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歴史から感じる因果応報。善い行いは、自分でも想像していなかった良い結果をもたらす

「積善の家には余慶あり」。中国古典である易経の一節で、「善行を多く積み重ねた家には、その報いとして必ず子孫にまでよいことが起こり幸福になる。」という意味になります。
 
歴史や古典を読んでいて感じることが多いのですが、よい行いをすればよい結果がもたらされ、わるい行いをすればわるい結果がもたらされるという、因果応報(過去および前世の行為の善悪に応じて現在の幸・不幸の果報があり、現在の行為に応じて未来の果報が生ずること。)を感じることが多々あります。
 
衰退や滅亡といった結果に対しては、必ずそこに至るまでの堕落や腐敗、人心の離反というものが生じています。一方で、成功という結果に対しては、その原因は色々あり、一言では言えないものの、長期に渡る成功であれば、そこには必ず善い行いがあるものです。
 
それであれば、長期に渡る成功に向けて、人は誰しも善い行いを続けそうなものです。
しかし、善い行いを行って成功に繋がるのは振り返っての結果であって、実際には善い行いを続けようとする本人は「善い行いを続けても、本当に成功するのだろうか。無駄な行いにならないだろうか。」と思ってしまい、なかなか続けられないことも多いのではと思うのです。
 
所詮、人間が予見できる見通しなんて限られているし、確度にも自信がないものです。
その為、善い行いを継続することができなくなることも多々あると思いますし、理解もできます。しかし、一方で、人間の何百年、何千年という営みの中では、善い行いが良い結果に繋がっていることが多々あるのです。
 
たかだか数十年の知見の中で善い行いが本当に無駄にならないだろうか、どうだろうかと悩むよりも、人間の歴史の中での因果応報を信じ、善い行いを続け、積重ねる方がよいのではないでしょうか。結果的に、その方が自分でも想像していなかった良い結果に繋がるように思います。
 

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