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仕事に活かせる中国古典

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数千年の風雪に耐え、今なお世界中で評価されている中国古典。現代を生きる私達が「よい仕事」を取組むにあたり、どのような中国古典の教えが活きるのかご紹介できればと思います。
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#リーダー

意見を伝えてもらう為に必要なリーダーの姿勢、発言

「わたしの下す詔勅(※皇帝が出す命令)に、もし妥当適切を欠く点があれば、遠慮なく意見を申し述べるべきだ。・・・指示したことをはいはいと受け入れるばかりで、いっこうに諫言してくれる者が見当たらぬ。まことに嘆かわしいことだ。たんにわたしの下した詔勅に署名をし、下部に文書を流してやるだけのことなら、どんな人間にもできる。」(貞観政要、政体編) 中国古典のリーダーの在り方について書かれた貞観政要の一節です。長文の為、現代語訳の一部抜粋になります。この一節は中国・唐の太宗が政治の中

事業を創るよりも、守ることの方が難しい?

「帝王の事業のなかで、創業と守成といずれが困難であろうか」・・・「一旦、天下を手中に収めてしまえば、気持ちがゆるんで、自分勝手な欲望を抑えることができなくなります。・・・・国家の衰退を招くのは、つねにこれが原因になっています。このような理由で、わたしは守成こそ困難であると申し上げたい」(貞観政要、君道編) 中国古典のリーダーの在り方について書かれた貞観政要の一節です。長文の為、現代語訳の一部抜粋になります。 この一節は、創業と、創業後の事業を守ることのどちらが難しいの

麦飯を食べ、風に飛ばされた紙を追いかけた徳川家康

「君主たる者はなによりもまず人民の生活の安定を心掛けねばならない。人民を搾取(さくしゅ)してぜいたくな生活にふけるのは、あたかも自分の股の肉を切り取って食らうようなもの、満腹したときには体のほうがまいってしまう。 (中略)わたしはいつもこう考えている。身の破滅を招くのは、ほかでもない、その者自身の欲望が原因なのだ、と。いつも山海の珍味を食し、音楽や女色にふけるなら、欲望の対象は果てしなく広がり、それに要する費用も莫大なものになる。そんなことをしていたのでは、肝心な政治に身

リーダーに求められるのは「AもBも」

子はおだやかにしてしかもはげし。威あってしかもたけからず。うやうやしくもしかも安し。(論語、述而第七) (先生は温和できびしさがあり、威厳はあるがたけだけしいところはなく、礼儀正しく丁寧だが安らかできゅうくつなところがない) リーダーにもとめられる素質ってなんなのでしょうか。なにが必要だとおもいますか。 温和なことなのか。 きびしいことなのか。 威厳があることなのか。 たけだけしいことなのか。 礼儀正しいことなのか。 堅苦しくなく、おおらかなことなのか。

リーダーとして、余計な恨みは買わない

子いわく、「伯夷、叔斉、旧悪をおもわず。怨みここをもってまれなり。」(論語、公治長第五) 先生がいわれた。「伯夷と叔斉は(不正を憎んで餓死を選んだほど潔癖な兄弟だが)、古い悪事にいつまでもこだわらなかった。そんな度量の大きさがあったから、人からうらまれることも少なかった」 よくないことは、よくないこととして指摘することも大事ですが、いつまでもそのことを言い続けると、相手が悪いことを自覚していたとしても、よいようには思いません。 「君主論」を書いたマキャベリは、リーダー

マネジメントやリーダーの責任とは

子曰く、「君子は人の美を成し、人の悪を成さず。小人は是れに反す。」(論語 顔淵第十二) (先生がいわれた。「君子というものは、人の美点を励まして向上させ、逆に悪いところは正してなくさせる。小人はこれとまったく逆のことをする。」) これは、シンプルに言っていますが、なかなか実践が難しいものです。 他者を見る場合、心のなすがまま、という事であれば、どうしても悪いところが目に行きがちとなります。ですので、意識して人の良いところ、美点に注目して、更に伸ばしていくことが大事です。

リーダーは自己本位な思いに左右されず、社会で求められる役割を果たす

「顔淵、仁を問う。子いわく、「己にかちて礼にかえるを仁となす。一日己にかちて礼にかえれば、天下仁に帰す。仁をなすは己による、しこうして人によらんや。」」(論語 顔淵第十二) (顔回が人の道である仁のことをおたずねすると、先生はこういわれた。 「自分の欲にかち、礼という規範にかえるのが仁ということだ。一日でもそれができれば、世の中の人もこれを見習い、仁に目覚めるであろう。仁を行うのは自分しだいだ。人に頼ってできるものではない。」) この論語の一節は、論語がリーダーとなる人に

教え込むこと以上にリーダーの率先垂範が大事

子曰く「民はこれによらしむべし。これを知らしむべからず。」(論語 泰伯第八) (先生がいわれた。「一般の人民は、行うべき道について、したがわせることができるが、一つ一つ理由を理解させることは難しい(感化するのがよい)」) 論語の中でも、論争が多く、また誤解も多いと思う一文です。訳も、上記は斎藤孝先生の訳を記載しましたが、私自身、この訳がベストなのかなと(斎藤先生には恐縮ですが)感じるところです。 この一文は、ともすれば孔子が一般の人間を下に見下していたように取られるこ