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太陽のような母の事③

介護生活に必要な物を揃えて、
家庭用ナースコールはすごい役立つことが多くなった。
むしろ買って良かったものだった。
母は、食べたいけどなかなかうまく食事がとれず、私も料理が得意ではないので苦戦した。
母にもう少し色んな物を食べてもらいたかったし、飲んでもらいたかった。
ほぼ寝たきりになってからは耳の中の炎症がひどくなり、耳鼻科に通うのが大変になった。
レイノー現象もみられるようになり、
高熱が下がらなかったので、酸素濃度を調べると85パーセントだった。
主治医に相談してすぐ近くの病院に搬送。
何か飲みたいと言っていたけど誤嚥を起こす可能性があり、飲ませられないのがつらかった。
ちょうど地元の病院に、いつも通院している病院の医師が全身状態が悪いと言っていた。
私は20代の時の自分の経験でCT画像が、ほんの少しわかった。
肺炎を起こしていた。腹水がたまっていた。
寒い診察室で一番聞きたくなかった、肝硬変の言葉。
母には黙っていてくださいと。
母は肝硬変を恐れていた。

夜中の2時に帰宅した。
私はあまり眠れなかったため、
翌朝父が付き添い、かかりつけの大病院へ転院した。

今思えば、父にも母にも悪いことをしたと思った。
私も付き添えばよかったのだ。
それは私の中でも一生心に残る後悔であろう。

その日の検査で、いつ何があってもおかしくないと言われたと父から連絡がきた。
できるだけの治療はするが、延命措置はどうしますかと。
母は細かったので、心臓マッサージは肋骨が折れ、
臓器に刺さる危険があり、人工呼吸器は、話ができなくなるので、
延命措置は家族で話し合ってしないことにした。

それから、母の最期の時までの短い入院生活が始まった。

今後、違う記事を書きながらも、
今年中には母の事を記録として残します。


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