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思いやりやいつくしみも、学び、努力し続けることが大事では

子いわく「回やその心、三月仁にたがわず。その余はすなわち日月に至るのみ」
(論語、公治長第五)
(先生がいわれた「顔回は、三月も仁の徳から離れることはない。そのほかの者では、一日か一月仁の徳に触れるだけで永続きしない(仁は身についていることが大切なのだ)」)

 
孔子は、数ある弟子の中でも顔回という弟子を最もかわいがっていました。論語を読むと、少々顔回も恥ずかしがるのでは、と思うほど顔回のことをほめあげています。現代でも使われる「一を聞いて十を知る」は、孔子が顔回のことを評したものです。
 
仁というのは、「思いやり、いつくしみ」ということで、儒教が最も大事にする考え方です。
マンガ・ドラマにもなった「JIN」は「医は仁術なり」から来ているのでしょう。医療においても仁、つまり思いやりが大事ということです。
 
そんな仁について、孔子は顔回は3ヶ月もずっと仁、つまり思いやり、いつくしみを持ち続けた、と言っているのです。その他の人は1日や1月程度しか続かないのに対して。
 
人間は、時々強烈に、人に対して思いやりやいつくしみを持たないといけないと思う時があるように感じます。
それは、身の回りの人を傷つけ、自分自身も傷ついた時。また、近親の人が亡くなった時等々。
 
しかし、その思いがずっと続くかと言われたら、残念ながらそうばかりではないと言わざるえません。時間の経過とともにその思いは風化し、そうした思いは薄れていきます。
 
多少歳を経て思うのですが、思いやりやいつくしみのような思いは、自然の状態で持ち続けられるものでもなく、そうした思いが大事であることを学び、また自分の中でそうした思いを持てるように反芻することが大事なのではないかと思います。
 
それでも、仁、思いやりやいつくしみは忘れがちになります。
そうした思いを持ち続けるということは、人生の中で大きな課題であり、学び、努力し続けることが必要なのでは、と日々感じるところです。

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