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総理大臣は本意では退任できない。再び。

今週の最大のニュースといえば、やはり岸田首相の退任表明だったでしょう。支持率は非常に低かったものの、首相本人は再選に向けて動いていていると多くの人が感じていただけに、唐突、かつ驚きをもって受け止められました。
 
首相の事績については、岸田首相に限らず、常にいろいろな評価はあります。ただ、国が破滅したとかであれば別ですが、一国のリーダーを担われたということに対しては、どういう立ち位置からであれ、敬意と感謝をもつべきだと私は考えます。岸田首相に対しても今は同じ想いです。
 
実は約3年前、菅前首相が退任された時に、noteに「歴代総理大臣の退任理由~なかなか本意で退任できない」という記事をアップさせて頂きました。(ちなみにこの記事、なぜか驚異的なアクセス数を頂いていて、この3年間で2,000アクセスも頂いています(通常は300もあればよい方です)。)

この記事のなかでは、戦後の首相の退任理由を列記したうえで、首相が予め継続しないと表明していて、予定通り退任した「本意の退任」か、もしくは首相は継続する意思がありながら、内外の状況からやむを得ず退任した「不本意の退任」か識別してみました。
 
その結果、戦後首相のなかで「本意の退任」だったのは、佐藤栄作氏、中曽根康弘氏、小泉純一郎氏の3名のみでした(記事のなかでは村山富市氏も本意としていましたが、村山氏も正確には本意ではないと思いますので、この場で訂正します)。
その他の首相は、ことごとく「不本意での退任」になります。ここでの列記は控えますが、(やや不謹慎ですが)歴代首相の怨霊さえ感じそうな退任理由です。
 
考えてみれば、首相という立場は、当たり前ですが、常に内部、外部から評価を受けます。また、常に足を引っ張ろう、という勢力はいつの時代もいるわけですから、「よい結果を残して当たり前、よくない結果となったら大バッシング」というものなのでしょう。そして、そのことが、「不本意の退任」が多い理由にも感じます。
もっとも、岸田首相がよい結果を残した、と言うつもりもありませんが。
そのような宿命をもった座に臨もうとする自民党総裁選立候補者の皆さんも奇特なことです。
 
今回の退任表明については、「また「不本意の退任」の首相が増えたなあ」、というのが率直な感想ですが、「不本意の退任」と後世評価されることを恐れるのも、首相、リーダーのあるべき姿でもないでしょう。
「大バッシングを受けてでも、よい結果を残す」という気概をもったリーダーの出現を期待したいものです。



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