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ストーリーと執念で念願の転職

シンガポールできらきらしない生活を送るけりーです。

大学卒業後は専業主婦を3年間行ったのですが、オイシックスに入る前の職歴を作るために翻訳会社に時給900円の契約社員として入社。3年半ほど勤めて、正社員になりました。

最初は保育園代の方がかかったのですが、やめる頃には20万円ちょっとになり保育園代もペイできるくらいに!

今日はずっと思い焦がれていたオイシックスに入るまでの事と、その時に考えてやったことを書きました。

慣れない子育て生活は保育園と定期健診に支えられる


当時は都内に住んでおり、最初は駅前の認可外の保育園に通わせていました。その後一時期保育園が別々になったものの、最後は同じ公立の保育園になることができました。

ただ慣れない育児で結構大変で、今だと笑っちゃうようなことで悩んでいたのを覚えています。

たとえば、上の子が1歳半くらいの頃にものすごく偏食で白いもの(ヨーグルト、はんぺん、チーズ、白米)しか食べない時期に、区の定期健診の際に栄養士の人に野菜を食べずに心配だとリアルに泣きついていました。

その時に言われたのが「こんなに丸々太って元気そうなので心配しなくていいですよ」。

今ならそりゃそうだ、と思うですが本当に当時はものすごく悩んでいました。その意味で定期健診の栄養士さんや小児科との先生との会話は本当に救われました。

1歳までだとかなり頻繁に定期健診があるのもよかったです。あれは新米の親にはかなり有効ではないかと思っています。

それに加えて、すごく心強かったのが保育園の先生です。いつでもちょっとしたことでも相談できたり、声をかけてもらえることは地味に大切でした。

お世話になった先生が異動になった際は、これからどうすればいいんだろう?本当にお先まっくらと号泣するくらいでした。

当時は、26歳で子供は3歳1歳くらい、ホント若かった!

オイシックスへの転職


子育て翻訳会社で3年ちょっと働き、よし、これでオイシックスを受けようと思い中途採用で応募。

ただし、その時はMD(商品企画)で経験者の募集でした。

一次面接は当時商品企画部にいた女性で、今では役員になっています。面接では「食の履歴書」というパワーポイントを用意して、いかに自分が食に興味があるかを今までの食のエピソードとともにまとめたものをもっていきました。

受け取ってはくれたけれど、別に面接中にそれを開くわけでもなく、見てくれていたかも怪しい。

3次面接は宏平さん(オイシックスの社長、高島宏平さんのことを社員はこう呼んでいました)と取締役で、子供のころからの生協ユーザーだったのでコープデリと当時は競合だったらでぃっしゅや大地宅配の話を含めたディスカッションをしました。

専業主婦時代はオイシックスを受ける時のために、競合調査も含めて食品宅配サービスは一通り試して複数使いをしていたのでユーザーとしては比較的分かっているほうだったと思います。

コープデリ、東都生協、生活くらぶ、パルシステム、大地宅配、らでぃっしゅぼーや、全部試して、サービスの特長やよしあしなどを把握。

個人的にコスパとクオリテイーが一番よく、デイリー使いしたのは東都生協です。精肉と野菜のレベルが高い。 

強みとメリットとストーリーを大切に


初めての転職というよりももはや就職なのですが、その時はもちろん今でも意識しているのは、仕事関連で話をするときは、自分の強み、相手へのメリットを必ず伝えること。

そして、それに加えてストーリー。

この強みとメリットとストーリーは常にかなり昔から気を付けています。
 
初めて意識したのが、イギリスの中学受験の時です。日本でいう小学5年生の時にYear7(11~12歳)の中学入試のようなものがあるのですが、私もその際に中学受験をしました。

当時住んでいたのは日本人とユダヤ人が多くJJ地区(Japanese and Jewish)と日本人界隈で呼ばれていたBarnetで、近所の公立の名門女子高Henrietta Barnetと私立のNorth London Collegiate School(NLCS), Channing Girls School, South Hampstead Girls Schoolを受けていました。

エリアでは一番難しいいわゆる難関校で、Henrietta BarnetとNorth London Collegiate Schoolには面接があり、それ用に自己アピールのためのエピソードを準備したのです。
 
その時自分が考えたアピール文はこんな感じでした。

私は、好奇心が旺盛で、分からなかった場合はすぐに調べて、それを実行します。こんな私なので中学に入ったら新しいことに積極的に取り組み楽しい学校生活を送りたいです。

それを示すエピソードとして、親がゴルフ帰りに持ち帰った野生の雉を、家族が全員ドン引きする中日本にいる祖父に捌き方を教えてもらい、捌いておいしく味噌汁にして食べました。

だいぶ、マニアックな例なのですが、これをアピールとその根拠としてセットで準備し、どんなことでも好奇心をもって楽しめることを示す自己アピールとしていました。
 
あとは、ネットボールでずっと学校のチームに入っていて対外試合などにも出るレギュラーであることを挙げていました。
 
結果、全部の学校から合格をもらい、NLCSに通いました。

環境も含めてものすごくよい学校で、戻るならこの頃に戻りたいと思う人生最高な時期でした。本当はそこを卒業して、イギリスで美術系の学校に行きたかった・・・。

なお、NLCSは最近積極的に海外進出をしており、チェジュ、ドバイ、ベトナムとシンガポールに分校があります。シンガポールだと共学なので子供を入れたいのですが、学費が年間600万円くらいなので現状費用的に無理です。シンガポールにずっといてこの学校に通わせるのが個人的な夢。

自分の中でストーリーを持つ


転職という場面では、スキルや実際に出した成果ももちろん大切なのですが、やってきた経験がきちんとつながっていることを示すためのストーリーは本当に大事だと思っていて、いかにそれを他人に分かりやすく示すことができるかも肝だと思います。
 
よく点と点をつなげる、みたいに言いますが、それ。

どちらかというとつなぐ、というよりもどうつながっていると見せるか、ということかと思っています。

6つ点があったらそれをジグザグにつなぐ人もいるし、円形にひとつにつなぐかもしれない。どのようにつなぐか、はその人。
 
自分の経験や強みという点をどのようにつないで見せるかのストーリーテリング力は持っておくと本当によいです。

他人に今までのキャリアを話すときは常に意識しています。ストーリーという形で言語化することで、自分の中でも改めて意味づけができるし、他人も聞いてすっと頭に入るようになるので、とてもおすすめです。

そんな形で、今までの食への思いと経験をストーリーとして語りつつ、オイシックスへの愛を伝えて無事7年越しの思いを叶える形で2010年の4月にオイシックスに入社しました。募集していたMDではなく新規事業開発室で職歴はない扱いで新卒と同じ月給25万円という条件でしたが、夢が叶った瞬間です。当時は30歳で子供が5歳と3歳くらいでした。


働くことやキャリアについていつかきちんと書きたいと思っていたので、少しずつ書いています。

誰か必要な人に届きますように。
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