ゼロワン第2章を見届けて

29話で第2章が終わりとのことなので、ここまでの感想を書きました。
お仕事勝負から見えたもの、天津の評価、唯阿推しとして言いたいことなどをつらつらと綴っています。
好意的な部分も否定的な部分も、どちらもあります。


お仕事勝負の意義――近未来if、現在の働き方、過去から続く「悪意」

まず結論から言うと、お仕事対決そのものに意味はあったと思います。
近い将来、人間とAIは一緒に働くことになる。その近未来ifストーリーを提示する、というところに、意義があったのではないかと。
どこかのプロデューサーインタビューで読んだんですよね、そういう意図がある、って。ソースを提示できず申し訳ないのですが。

そもそもお仕事の世界というものが、メインターゲットの子供たちには新鮮だろうし、我々大人も、仕事をして生きていく人間として、考えさせられるところは十分にありました。

そう、このお仕事勝負、人間とAIの話として見るのがもちろん本筋でしょうけれど、
考え方の違う人間同士の話、と見ることも、できなくないと思うんです。ちょっとそんな話をしていきたいと思います。


・お仕事対決は現在の働き方の話でもあったのではという話

レイダーになった人たちの働き方だって、今の社会ではそう珍しくないことだと思うんですよ。
勝利や実績のために不正をしたり、稼ぐことに目がくらんでいたり…
また一方で、例えば不動産屋ヒューマギアのスマイルのように、社の利益よりも自分のやりたいことに真っすぐ、って人も、いないわけではない。
もっとも、自分の稼ぎを気にしないのは、生活を営むことのないヒューマギアだから、なんですけれど。

ヒューマギアって、ほんとに、人間とは違う思考をしている。人間にある「普通」とか「常識」とか「雰囲気」とか、彼らには通用しない。どこまでも機械的というか、良く言えば純粋、悪く言えば硬直している考え方を持っている。
例えば弁護士ビンゴだったら、法廷で争うのだということにとことんこだわり、そうでないところで争うことを拒んだりとか、
縁結びマッチだったら、自分に好意を向けられても1ミリも嬉しそうな素振りを見せず、ただただ依頼人のベストマッチを探すことだけを考えていたりとか。
サクヨもスマイルも119之助もチェケラも、AIならではの、融通の利かなさや真っすぐさを持っていた。
そういう、ヒューマギアならではの特徴をしっかり押さえて、
彼らならではの仕事に対するスタンス、を丁寧に描いてくれたと思うんです。

そしてそれは、AIが働くことを描くのと同時に、
何もAIに限らず、人間社会の中で、様々な考え方をもった多様な人を描くことでもあったのではないか、と思っています。
人間ならでは、ヒューマギアならではの要素もそれぞれありましたが、
仕事への向き合い方は、ひとりひとり違うんだ、っていう、人間同士にも通じる、普遍的なことを描いていたようにも思うんですよね。

自分の今いる職場が、まあ個性の強い人ばっかり集まってるのもあって、働き方って、本当に千差万別、十人十色なんだなというのを身をもって実感していることもあり、
人間とヒューマギアという、思考の土台がそもそも違うものが、それぞれの仕事に向き合うとどうなるか、というドラマは、自分としてはとても見ごたえがありました。


・過去から現在まで続く、現実世界の「悪意」を考察していた話

もう少し、「違う考え方の人間同士の話としても読める」ことを掘り下げていきます。

お仕事勝負の、特に前半では、人間がヒューマギアを嫌っていたり、華道対決と不動産対決では、人間がヒューマギアに直接的に悪意を向ける場面がありました。あと最終対決の演説でもありましたね。
ここでは、ヒューマギアたちに対する「敵視」や「蔑視」、あるいは人間たちの職分や生活に入り込むことへの「排除」が描かれてきました。

さらに、お仕事勝負期間の天津社長の発言は、人間至上主義とでも言うべきものでした。ヒューマギアの存在を否定し、ZAIAスペックを売り込む。その根底には、ヒューマギアという異質な存在への、異常なまでの「嫌悪」や「危険視」があった。
最後の演説対決ではこういった感情を市民にもあおっていました。

何の話をしているんだ、と思いますよね。
今、「」でくくったものは、全て、現実に起きている話です。
上の2段落の文章のうち、「人間」を何かマジョリティを表す言葉に、「ヒューマギア」を何かマイノリティを表す言葉に変えてみてください。

「」でくくった感情たちは、おそらく、
人間の愚かな争いの歴史の根源にあったものであり、
現代社会にもはびこる差別を生んでいるものです。

人間至上主義を、例えば自国至上主義とか、異性愛至上主義とかに置き換えて、
マイノリティを、外国人とかLGBTQ+とかに置き換えてみてください。
ヒューマギアという存在を描く、ある種の近未来SFであるはずのゼロワンの物語が、
現代社会の生きづらさの話へと、一気に様変わりして見えませんか。

何が言いたいかというと、ゼロワン作中の人間たちのヒューマギアに対する態度は、過去あるいは現在の、マジョリティがマイノリティに向けているそれと、かなり近いのではないか、ということです。

つまり、このお仕事対決は、

・AIに仕事を奪われるとか、AIにどこまでできるのか、人間とどう違ってくるのかという、近未来の話
・異なる考え方の人間が同業種で働くこと、という現在の話
この2つに加えて、
・異質なものへの排除、という、過去の歴史で起こったこと、そして今現在起きていることの話

この3つが、私なりのお仕事勝負の意義でした。

と、まあ、こんな妄想をして見ていたので、毎週、しんどかったですよ。
自分がある種のマイノリティであり、あと不文律とかが苦手でわりとヒューマギアっぽい思考寄りなのもあり、虐げられる彼ら彼女らに共感して、うわあああ、現代社会と全く同じ構図を描いている、って思って。
天津が悪意について語り出してからは、ああ、だから、マジョリティが向けてきた悪意の歴史の構図を模倣するかのように描いているのか、って。

私たちを、単なる物語の傍観者にさせない。
これは物語ではあるけれど、同時に、現実…許しがたく変えなければならない、目をそむけたくなる現実の話でもある。
天津の悪行に憤る私たちに、お前たちは天津に石を投げられるのか?差別や排除をしたことがないと言えるのか?と、私たちも「悪意」の当事者であることを突き付けてくる。
……なんて、本当に壮大な考察をしていましたよ。

まあ、そんなのは私の妄想にすぎなかったんだろうなって、気づきましたけど。

でも本当に、まさに、マジョリティがマイノリティを憎んで排除して差別して争ってきた、その歴史をなぞるように描いている、ように見えたんです。
例えば、何か言われたり傷つけられたりするとき、ヒューマギアたちは決して、先に自分から人間を憎むことはしないんです。
先に憎むのはいつも、すでに力を持っている側。多数派の側。ここでは、人間。
そして、向けられた悪意に精いっぱいの抵抗をすると、今度は、危険だ!って言われる。
その、危険だというネガキャンのきっかけを作ったのは、どっち?って話で。

それこそ、昨今のTwitterでのフェミニズム論争ですよ。
実際のフェミニストの声の何倍も、フェミニストはお気持ち表明のうるさくてめんどくさい奴だ、と仕立て上げたい声の方が多いです。
絡まれるからブロックすると、また、反論されるとブロックしてくるようなやつ!と吹聴されて。
これ、天津が市民を煽動してやってることと根底は同じですからね。
ヒューマギアを自ら暴走させておいて、その危険性だけを切りとって声高に喧伝する、ってほんと、許せない…。

と、まあ、この例を挙げるだけでも、
ゼロワンがいかに、差別や排除などの「悪意」の話に向き合ってきたか…というより、いかに私がそういう深い話だと勝手に解釈して妄想していたのか、お伝えできるのかなと思います。


・お芝居深読み大好き人間の余談

はい。ちょっとギスギスした話になってしまったので、ちょっとここで、お仕事勝負の意義に絡めた余談を。
この話ずっとどこかで発表したかったんですが、なかなか機会がなくて…

自分、ビンゴとマッチのことすごく好きなんです。
まあそれは、演じた人が、戦隊ヒーローとして過去に戦ってくれてた人だから、なんですけど。
でも、お芝居深読み大好き人間として、考えちゃうことがあって。
あの、宇宙大統領として君臨したホウオウソルジャーの魂が宿る、南圭介さんの身体を使って、あれほど悪意に脆いヒューマギアを表現する。
同じく、ブルーバスターとして熱暴走を克服した馬場良馬さんの身体で、悪意の暴走には逆らえないということを描く。
この、しんどさが、たまらなく好きなんですが。伝われ。

このキャスティングに、意味があるとするならば。
かつてヒーローだった彼らを、ここまで脆くさせてしまうほどに、アークや人間の悪意というものは、恐ろしいのだ…
っていうメッセージが込められていたりいなかったりするんじゃないかなー?なんて、これももちろん妄想ですけど!でも解釈は個人の勝手ですから!

で、マッチ編がなんであんなコメディ解釈されてるのか、ちょっと実はわかってないんですよね。
いやもちろん全くコメディ要素なかったとは言いませんよ、唯阿の棒読みとか、次話でマッチが砂浜から出てきたところとか、すごく面白かったですよ。
でも、悪意についての考察、ならぬ妄想をしていたから。
私たちも悪意の当事者なのだと、突き付けられていたから。
ただ面白おかしく笑うだけでは、済ませられなかったんです。

マッチは悪意を、自らの使命のために、コントロールしようとした。そしてやっぱり、アークの力に呑まれてしまった。
このしんどさがあるからこそ、悪意に満ちたメタルクラスタを制御できたときの喜びもひとしお、ってもんですよ…!


天津垓という不完全な悪役について

天津社長のこと、やってることはクズだがなかなか見ごたえがある、なんて思ってた時代もありました。
でも、もう、嫌いになったというより、失望してしまった、の方が正確かもしれないです。

私が天津垓を嫌いになった理由は、単にひどいことばっかりするから、ではないんです。
もちろん、やってることも大概クズなんですけども。
やりたい放題で或人やヒューマギアたち、唯阿や不破さんまでひどい目にあわせるし、勝負の後半では卑怯な手を使うし…
でも嫌いになったポイントはそこじゃない。
何をもって嫌いになって、そして失望するに至ったのかをこれから書いていきます。

・ヒーローの「壁」になりきれない天津垓という男

自分、これまでの特撮遍歴の中で、悪役を好きになったことは何度もあります。
戦隊ではなんといってもゼット皇帝。あとウルトラマンだと、ジャグラーと伏井出先生も大好きですし、トレギアに至っては現在進行形でガチ恋こじらせ中。映画はいつ観れるんだ。
そしてライダーでは檀黎斗。よく天津と比較される社長ですが、彼に関してはもう、私を救ってくれた、くらいの、こちらもガチ恋ですね。

私が好きになった彼らにあって、天津垓にないもの。
それは、悪役だからこそ表現することのできる、「思想」です。

主人公やヒーローサイドの壁になるような、またヒーローサイドでは表現できない、彼らの、彼らだけの思想があるから。
彼らの表明する思想が、毒々しく尖っていたり、許しがたいまでに闇に染まっていたりするからこそ、
ヒーローたちはそれとどう向き合うか、必死で悩んで、そして強くなる。
その思想のぶつかり合いこそが、ヒーローの見せ場じゃないのか…と思うわけです。

ただヒーロー側の思想…それは往々にして、いい意味でマンネリ化している、平和、共生、思いやり、とかそういうもの…を一方的に説くだけでは、やっぱり、メッセージ性が今一つ弱い。
悪役の思想が、その壁となって立ちふさがって、
それでもヒーローは自分が思う正義を貫こうとするから、だからかっこいいんですよね。

そしてときに、ヒーローサイドから子どもに面と向かってはとても言えないようなことが、
ある意味ではこの世界の真理だったり、
真理とまではいかなくても、大人になれば当たり前に見聞きするこの世界の暗部だったりするじゃないですか。
そして、ヒーローは絶対に言ってくれないことを言える、そんな彼らに、時に救われたりするんですよ…。
自分にとっての檀黎斗とトレギアはほんとにこれなんです。誰も言ってくれない、見向きもしてくれないことを、彼らは悪役だからこそ、見てくれた、言ってくれた。だからガチ恋なんです。

悪役について熱く語ってしまいましたが…話を戻します。
で、結局、天津垓は、何がしたいの?
何を思い、何を考え、そんな行動をとるの?

登場してからしばらくは、天津の思想につながるヒントが少なかったので、
前章での妄想をさらにたくましくして、推測という名の、もはや二次創作にいそしんでいたんです。
きっと天津の根底にあるのは、ヒューマギア排除、人間至上主義、なんだろうと。

だから、前述のように、現実に起きている排除、もっと平たく言うと差別の論理と重ね合わせて、深いなあ…って勝手に感動してたんです。
ヒューマギアを受け入れるかどうかは、そのまま、多様性を認めるかどうかをめぐる今の様々な考え方やしんどい現状を映しているのかな、なんて。
弱きもの、マイノリティ、今までいないとされてきたもの(ヒューマギアはほんとに今までいなかったんだけど)…そういう人々とどうつきあうか、の話でもあるんだ、なんて。

そうそう、天津がアークに悪意を(毎度思うんですが、これってダジャレになるんでしょうかね)ラーニングさせたとわかったときも、
全部お前のせいかよ!!!となるのと同時に、
なるほど彼の思想はそこなのね、なんて、むしろ評価すらしていたんです。
「この世は悪意に満ちているんだから、自分はその現状をアークに反映しただけだ」っていうようなスタンスに見えて、
天津垓という人は、世界をそんなふうに捉えている人なのか、って。
この世は悪意に満ちている、という現状から目をそらさずに、その前提にどう立ち向かっていくのか、そういう重厚な物語を期待してました。
ハードル上げすぎだったのかなあ。

でも、違うんですよね。
彼の本性は、「死の商人」。
ヒューマギアを仮想敵として、ZAIAスペックやレイドライザー、果てはライダーシステムを売りたい。
兵器で一儲け、というのが彼の目的でした。

もうなんか、これが明かされたときに、ガクッとなってしまって。
なんていうか、小者感…。
天津垓にしか語れない思想、悪意についての彼なりの捉え方、そんなものへの期待は、ガラガラと崩れ去っていきました。
これが私の「失望」です。

だって、武器ビジネスって。
彼「だけ」の思想じゃない。
よくある思想の模倣でしかない。

こんなんじゃ到底、或人の「壁」になんかなれませんよね。
たまにTwitterとかで、或人はヒューマギアをただ信じてるだけで成長が描かれない、っていう感想を見かけましたけど、
そりゃあそうでしょうよ。
だって、対抗すべき思想がないんですから。
ただただ、ひどいことをされまくるだけで、そこに思想が感じられないんですから。

もし天津の思想が、どんな極悪なものだとしても、一本筋が通ったものとして描かれていたならば、
この第2クールの展開もかなり面白く見れたんじゃないかと思うんです。
それこそ、不破のセリフじゃないけど、その先にどんな夢があるんだ、って。
例えば、武器ビジネスで一儲けして、そのあとやりたいことがある、とかでもいいんですよ。
そういうものが少しでも見えていたら、見方が全然変わっていた気がします。

東映公式サイトでは、天津のこと、悪意の象徴、というふうに書かれてますが、
うーん…悪にもいろんな悪があるじゃないですか?
戦隊でよく見る世界征服的なやつもいれば、
自己顕示欲とか、逆に何かに縋るほどの弱さ故の悪とか、
ほんとに、いろいろ、いる。

同じ脚本家だからよくエグゼイドが引き合いに出されますが、
檀正宗は、天津と似たように自らのビジネスを世界展開することを目論見つつも、
そこにはやっぱり、自社のゲームが世界を支配する!という、よくある支配欲をひとひねりして、
彼なりのビジネス哲学や死生観を持っていたわけですよ。

天津の場合、なんていうか、ただの暴力の器、みたいな感じがして、
思想のある人間のように見えなくなってきたんですよね…。

だって、悪意についてとか、思わせぶりな発言が多かったから、何かあるんだ!って期待するじゃないですか…。
いや、これは酷な指摘だと認めましょう。私が彼のセリフを勝手に解釈して、期待値を上げすぎてたんです。


・そもそもの情報不足、好き嫌いくらい知りたい

まあ、さんざん天津のことけなしましたけど、まだ明かされてない設定もあるっぽいので、ここまで幻滅するのは、行き過ぎかもしれないのですが…。というかむしろ、頼むからそうあってほしい。
是之助おじいちゃんと何かある、っていう描写もちょいちょいありますしね。

まあしかし、まだ何か隠されてる情報があるとしても、
それを「匂わせ」のままで、この第2クール終わりまで来ちゃったのは、さすがにきついですね…。
ちょっとこの、情報や設定の開示、描写についても考えてみたいと思います。

先ほど挙げた、私の好きな悪役たちも、もちろん1年番組での話ですから(ウルトラマンは半年)、最初から全ての事情や思想が明かされたわけではないんです。
檀黎斗にガチ恋したのも、エグゼイドをVシネ・小説まで見て、全部の点が線になってつながって、うわあああああってなってからですし、
トレギアに至っては、コロナで映画の公開が延期になってしまっているので、まだ全てが描かれてもいない。過去に何かあったらしいのですが、それが何かまだわからないんです。

でも、彼らには最初から、はっきりしているものがあった。
それは、「何が好きか」あるいは「何が嫌いか」です。

好き嫌いって、もう、思想の根底をなすものだと思うんですよ。
それさえわかれば、過去にあった具体的なエピソードとかがわからなくても、
今現在のそのキャラクターが、何を考えているのか、はだいたいわかる。

黎斗はゲーム作りと、自分の才能が好き。もっともこの好きは行き過ぎているのですが…
トレギアは光や絆が嫌い。自らの出自さえ憎んでいる。
ゼット皇帝は、許されないのに、周りの者が持っていないキラキラを探している。
ジャグラーは、自分を拒絶した光、が嫌い。光そのものは嫌いじゃないんだろうなあ。
といった具合にですね。

天津に関しては、うーん、まあ、ヒューマギアが嫌い…?ってことはわかるんですけど、
そうじゃなくて、もっと思想のレベルでですよ。
ヒューマギアの何が、どこが嫌いなの?
暴走リスクがある、だけじゃ、彼オリジナルの思想にならない。そんなリスクは誰だって嫌ですよ。
ライダー兵器ビジネスのことを語ってからは、その暴走すら、自分で仕込んでいますからね…。

これ、気になるのが、天津の思想について、
・設定はしてあるけどまだ意図的に出してない
・設定はしてあるけどうっかり出し損ねたままここまで来てしまった
・そもそもそこまで深く設定してない
この3つのうち、どれなんだろうなあ…ってことですね。
まさか3番目はないと思うんですが。
まあ、この問題に関しては、とにかくあと半年、頑張って見続けるしかないですね…。


・結局売り出したいのは何かすらもよくわからない

これも、ちょっとわからないんですが、
結局天津が売り出したいのは、レイドライザーなのか?ライダーシステムなのか?どっちもなんでしょうか??
演説対決では、住民が集まった前で、デモンストレーション的に唯阿をジャッカルレイダーに変身させましたけど、
これは、一般人でもレイダーになれば暴走ヒューマギアと戦えますよ、ってことですよね。
でも以前は、飛電は仮面ライダーという素晴らしい兵器を開発した、って言ってた。不破さんは実験体だとも言ってたし。
そしてZAIAスペックもある。
目玉商品は、結局、どれなんでしょうか?

まあ、あくまで天津の目的は金儲けであって、どの技術を売り出す、とかは特に関係ないのかもしれないんですが。
でも、特定の商品や技術へのこだわりがないと、やっぱり思想が見えてこない。
何を広めたいのか、っていうのは、その人の思想を如実に反映すると思うんです。
前述の檀政宗や黎斗だったら仮面ライダークロニクルとか、商売じゃないけどアデル様のコンタクトとか…
その人が、世界をどうしたいのか?どういうふうに支配したいのか?
その手掛かりとなる、キーアイテム、のようなものすらも、
現状では、どれに注目すればいいのかよくわからなくなっている気がします。


・天津の悪行そのもので嫌いになったわけじゃない

少し前は、やっぱり檀黎斗が引き合いに出されて、
あいつでさえ今頃はパラドにさんざんやられてた、天津がボコボコにされないからカタルシスがない、みたいな意見をよく見かけてました。
それでメタルクラスタを使って反撃したときはTLがまあ盛り上がった。

でも自分、おかしな話ですけど、彼の行動そのものは、まあ悪役やしな、って謎に納得してるんですよね。
そこに思想がないから物足りないのであって、
行動そのものは、まあこれくらいのクズはそこらへんにいるしな…って思ってたんです。

そう、この、「これくらいのクズはそこらへんにいる」っていう認識を手掛かりに、
前章でさんざん妄想した「悪意」について、
少し現実の話もしたいと思います。

今回、Twitter見てると、かなり天津に対するヘイトが高まってるみたいで、荒らしのようなことも行われたようですね。
でも、自分の感覚としては、劇中の天津くらいのことは、現実世界でもよくある悪意であって、
いちいち目くじら立てるほどのことでもない、というか…

自分が生活する世界をどう捉えるかは、おそらくその人の持つ属性とかにかなり左右されてて、
それで言うと自分は、どちらかといえば、悪意を見つけやすい方なのかな、とは思うんです。
だから前述のように、天津がアークに悪意をラーニングさせたことも、わりと納得できたというか。
天津のあの開き直った態度、単に悪意に満ちている世界の現状を反映しただけだが?というスタンスに、
共感とまではいかなくても、理解できたんです。

まあ、ぶっちゃけて言えば、あのくらいでいちいち腹立ててたら毎週誰かが人を殺す刑事ドラマなんて見てられませんよ(笑)というのは冗談にしても。

また前章の繰り返しになりますが、
ゼロワンの物語から、悪意は他人事じゃないぞ、というメッセージを感じていたんです。

理由なく振るわれる悪意や暴力。そんなのは日常的に転がってる。
先ほども書きましたが、レイダーになった人の考え方だって、そんな特殊じゃなく、むしろありふれたもの。
ということはつまり、自分ももしかしたらうっかり加害者になってしまっていても、なんらおかしくはないわけです。

だから、私たちは、常に、「悪意」に敏感でいなければならない。
自分に向けられるものに対してもそうだけど、
もっと大事なのは、自分が悪意を誰かに向けていないか、常に自己点検し続けること。
自分が悪意を行使すること、そのことを何よりも恐れていなければならない。

あるいは、現代の凶暴性は、正義の仮面を被って、一見、悪意とはわからないような顔で振るわれることもある。
ありますよね、特にネット上で、過剰な加害者叩きとか。
だから究極的に言えば、一時、正義のために振るおうとした邪悪な力に飲まれた或人でさえ、私たちの可能性であり、
あの或人の状態こそが、私たちが恐れるべきものではないか。
メタルクラスタを使ったのは、痛めつけられるヒューマギアたちを天津から救うためだったんだから…。

なんか全然ゼロワンと関係ない話になってしまいました。本編からこんな妄想をした奴がいるんだな、くらいに思っていただければ十分です。
一つ付け足すなら、天津の行いが嫌い!と思った人が、
はて、これはもしかして、自分も気づかずに似たようなことをしてしまってないか、と自分を振り返ってもらえたら、
今よりもちょっと世界は生きやすくなる気がします。


さて、話を戻すと、
天津に対しての不満は、ヘイトというより、フラストレーションなのでは、と思います。少なくとも私はそうなんです。
単にその行動への憎しみ、ではなく、なんでそんなことするのか、がわからない、そのモヤモヤがあるのではないでしょうか。

もちろん、現実世界にごろごろ転がってる悪意には、理由のわからないもの、理由のないものだってたくさんあります。
でも、じゃあ、天津もそれだ!っていうことでもない、と思いたいんですよね。
これだけ思わせぶりに描くレギュラーキャラクターで、この傍若無人ぶりに、特に理由はありませんでした!というのは、作劇としてナシでしょう。
それこそ、理由のない悪意だったら、龍騎の浅倉のように、ちゃんと「理由のない悪意である」ということ、が描かれるでしょうから。

だって、華道家や不動産社員のことは、あんなに深く描いてくれてたんですから。ほんとあの序盤の見ごたえはすごかった。
だからきっと、天津にも何か、何かあるんだよねきっと!今出しても遅すぎるけど!でも何もないよりはましだ!!!
…と思いながら、今日からの新章も見ていきたいと思います。


唯阿推しのフェミニストの叫び

なんとなくお察しかとは思いますが、もう…言いたいことがありすぎます。
でも、章タイトルにはフェミニストっていう言葉を使いましたが、
女性だからどうこうを置いといたとしても、一人のキャラクターとして、あまりにも扱いがひどすぎるのでは…。


・天津に従ってる理由は頭に埋め込まれたチップだった件

あんな扱いを受けても、頑なに天津に従い続ける唯阿。
ここまでされても離反しないってことは、相当に重い事情、壮大なドラマがあるのかと思ってたんです。

この際なので妄想を披露しますと、
メタルクラスタキーを完成させて、弁護士対決の傍聴席にいた天津の隣に唯阿が座ったとき、
完成の労をねぎらわれて、ほんの少しだけ、唯阿が微笑んだように見えて。
だからきっと、過去にはちゃんと、自分の技術力を認められて嬉しかったことがあったのかもしれない、とか、
もしかしたら、唯阿の技術力を理解して、評価してくれた初めてで唯一の人が天津なのか、だから自ら望んで離れないのか、とか…
後半は完全に自分の好みの妄想なのですが。
あとTwitterでは、天津が45歳だから、実は娘なのでは?とかも言われてましたね。

まあ、全部違ったわけですが。
チップってなんやねん。

いや、いいんですよ、設定が明らかになったことは。
でも、なんかこう、釈然としないものが…。
これも、勝手に期待値上げすぎてただけなんでしょうけど。

まあこの先、それとどう向き合っていくのか、って話があるんだと思いますけど。
もっとも、それ以前に、なんでチップを埋め込むことに了承したのか、っていうドラマから知りたい。
だって、知らないうちに埋め込まれてた不破と違って、システムを作った張本人である唯阿は、
はじめから、チップを埋めこむこと、そのチップがどういうものなのか、わかってたんですよね?
じゃあなぜ了承したのか?やっぱりそこには、事情というか、ドラマがないと、どうにも納得できません。

天津に脅されてなのか、それとも自ら望んでなのか。
そのへんが紐解かれるとき、きっと、唯阿自身の「夢」が語られると、信じるしかないですね…。


・唯阿の技術者設定どこ行った!?

技術者設定どこ行った!?!?これもう何度でも叫びたい。
なんで黙って操られてる!?あなたなら自分でなんとかできるんじゃないのか!?
なんとかしようとしないなら、それこそ、何か唯阿には事情や考えがあるんだ、ってことが描かれないと、納得できない!!!

だって技術者でライダーって、戦極凌馬とか檀黎斗とか桐生戦兎とか、よくも悪くも無双してきたライダーばっかりですよ!?
天津の悪行さえ実は全部、唯阿の手のひらの上で転がされてただけ、とかでも全然おかしくないくらいなのに!

前段とも重複しますが、唯阿は、変身のためにチップを埋め込むってわかってたんですよね。ショットライザーは自分で作ったんですから。
そう考えると、そのチップを埋め込む段階で、なんか対策できなかったんかい!!って思います。
社長にすら教えてない、開発者本人だけが知っている隠しコマンドとか、もう、技術者の見せ所、面目躍如、ってところじゃないですか!
それこそ凌馬のキルプロセス!とか。あれくらいチートすぎて腹が立つ、くらいのことを、本来ならできるポジションにいるはずなんですよ!

技術者としての唯阿の活躍をもっと見たい。
唯阿が作ったパワーアップアイテムとか、そういうのを。
誰もくれないなら自分で作ればいいじゃない!


ところで、ZAIAはZAIAスペックやらレイドライザーやら、いろんなアイテムを出してますけど、
そのすべては、唯阿が作ったんじゃないんでしょうか?
全然開発してる様子とかが描かれないから、わからないんですよね…。

もし、今天津が宣伝してる製品たちが、全部唯阿の手によるものならば、
天津はもうちょっと唯阿を大事にしてくれよ、と思うんですが…。
それとも唯阿だけじゃなくて、社の他の技術者も開発してるんでしょうか。
あるいはアークによってつくられていたんでしょうか。
天津自身に技術力があるようにも見えないし…。
アイテムが天津の懐からひょいひょい出てきて、出自がよくわからないんですよねー!私が見落としてるだけでしょうか???

前章で書いた、天津が売り出したいのが結局どのアイテムなのかわからない問題も、
天津の唯阿への態度につながってる気がします。
天津からは、技術へのこだわりや、技術者への敬意が感じられないんですよね…。


あともう一つ違和感があるのは、唯阿の、「私は道具じゃない」ってセリフ。
繰り返しになりますが、唯阿は、不破に埋め込まれたのが亡のチップだってことは知らなかったにしても、それ以外のことは全部わかってたはず。
もちろん天津に操られる可能性もわかってた、はずでは?
ヒューマギアを道具と呼んでいた唯阿が、自分が道具って言われてしまう悲哀が描かれていましたけど、そうなることは初めからわかっていたのでは?
それで今更「私は道具じゃない」とは言わない気がするんですよ…。


ちょっとここでめんどくさいフェミニズムの話挟みますよ。
女性がものを知っていることに慣れない、という層が、この世には一定数います。
女性は頭がいいはずがない。男性と同じ思考をしているはずがない。女性は男性のための引き立て役なのだから。…というのが、コテコテの女性蔑視の思想。
これは言い過ぎにしても、例えば男性の方が理系に向いてるとか、そういうレベルの思い込みであれば、無意識に持ってしまっている人も少なくないと思います。

これはあくまで、フェミニストとしてそういう読みもできたよ、という話であり、絶対にそうと断言するわけではないのですが。
もしかしたら、唯阿を描く人たちも、少なからず、そういう思い込みを持ってしまっているのではないか、と思うのです。

ライダーで技術者の前例なんていくらでもいるのに、
女性、ということが引っ掛かって、
その前例に落とし込むことがどうにもできずにいるのではないか、と。
知識と技術力を武器に、独自の戦い方をする、技術者ライダー。
そのテンプレートを男性の形で考えてしまっているがために、そこに女性である唯阿を重ねることが、うまくできなくなっているのかも、と。

うーん、でも、女性技術者自体は、平成ライダーの歴史の中で、珍しくはないんですけどね。
近年ではドライブのりんなさんとか、ゴーストのアカリとか。
というか、クウガやアギトですでに、女性の学者・技術者が描かれてましたね。
むしろまだこの2作では、女性ライダー登場前だったのもあり、技術畑で女性を輝かせようとしてくれてたかのようです。
…なぜ唯阿はこうなったんだ。


・唯阿は天津の秘書じゃない

もうこれも何度でも叫びたい。
唯阿は、秘書じゃなくて、技術者なんですよ。
なーんでイズのように社長に付き従ってるのか???
イズはそれが仕事だからそうしている。
でも唯阿の仕事は、それじゃないだろう???

まためんどくさいフェミニズムの話をします。
もしかしたらですが、作り手も見る側も、天津の隣に唯阿、の画面に、違和感を持ちにくくなってしまっているのかも。
もっと言うと、男性社長に付き従う女性、に違和感を感じにくくなっているのではないでしょうか。
これがもし、唯阿が男性キャラであれば、こうは描かないのではないか?と、思ってしまうんです。

女性は男性に従うもの、という思い込みが、どこかにあるから。
だからこうなってるのではないか、と、やっぱり考えてしまうんです。
この思い込みで顕著なのが、男性医師と女性看護師というテンプレですね。指示を出す職種は男性、従う職種は女性。(もっとも医療の現場はそんなシンプルな指示体系だけで回ってはいませんが)

唯阿が女性だから、秘書のように立ち振る舞うことに、どこかで納得というか、まあそういうものだよね、となってしまっているのではないでしょうか。
もちろん作る人・見ている人全員がそう思っているというわけではなく、あくまでも、この可能性がゼロではないよね、という話です。

だって、チップで操るにしても、四六時中一緒にいる必要ありますか??
もちろん天津と一緒にいてくれた方が、作劇の上で動かしやすいし撮りやすいのはわかる、わかるんですが。
唯阿の仕事はそれじゃない。

そもそも唯阿って、今の肩書はどうなってるんでしょうね?
AIMSに出向する前は、技術開発部、みたいなところにいたんじゃないんでしょうか?そこでショットライザーも作ったんだろうし。
こないだの消防士対決のときのパンダレイダーになった人は、ZAIAの開発部の社員って言ってました。
ここが唯阿の居場所なのでは?
出向が終わって戻ると違う部署、ってことは現実でもよくある話ですが、いやいやいやいや、技術部から出向を経て秘書、のルートは、さすがにありえないでしょう。

って書いたあと、仮面ライダー公式サイトをよく見ると、ハイライト画像の唯阿の名前の上に、「社長直轄開発担当」って書いてありました。
開発担当なんじゃん!!!開発シーンをくれ!!!
あの、暗殺ちゃんを連れて帰っていろいろいじってた、あのシーンが大好きなんですよ。
あの画面が妖しくてかっこよくて…ああいうのをもっとくれ…。


・3号ライダー、ですよね?

さっき見た公式サイトで、
唯阿の名前の下にあった「仮面ライダーバルキリー」は、「ファイティングジャッカルレイダー」になっていました…。

いや、別に、ライダーだけがかっこよくて怪人体はかっこよくないとか、そういうことではないんですけど。
いやでもやっぱり引っ掛かってしまう。
「3号ライダー」ですよね???

ほんとに私数えましたよ、
年明けてからのバルキリーへの変身回数、1回です。
お仕事対決の序盤、天津が唯阿に「手を出すな」って言ったから、ずーっとサウザーばっかり出てきてて。
唯一バルキリーが出てきた1回も、とってつけたようなお見合い回での変身。
これも、或人のメタルクラスタの暴走に襲われて、まあゼロワンの変身解除には成功しましたけど、なんか不完全燃焼で。

ショットライザーの販促期間はもう終わったってことですか?
いやでも不破さんは、拡張アイテムいろいろ使ってますけど、ベースはショットライザーですよね?

あとシンプルに、ライダーからいわゆる怪人体になった人ってなかなかいない…。逆は多いですが。
やっぱりライダーになるって、それなりの、重みというか、正義の戦士!じゃないけど、何かこう、あるわけで。
近年だとチェイスとかアラン様とか、ライダーになるまでのドラマ、があったじゃないですか。
その逆って、どういうことなの…。

子どもたちからしたら、唯阿ちゃん悪い子になっちゃったの?って思うじゃないですか。ライダーじゃなくて怪人体になったら。
っていうか私が思いました。悪い子にされちゃった、って泣きましたよ。
もうなんか悔しくて。

先週のランペイジバルカン登場回では不破さんが大活躍して、
もはや主人公だ!なんて言われてますけど。
唯阿は????3号ライダーなんですが????
もちろん2号並みにとは言いませんが、それにしても、2号と3号の扱いの差が開きすぎじゃないですかね????
仮面ライダーは他に滅亡迅雷も天津もいるけど、せめて滅亡迅雷と同等くらいにはしてくれませんかね???
女性の扱い云々とかも言いたいですが、
それ以前に、作劇としてどうなの、と思いますよ。
キャラを持て余しちゃってるというか、軽視しちゃってるこの現状。

同じ3号の歴史を紐解けば、スナイプは!龍玄は!!もっと活躍したし強化もあった!!!
いや、ほんと、なんなんでしょう、この、唯阿の描き方の薄さ。
まだ迷ってる段階、にしても、その迷いのドラマがもっとあるでしょうよ。

演じるいげちゃんは、可愛くてかっこよくてお芝居もうまいのに。
戦隊と同列には考えられないけど、戦隊だったら、3カ月間もメイン回がないって異常ですよ。あの12人いるキュウレンジャーでさえ、入れ替わり立ち替わりで、みんなの見せ場があったんですよ。

結局、女性ライダー!多様性の時代!とか銘打っておいて、
活躍させてくれないんですね、なんて、ひがみたくもなります。

脱線しますが、多様性が欠けてると思う事例を一つ。
ちょっとでも多様性っていうキーワードを考えたことがあるなら、
28,29話にかけて、あんなにわかりやすく、市民ほぼ全員がヒューマギア反対に回る描写なんてしない気がするんですよ。
もちろん、使える尺の長さ、子どもたちへのわかりやすさ、いろいろあると思うけど、あんなに一方的に、民度低い感じってのは、ちょっと…。
まして、一視聴者としては、ヒューマギア賛成派の気持ちになってるから、自分と同じ気持ちを代弁してくれる民衆が描かれなかったことで、余計に気になっちゃってるんです。


・これからも見続けるけど、でも…

天津のこと、唯阿のこと、もちろん、これから明かされることもあるだろうとは思います。
でも、もう、半分なんですよ。
もちろん物語は、完結するまで見て評価するのが筋だ、ってのはわかってます。
でもリアルタイムの視聴感もやっぱり大事だと思うんですよ。
ここまで出し惜しみされるとさすがにちょっと…。
もし後から何か出てきても、ここ最近抱え続けたもやもやが晴れるわけでもないし、
まして唯阿に関しては、このあとものすごいドラマが待ってたとしても、
「でも第二クールであんなに冷遇したしな…」っていう思いがどうしてもついて回ってしまう。

過去にあった似たような案件で、
自分、ルパパトのつかさが3号なことにすごく憤ってたんですよ。2号の咲也より先輩なのに、女性だから3号なのかよ、って。話が面白いだけに、そこ以外は好きなのに…!って思ってて。
でもそれも、咲也の方が後輩なのに2号なのにはちゃんとわけがある、っていうドラマをスピンオフでやってくれて(そのあと本編でも触れられた)、手のひらクルーした過去がありまして。
それがちょうど、夏劇場版のとき、TVでは26話の放送前日に公開されたんですね。
おそらくこの、半分ちょい前くらいまでが、情報公開のタイミングとしてはギリギリのタイミングだと思うんです。

何が言いたいかというと、もしこれから何か明かされて納得するようなことがあったとしても、
29話まで伏せておいたのはどうなの、っていう評価は変わらないだろう…ということです。
まして、つかさと違って、TV本編でも唯阿は全然活躍できてないんですから…。
あとから何か出されても、この冷遇が帳消しになるわけじゃないので…。


イズがかわいすぎる話

最後にまためんどくさい話しますね。
イズがかわいすぎるのはヒューマギアの原則に照らしておかしい、という話です。
かわいすぎるっていうのは主に、或人の身振り手振りをいかにも可愛らしく真似したりとか、そういう部分です。

あの、消防士対決が始まる前、天津と唯阿と或人とイズが話し合ってるシーンがありましたよね。
そのとき、或人のギャグにイズが合わせるような描写があって。
それがどうにも納得いかなくて。

最初のほうに書きましたけど、ヒューマギアたちって、みんな仕事に一生懸命で、いい意味でそれ以外のことに興味がない。持ちようがないんですよね、仕事のためにつくられてるんだから。

だから、或人のお笑いを冷酷にも解説するのとかはわかるとしても、
変顔してみたりとか、いわゆるサービスショット的なものが挟まるのは、なんか違う。
ヒューマギアであるイズがそれをやるはずがない、と思うんです。
だってそれは、秘書ヒューマギアの仕事じゃないから。

シェスタと比べてみるとよくわかると思います。
シェスタもすごくかわいいけど、でも、あの冷たくさえ見える態度は、ずっと変わらない。
それでいいんですよ。だって秘書の仕事は全うしているわけですから。

それとも何か、秘書の仕事内容の中に、社長への愛嬌のサービスも入ってるんですかね??
ドラマとかで確かに都合よく描かれがちですが、秘書は秘書という仕事であってそれ以上でも以下でもなく、
情緒的なケアとか、ましてや個人的な親密さの構築は、本来の仕事には含まれていないはずなのですが…。

断っておきたいのですが、
可愛い女性本人や、誰かが可愛くすることそのものを敵視してるわけじゃないんです。
可愛いことが大事な仕事だってあるし、自分の意志で可愛くなりたいなら、性別問わずもうどんどんやってくれ。

問題なのは、可愛くする必要がないところでも、あるいは望んでいなくても、可愛くさせられる、その見えない空気。
自分のことは自分で決める権利、それを求めてるんです。
自分で決めて納得しているなら、誰がどう振舞おうが、どんどん自由にやってほしい。

でも、それって本当に自分で決めた?誰かに言われてない?あるいは、見えない空気に従ってない?っていう突っ込みは、
めんどくさいけど、ずっとしていかなきゃならないんです。
見えない空気に従うとき、従ってる本人さえも気づかずに、空気に合わせちゃってることだってありますから。

ましてドラマは創作物です。必ず誰かの演出意図がそこにあるんです。
だから、作中の登場人物が本当に納得しているかどうか、という作中レベルの話だけじゃなくて、
それを創作した現実の人間の意図、まで考えなくちゃならない。
めんどくせーなって思います?めんどくさいんですよ!!

もちろんイズちゃんは可愛い。のあにゃんも可愛い。のあにゃん目当てで、柄にもなくpopteenとか覗いちゃいましたよ。
でも、それは、イズがただ秘書の仕事に一生懸命であるだけで、すごく可愛いんです。
或人に、視聴者に、媚びたような態度なんて、取らなくていい。
それはあなたの仕事じゃないから。
イズはイズのままで、それだけで素敵なキャラクターなんだから。

まあ実は、28・29話では、イズのことがそんなに気になったわけではないんですけどね。
単に29話はランペイジの話がメインでイズの描写が少なかったからなのか、
それとも監督が違うと演出も変わるっていう話なのかは、わかりませんが。

いちばん気になった回は、やっぱりさっきも書いた、26話。
この回、消防士たちが訓練の救助者の性別で態度を変えた、問題回です。

あの消防士たちの描写があってから、イズの描写のことも、どこかに女性蔑視が隠れてないか、疑わざるをえなくなって。
もうあの瞬間から、何も信じられなくなって、疑心暗鬼です。

あの、腹筋崩壊太郎スピンオフくらいの匙加減でいいんですよ。このスピンオフはもちろんお笑いだから、サービスショットがあっていい。
でも、TV本編の、かつ天津と話してる真面目なシーンのときに、一緒に変顔させる…そこでその描写、要る???
たった一つの描写にいつまでもこだわるようですが、ほんと、これだけは書いておかないと気が済みません。

断っておくと、別にかっこよく戦う女性像以外認めない!とかいうわけではありませんよ。
たまたま前作のヒロインは戦闘能力高めだったけど(笑)、みんながそうってわけじゃありませんからね。
イズはライダーでもなければ、秘書ヒューマギアなんだから戦闘能力があるわけでもないし。だから或人に守られて当然だと思います。
嫌なのは、戦う能力がある設定なのに、女性というだけで守られる対象になる、みたいなやつです。(555の結花ちゃんとか…)

つまりですね、すべての女性、いやすべての人が、自分の望む姿でいられること、を目指しているわけですよ。なんか大風呂敷広げたな。
戦いたければ戦えばいいし、自分の仕事に忠実ならその通りに。
女性全員が男性と同等に活躍しなければならない!っていうわけではなく、
「誰にも指図されず、空気にも従わさせられず、自分のことは自分で決める」
この自由を手にすることがゴールなのです。

そして、創作物においては、
作り手の中に、「女性は可愛くするもの」という思い込みからくる作為がないか、
その作為的な意図が、作中のキャラを歪めていないか、
たえず検討し続ける必要があるわけです。

あー、自分で書いておいて、めんどくせー、って思いますよ。
可愛いものは可愛い、って何も考えずに愛でていればいいじゃん、って。
でも、創作物で描かれることは、少なからず、現実と地続きですから。
現実の女性たちに対して、望んでいない人にまで、あるいは望んでいないレベルまで、「可愛さ」を要求する、この男性中心の空気には、
NOと言い続けなければならないんです。
相手は空気ですからね、不毛な戦いですけど、やめるわけにはいかないんですよ。


ああ、また次回放送までに間に合わなかった。
長いんですよ本当に、18000字超えてます。自分でもどうかしてると思います。
ここまで読んでくださった方が、もしいらっしゃいましたら、本当に、ありがとうございました。

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