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わずらわしいほど率直に言う人を大事にしないといけないと感じる物語

真摯な人、誠実な人ほど率直にものを言うため、わずらわしいと思うこともあると思いますが、そういう人ほど大事にしないといけないと感じる物語があります。
 
戦国時代の武田家といえば武田信玄のもと、「戦国最強」の騎馬軍団として恐れられていました。しかし、信玄の死後、息子の勝頼が承継するものの、織田信長を始めとした周辺国との対立のなかで衰え、信玄の死から9年後に武田家は滅亡(1582年)してしまいます。
 
この滅亡時の経緯を読むと、いつも暗い気持ちとなります。ことの起こりは信玄の娘婿で、勝頼の義理の兄弟にあたる木曽義昌という武将が裏切り、織田家に味方したことから始まります。そこで勝頼は決戦に及ぼうとしますが、最も頼りにしていた側近の一人、穴山梅雪が信長の同盟者である徳川家康に下ったのにはじまり、多くの武将が逃げていきます。決戦どころではありませんでした。
 
そこでいったん重臣の城に退避しようとして、小山田信茂という重臣の岩殿城に入ろうとしたら、入城を拒否されてしまい、逃げ場を失います。
そこからは放浪するように、武田家最後の地となる天目山に向かうのですが、その途中も一人抜け、二人抜けと抜けていき、かつては数万人率いた武田家棟梁のもとには、わずかに43人しか残っていませんでした。その道中も勝頼を撃ちかけてくる旧家臣までいました。
このようなくだりを読んでいると、灰色のような情景しか浮かんできません。
 
そんな時、一人の武将が勝頼を追いかけてきたのです。その武将の名は小宮山内膳。
武田家累代の家臣でした。この小宮山内膳、常々勝頼の側近を批判していたため、勝頼から嫌われ、謹慎を命じられていたのです。
しかし、小宮山内膳が批判していた側近たちが早々に逃げたなか、小宮山は「武田家三代のご恩を果たすために、お供をしたい」と申し出たのです。
灰色のような情景のなかで、一筋の強烈な光が差し込んでくるような思いがします。
この後、小宮山内膳は勝頼とともに天目山で散ることとなるのです。
 
このお話しを読むと、小宮山のように真摯な人、誠実な人ほど率直にものを言うだけに、どうしてもわずらわしいという思いをもつこともありますが、その真摯さ、誠実さを見極め、その意見にも謙虚に耳を傾けないといけないのでは、と思います。勝頼も亡くなる前、小宮山が言うことに耳を傾けなかったことを反省していたかどうかは記録にありませんが、何か感じるものがあったのでは、と想像してしまいます。
 
なお、幕末の水戸藩の学者として有名な藤田東湖は小宮山内膳のことを「あっぱれな男、武士の鑑」とたたえています。もっともなことかなと思います。
(参考文献:「武田三代 信虎・信玄・勝頼の史実に迫る」(PHP新書、平山優著))

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