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仕事に活かせる中国古典

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数千年の風雪に耐え、今なお世界中で評価されている中国古典。現代を生きる私達が「よい仕事」を取組むにあたり、どのような中国古典の教えが活きるのかご紹介できればと思います。
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2022年12月の記事一覧

2022年が暮れ行く中での反省

子いわく「人のおのれを知らざるをうれえず、人を知らざるをうれうるなり」(論語、学而第一) (先生がいわれた。「自分をわかってもらえないと嘆くより、人を理解していないことを気にかけなさい」) 2022年も暮れ行く中で、自分を改めて振返る心境になるのですが、 つくづく自分にはまだまだ他の方から謙虚に、素直に学ぶ努力が足りないな、と反省しているところでした。 他の方が言われていること、取り組まれていることに実は素晴らしいものが沢山あるのに、それを謙虚、素直に取り込め切れ

中庸であり続けるために大事なこと

子いわく「中庸の徳たるや、それ至れるかな。民すくなきこと久し」 (論語、雍也第六) (先生がいわれた「過不足なく極端に走らない中庸の徳は、最上のものだね。だが、人々が中庸の徳を失って久しい(残念なことだ)」) 儒教は、「中庸」であることを大事にします。言い方が難しいですが、バランスが取れ、この文にあるように過不足なく極端に走らないことを大事にしているのです。 歳を多少経て思いますが、人間は素の状態だと、どうしてもその人の志向、性向などにより偏りやすいのではないかと思う

思いやりやいつくしみも、学び、努力し続けることが大事では

子いわく「回やその心、三月仁にたがわず。その余はすなわち日月に至るのみ」 (論語、公治長第五) (先生がいわれた「顔回は、三月も仁の徳から離れることはない。そのほかの者では、一日か一月仁の徳に触れるだけで永続きしない(仁は身についていることが大切なのだ)」) 孔子は、数ある弟子の中でも顔回という弟子を最もかわいがっていました。論語を読むと、少々顔回も恥ずかしがるのでは、と思うほど顔回のことをほめあげています。現代でも使われる「一を聞いて十を知る」は、孔子が顔回のことを評し

「当社の社員は真面目な社員が多いのです」で止まっていませんか

子いわく「十室の邑(ゆう)にも、必ず忠信、丘(きゅう)のごとき者有らん。丘の学を好むにしかざるなり」 (論語、公治長第五) (先生がいわれた「十軒ばかりの村にも、私くらいの忠信の徳を持つ性質の人はきっといるだろう。ただ、私の学問好きには及ばないというだけだ(人は学んではじめて向上する。生来の良い性質だけではだめなのだ)」) 多くの経営者様とお話しする機会がありますが、多くの方が「当社の社員は真面目な社員が多いのです」と言われます。「当社の社員は不真面目な社員が多いのです」