だ、と指摘したり、結構鋭いこと言う…!って震えてました。メタルクラスタ初登場回での、「今あなたの心を支配するものこそ、紛れもない、人間の悪意だ」名セリフだと思います。
悪意って、最初から悪意の顔をしていることは少なくて、往々にして善意のつもりでふるわれた力が、いつしか悪意になっているんですよ。そのこともまた、歴史上に人間の愚かさとして残っている。その愚かさ恐ろしさを、しっかりわかってるキャラなんだな、って。
そしてこのときの或人もまさに、天津への憎しみに文字通り呑まれて、メタルクラスタに手を伸ばし、力を制御できなくなっていた…。天津、やってることは最低だけど、核心ついてくるなあ…!って思って、ほんと、好きだったんです。

そう、悪意について真剣に考えていたので、みんながギャグだーーーって盛り上がってた縁結び回も、いやいや笑ってられないだろう、と思うわけです。
人間の悪意、という、もうどうしようもなく逆らいがたいものを振りかざしてくる天津に対して、
マッチはそれを、自分の職務遂行のために利用しようと、立ち向かおうとしたんですよ…!
だからきっと、このマッチの姿勢、人間が悪意を向けるならそれさえも利用してみせましょう、というアイデアが、天津に立ち向かうキーになるのではないか?なんで考えてみたり。

直近の25話(迅復活回)でも、A.I.M.S.は兵器ビジネスの道具だったと明かし、怒る不破に向かって天津が、
「君は私を恐れている。恐怖に対するその怒りが争いを生む」って言ってて、
まさに人間の争いの歴史、その根源をつくセリフだ…と思って。
よくわからない→怖い→排除しよう、から争いになってきた、いや今でもなってるわけで。
だからこれ、天津にとってもすんごいブーメランだな、とも思ってて。ヒューマギアに寄り添う姿勢の一切ない天津も、実はヒューマギアや飛電を恐れてるから、ここまで苛烈な排外主義で行動してるのかな、なんて邪推してみたりしてました。

個人的に、きれいごとだけのヒーローより、人や社会の暗部を見つめてくれるキャラクターの方が好きってのもあって、本当に天津のこと、憎みつつもキャラとしては買ってたんですよね。憎まれることこそが彼の役割なんだ、と思って。
確かに悪意はどこにでも転がってるし、それをアークにラーニングさせたことはアウトだけど、彼にとってはただ、事実を学ばせただけ、であって。
天津というキャラを通して、人間の悪意、を考えることは必要だなあ、なんて、視聴者に考えさせるためのキャラクターなんだ、って本気で信じてたんです。
天津にも彼なりの信念が何かあるから、まだ無邪気にヒューマギアを信じる、の域から脱せていない或人を成長させる、いい壁になってくれるなあ、なんて。


ふう。ここまでが、25話時点までの、私の天津社長の解釈です。
それが音を立てて崩れ去ったのが26話でした。
いや、崩壊は25話から始まってましたね。

彼の目的って、兵器ビジネス、なんだ。
結局は金もうけ、なんですね。
何かヒューマギアに対する憎しみとか、飛電先代社長との因縁とか、そういう話じゃ、ないんだ。
兵器ビジネスって聞いて、いかに今までの自分の解釈が、ファンの妄想、二次創作だったかを思い知りましたよ…。

そして26話。
天津は唯阿に命じて、119之助を暴走させました。
その画を見て、思っちゃったんですよ。

兵器なら、あんたの目の前にあるけど?
あんたが暴走させてるそれ、ヒューマギアでいいのでは??と。

すでに天津は、ゼツメライザーとゼツメライズキーを持ってる。
ヒューマギアを暴走させる手段はそろってるわけです。
それで飛電も買収するなら、それこそ、
ヒューマギアを兵器として売り出せばいいのでは…?って、思っちゃったんです。

なんか、天津の行動に、一貫性がないんですよね。
事実だけを客観的に見れば、ヒューマギアを兵器として売り出すつもりなの?ってなる。
でも、天津が兵器として売り出したいのは、ライダーシステムなの…?
ん?じゃあZAIAスペックはなんなんだ?

さっき、これまでの天津の解釈として、人間至上主義、って言葉を使いましたけど、そう思った理由は、このZAIAスペックにもあるんですよ。
あくまで、人間であること、にこだわるからこそのZAIAスペックだと思ってたんです。
AIなんかに仕事させられない、ましてや暴走の危険性があるヒューマギアなんか廃棄だ、っていうのが、天津の主張だったはず。
だから、あくまで人間が主体として、優れた道具を使いこなす。その第一手として売り出すのが、ZAIAスペック…だと思ってたんですが。
兵器として売り出したいのは、仮面ライダー、って言ってたんですよねえ。
わかんないなあ。ZAIAスペックで一儲け、ならわかるんですが。

というかそもそも、仮面ライダーをつくったのは飛電であって、ZAIAオリジナルの技術ではないんですよね。
天津も自分で言ってたじゃない、「飛電は仮面ライダーという素晴らしい兵器をつくったが、アークという恐怖がなければ意味がない」って(25話)。
このときは、うわまた恐ろしいセリフを言うなあ、兵器ビジネスのこと考えたらそのとおりだけど…!と思ってましたが、
そう、仮面ライダーってもともと、飛電の技術だから。

あ、そうか、飛電から仮面ライダーの技術を買収して、自社から売り出したいってこと?
いやでも、それだけのために、こんな迂遠な手段を取るか?
仮面ライダー技術の買収といっても、サウザーはすでに手元にあるわけだし、こんなにヒューマギアを虐げなくてもいい、というか、ヒューマギア関係なくないか…?
それこそ飛電を買収して、ヒューマギアを兵器として売り出すこともできるのに??
それとも、アークとヒューマギアをまとめて、仮面ライダーの仮想敵にしようとしてる??

書きながらほんのちょっとだけ、天津社長のやりたいことが見えてきた気もしましたが、やっぱりあのヒューマギアへの異常なまでの敵視は、こんな金儲けのための話じゃ説明つかないと思います。
つまりまとめると、天津のこと、やってることがクズだからとかじゃなく、行動の背景にある信念が見えないから、嫌いになってきた、ということです。

どんな悪役でも、一貫した信念があれば好きなんですよ。なんたって自分の近年の最推しは檀黎斗ですから。信念のブレなさでいったらもう優勝ですよ。あとはシリーズ違うけど霧崎/トレギアも大好きなんです。

と、こんなことを考えていたら、仮面ライダー公式サイトにこんな文面が。
「今までフェアな戦いを心掛けてきたはずの垓が“勝つ”ために少しずつ変化し始めます。冷静に見えても少しずつ綻び始める精神状態。」
どこがフェアやねん!という声も聞こえてきそうですが、自分としては、この文章自体には同意できます。お仕事勝負前半、ZAIAの代表がレイダーになってヒューマギアを襲うことには、ものすごく怒ってたから。
それが26話では、遠回しに悪意を向けてきたこれまでとは違い、唯阿を使って直接手を下して…。確かに、天津の中で何かが変わり始めているのは、わかります。

というわけで、そろそろ天津の信念が見えてこないときつい。
まだ全部をはっきりとは見せないまでも、なんとなく一貫性が窺い知れる、くらいの段階に来てないと、なんで急にこんなことするの?ってなるので。
結局、何がしたいの?というところが、今のところほぼノーヒント…。
上記のサイトに、「アークを利用しながら叶えようとする最終目的は何なのか?」という文面もあり、やっぱり兵器ビジネスの裏にまだ何かあるんですよね…?
これを書いているとき、もう27話の放送が終わってしまってるんですが、
何か彼の本質に迫るヒントはあったのやら…。


唯阿は1000%の秘書じゃない――技術者の物語を殺すな

もうこの章に関しては、このタイトルが全てです。
なんで或人&イズ、と同じ感じで、天津&唯阿みたいになってんだよ。意味がわからないよ。
1000%社長と一緒に行動するだけじゃなくて、せめて一人でパソコンカタカタしてにやにやしてるとか、天津が帰ったあとの社屋で何かしてるとか、そういう描写が、一瞬でもあれば違うのになあ…。
暗殺ちゃんをお持ち帰りしたときの唯阿ちゃんは、かっこよくて妖しくて大好きだったよ…あの頃は輝いてたよ…。
ああいう、唯阿ならではの単独行動が!もっと!見たい!!!

これに関しては前回も、唯阿が女性だから軽んじられているのか?という記事を書きましたけど(宣伝)

今回はまず、女性だからとか以前に、なんでこんな面白いキャラクターを飼い殺しにしているのか!!!ってことを書きたいと思います。

これまでの平成ライダーシリーズで、科学者でライダー、って、かなりおいしいポジションだったと思うんですよ。
ぱっと浮かぶのは戦極凌馬と桐生戦兎。どちらも濃いキャラです。あと内海成彰はもっと広げられたと思う…ポテンシャルはものすごくあった…。
まああとは、科学者というより技術者ですが、それこそ檀黎斗とか、フィリップとかも含まれてくる。

上記で上げた中から主役を除くと、戦極凌馬と檀黎斗ですよ。どちらも実質の黒幕と言ってもおかしくない人物。
だって、当然ですよね、技術力があれば、仮面ライダー周りのこと、何でも思い通りにできるわけだから。
技術力でもって、人を支配したり操ったり、そういうことができるんです。
唯阿だって、それくらいのインパクトがあってもおかしくないポジションなのに、なんでこんなただの付添人扱いするのか???
そうだよ、イズのような秘書としての働きを見せてるわけでもなく(お見合いのときくらい)、ほんとにただ、付き添っているだけ。
なんでこうなる!?全くわかりません!!!

唯阿について、天津に弱みでも握られてて転職できないのか、みたいな声もちょくちょく上がりますけど、
唯阿ほどの技術者ならばむしろ逆に、天津の弱みを握っててもおかしくないのでは!?
そう、だから、技術者と社長というと、ちょうど戦極凌馬と呉島貴虎の関係性ですよ。凌馬と貴虎だけが共有している過去、なんてのもありましたし(それがVシネや小説版につながる)。
あれくらい緊張感があってヒリヒリして、互いに信頼の顔を向けつつ腹の探り合いもあって、みたいな、
そういう濃厚なドラマが唯阿と天津の間にあってもいい、というかあるべきでは!?!?
なんでこんな、技術者と社長という、めっちゃくちゃ面白くて描き甲斐のある人間関係を、ただの秘書、みたいにしておくのか!?
もったいなさすぎる!!!!

というか、そうか、鎧武の話してたら気づきました。
サウザーのシステムも、もともとは唯阿が作ってくれたんじゃないのか?A.I.M.S.にZAIAから技術提供してるってことは、ショットライザーは当然唯阿が作ったものだし、おそらくサウザンドライバーも作ってるんだよね?
だったらそれこそ本当に、唯阿と天津を、凌馬と貴虎の、同じものを目指したけどだんだん道を違えて…的な関係にも描けるだろうし。
また違う過去作品を見れば、自分の技術の一人歩きを懸念するベルトさんのように、唯阿の迷いを描くこともできるわけですよ。
あーもう同じ言葉を繰り返すしかできない。なんでこんなに魅力的なキャラをほっとくのか!?!?

ほんと、唯阿がライダーシステムを作った、って視点、作中で抜け落ちすぎてやしませんかね。
まずそもそもの技術者らしいシーンが少ない。凌馬とか、ライダーでなくてもりんなさんみたいに、ラボにこもってる、みたいな描写、ほぼ皆無…。OPでPC叩いてるところくらいでは?
そして、唯阿が仮面ライダーの技術を持ってるなら、何も飛電買収しなくても、普通に唯阿の技術を兵器として売り出せばいいのでは?
それとも、競合他社を潰す意味合いで買収したいのかなあ。今の飛電が兵器ビジネスで競合相手になるとは思えないんだけど。

そして、この視点の抜け落ちが、キャラクターの行動にも影響してる。
26話で、傷ついたA.I.M.S.隊員を自ら手当しようとするほど、正義感の強い唯阿が、
自分の技術が兵器利用されるのを黙ってみてられるはずがないだろう???
技術者にとってきっと、自分が作ったシステムは、自分の子のようなものだと思うんですよ。物書きにとって自分の文章がそうであるように。
それが、天津の金儲けの道具として、兵器として、利用されるってときに、唯阿は、あんな黙って付き従っていられる人じゃない!
もっと単独行動を起こしてるはずだし、そういう視点の物語を描いてほしい…!

そして1000%社長も!兵器ビジネスやりたいならその開発者である唯阿を大事にしろ!!!
ていうか唯阿に作ってもらってるシステムを、自分のですみたいなふうに言うのやめろ!!!何が©ZAIAエンタープライズだ!!
あれか、前項で、売り出そうとするのがZAIAスペックではなく仮面ライダーであることへの違和感を書きましたけど、
自社製品であることにもこだわりがないから、唯阿も大事にしてくれないのかなあ。


また別の視点、物語当初からいる3号ライダー、という位置づけからしても、
スナイプや龍玄と同じくらい活躍してるか、というと…。
もはや、量産型ではあれど実質3号だったメイジや、
こちらも量産型でしかも追加キャラのニコの方が、活躍してたのでは?って思うくらい。

私、数えてるんですけど、年明けてから、バルキリーに変身したの、1回だけじゃないですか?
マッチ回でお見合いしてるときに、乱入してきたレイダーと交戦して、そのあと、まだ制御できてなかったメタルクラスタに襲われるという…。
これも不満なんですよほんとに!メタルクラスタの暴走で襲われる要員、そのために変身した、みたいに見えちゃって…。
しかもこのとき、誤って襲ってしまった或人からの謝罪も、
1000%社長からの心配するような言葉も、何もなかったんですよ…!
もう…怒ってもいいですか?
今日の27話では変身したのかな…。


ところで先日、こんなツイートが人気になってました。

だからほんと秘書じゃねえ!!!と叫びたくなりましたよ。
もちろん、この投稿者さんを責めるわけではないですよ。
これまで、唯阿がそういうふうにしか描かれてこなかった、そのことに対する怒りです。


なんでこんなに怒るのか。
怖いから、です。
恐怖からくる怒り、まさに天津が言ってたとおりですね…そう、だからこのセリフ自体は好きなんだ…って、さておき。

何が怖いって、唯阿が人気出なかったね、じゃあやっぱりライダーに女性はいらないね、ってなることですよ。
前例踏襲、みんな、好きですよね。
もっともニチアサ作ってるスタッフさんたちは、前例踏襲ばかりではなく、チャレンジ精神を持った方々だとわかってはいますが。
それでもね、唯阿が、女性ライダーキャラの失敗、として歴史に刻まれてしまうことが、すごく、すごく、怖いんです。

実際の社会でも、フェミニズムに限らず、一度「失敗例」ができてしまったら、そこから取り返すのって、なかなか難しいじゃないですか。
だからこそ、何かに最初に挑戦する人って、ものすごく重要で、重い責任を持っている。
ゼロワンで言えば、それは唯阿であり、唯阿というキャラクターを描くスタッフさんたち、なんですよ。

だから、もう、祈るような気持ちです。
頼むから、唯阿を、「3号ライダーを女性にしてよかったね!面白かったね!」って言われるように描いてくれ、って。
祈ることと、こんなインターネットの片隅で、文章を書き散らすことしか、もう自分にはできませんよ。
あ、まあ、グッズは買ってるんですが、そもそもホーネット以降のアイテム展開もないから買いようもない…。

自分、女性が活躍する作品を好きになりがちなんですが、
それはつまり、ことさらに女性をちゃんと描こう!と意識した作品だから、ってわけではなくて、
全てのキャラクターに愛情を持って、大事に描こう、としてくれた作品なんですよね。
それをやればストーリーそのものも面白くなるのが当たり前なんです。
まさに、エグゼイドでそれをやってくれたのが、高橋悠也さんのはずなんですが…。ライダーあんなにいて、ヒロインもライダーにして、敵キャラや院長先生まで、最後まで全員活躍させてくれて…。

まあ、希望だけは捨てずに、見続けるしかないですね。
実は、エグゼイドにここまで本格的にハマったのって、放送終了後、トリロジー見てからなんです。
本編リアタイのときは、正直、怒涛の話についていけてない部分もあった。
だから、ゼロワンも同じように、全部終わって振り返ったら、あれはああいうことだったんだ、よかったな、ってなると思いたい…
いやーーーでもあのエグゼイドのよきの、気が狂いそうな展開とは、なんか違っちゃってる感じは、すでにしてるんですけどね…
エグゼイドに対するついていけない、は、ゲーム医療とかの設定に対してであって、各キャラクターの気持ちにはずっとついていってたし、ずっと心揺さぶられまくってた。(設定はあとからちゃんと詳しく理解しました)
これ投稿してから27話の録画見ますが…どうなっていることやら。


冒頭の繰り返しになりますが、これ、ほんとは、27話前に間に合わせたかったんですよ。
でも今、文字数見て、あっ無理だったな、って思いました。
1万6千字超えです。ゼロワン26話のことだけじゃなくて、これまでのことも振り返って書いてたので、まあそうなりますわ。
ここまで読んでくださった方、いらっしゃいましたら、おつきあいいただき、本当に、ありがとうございました。

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