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国が傾くかと思うくらいの教育投資、教育立国しかないのではないか

先週はピータードラッカーの「ポスト資本主義社会」を読んでみました。
本書は、1993年という冷戦が終了した直後に書かれたこともあり、経営に関わることだけでなく、政治や国家のこれまでの在り方や今後の在り方についても言及しており、(ドラッカーにはしばしばあることなのですが)非常に多角的に書かれた一冊です。
 
そんな多角的な内容の中で、印象に残ったことも多角的でありながらも、あえて一番印象に残ったところは、最終章の「知識」です。
 
この前までに、今後は知識社会が更に進んでいき、資本(資金)が知識を利用していた時代から、知識が資本(資金)を利用する時代になると述べています。
要は、お金や設備よりも、知識こそが事業の源泉となるものであり、まさに知識そのものが資本と考えるのです。
優れたビジネスアイデアや情報基盤をもつベンチャーには資金が集まることを考えれば、より納得できると思います。
 
そして、その知識を高度化する為には、学校教育の強化こそが必要と、この最終章「知識」では言っています。
 
私は常々、この国は一度国が傾くのかと思うくらい、教育投資に傾斜してみたら、再度復活するのではと考えています。それは成人までの教育制度に限らず、生涯学習に渡る投資も含めています。ドラッカーも成人以後の学習の必要性についても協調しています。
 
(生涯学習も含む)教育から得られた知識がビジネスに活きてこないという話がもしあるなら、知識が活きるようなビジネスの工夫をしていないだけです(当該ビジネスでは知識が活きないとは言っていません。知識が活きるような工夫をしていないのです)。そういう論調に対しては、なぜ日本のGDPがこの30年で伸びていないのか、よく考えて頂いた方がよいと思います。
 
とはいえ、大学は少子化の流れの中で、「入るのも簡単、出るのも簡単」という絶望的な時代に入る兆候がみえます。生涯学習もリスキニングが唱えられつつも、全体としてはその盛り上がりが大きいとは思えません。
 
一度、国が傾くかと思うくらいの教育投資、教育立国を目指すべきです。そうしたら、傾くどころか、もう一度再興するはずです。

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