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予期せぬ妊娠中に見つけた目標を7年間追い求めた

シンガポールできらきらしない生活を送るけりーです。
 
私には4人の子供がいるのですが、一番上の子は20歳で、大学4年の後期に出産しています。上の子たちと私は全員同じ月に生まれているので、22歳になったその月に長女を出産という形です。

今までの職歴などについては、こちらに書きました。

今回は、予期せぬ妊娠をし、出産をすることを決めてからのことを振り返りました。

意外と本質は変わっていない 


妊娠出産、その後も色々と普通の人が経験しないことが山のようにあったわけなのですが、振り返るとやってきたことはとてもシンプル。

どんな状況でも、ありたい未来の状態を決めて、その状態に今いない理由を特定。そのありたい状態に、どうやったらたどり着けるか考えて、今できることをやる。

これだけ。

これを本当にいつでも愚直にやってきました。
 
実はこれは、ゴール設定、課題特定、仮説策定、打ち手策定、実行、というコンサルティングの基本動作だと思っています。
 
私はコンサルティング未経験でアクセンチュアの戦略部門に入って今でもコンサルティングという領域の仕事をしているのですが、結局私生活ではずっとこの方法で似たようなことをやってきたのかもしれない、と後で思いました。

もちろん、当時は気づかなかったのですが、実際にコンサルティング会社で働いてから、もしかしたら似ているのかもと気づいたのです。
 
もちろん仕事とプライベートは違いますし、課題の難易度も比べ物になりません。
 
でも考え方や一連の流れは通じるものがあると思っています。
 
知らず知らずのうちにそういうことをやってきたので、コンサルティングという物に活きたのかもしれません。
 
妊娠が分かってから、オイシックスに入るまでの足掛け7年もまさにこれでした。
 

マーケティングをやりたいと思っていた大学3年時に妊娠


一番上の子を産んだのは大学4年生の時で、妊娠が分かったのは大学3年 2月3日、節分の日で電通へOG訪問に行く朝、新橋の駅で妊娠していることを確認しました。

今考えるとあの検査薬はどうやって持って帰ったのだろう。捨てなかったとは思うけれど、OG訪問のバッグに陽性の妊娠検査薬が入っていると考えるとシュールすぎて面白い。
 
当時は、法学部の政治学科に所属してたのですが、メディアコミュニケーション研究所に所属してダブルゼミをしていました。マーケティングがと小売り消費財に興味を持っていました。

なので、第一志望群はP&Gのマーケティング、電通の外資との合弁会社ビーコンコミュニケーション、三井物産でした。
 
自分の中では企業のマーケティングは自社のプロダクトを世の中および消費者へコミュニケーションするものだという理解で、その伝えるという部分に魅力を感じていたため。
 
帰国子女でコミュニケーション、そして伝えるということに関して色々な経験をしたことがコミュニケーションの一種であるマーケティングに興味をもった理由です。

そして、扱う商品は日々の生活で手に取るような身近なものがよかったので、小売消費財のメーカーやそれを扱う企業がいいと考えていました。

あとは、英語を使いたかったこととカルチャー的にも外資がよいのではないかと思い割とピンポイントで決めていました。
 

就活を本格的に始める前に就活が即終了


しかし、さあこれから就職活動、というタイミングで妊娠したことで、普通に働くという道は完全に断たれて終了!

今では0歳から保育園に入れることも特別なことではないのですがなにせ20年前、自分も周りの大人も産んだら母親が面倒を見るというような意識だったように思えます。

とにかく、保育園に預けて働くという選択肢が頭をよぎることすらありませんでした。なので、妊娠→出産→働かない、ということが妊娠が分かったタイミングで決定。産まないという選択肢も自分も含めて周りからも出なかったので悩まず確定という形でした。

時代もだいぶあると思うのですが2003年なので、保育園事情というより女性が働くというに関しては今とは全く違います。

3年間の専業主婦生活約束する


働く気満々で、中学の時からよい会社に入って働くことがすべてだと思っていたのですが、学内結婚した同い年のパートナーに「親が共働きで小さいときに親が不在でさみしい思いをしたので3歳までは家にいてほしい」という希望があったため専業主婦に。
 
よく考えるとさみしいという感情を持つのはもっと先なので、3歳以降の方が家にいた方がよいのでは、と今ならつっこめますが当時はそうか、と思っていました。
 
ただ、私が働きたいということはよく知っていてP&Gの神戸インターンに参加していた時も「神戸だったら遠距離だね」などと言いながら応援はしてくれていました。
 
産むと二人で決めた時も、3歳になったら絶対に子供を預けて働きたいし、それからは仕事を頑張りたい。その後にまた妊娠出産して仕事にブランクをあけるということはしたくないと伝えていました。
 
そして、子供は複数いた方がいいが、この先にまた仕事ができない期間は作りたくないと話していて、それなら年子は難しいだろうけれど2歳離れで子供を持とうとなり、逆算して2歳0か月離れで2人目を出産しました。
 
これはお互い年齢の近いきょうだいがいたので、兄弟はいた方がよいと意見が一致していたこと、そして幸運にも予定通り妊娠、出産をすることができるというラッキーが重なってできたことです。

これは本当に恵まれていたなと思っています。
 
ちなみに、この2人目に関して決めたのは、1人目を妊娠中のことです。

オイシックスとの出会い


妊娠が分かってからは、大学3年までに1単位を残し全部取っていたので、大学4年の前期は週3回学校に通い趣味の科目(アフリカ文化論や帰国子女向けの英語など)を取り、週2回はマタニティ水泳とマタニティエアロビに通うという生活をしていました。

学生をしながらの割と楽しい妊婦生活。当時のマタニティ水泳のメンバーで家でランチ会開いたり、結構アクティブに動いていました。

そして、後期は1度も出席をせず、そのまま卒業。卒業式は、子供が6ヶ月で授乳中だったので胸が張って仕方がなく大変だった思い出です。
 
そんな頃、2003年に食材宅配を検討している際にオイシックス(今はオイシックス・ラ・大地)というECの食材宅配会社を知ります。
 
そしてなぜか「この会社は絶対に伸びるから、ここで働きたい」と強烈に思い、オイシックスで働こうと決めました。オイシックスは創業2000年なので、いったいどのように見つけたのかは謎で、なににそんなに惹かれたのか思い返しても不思議なのですがそのように思っていました。
 
ただ当時は中途採用のエンジニアしか採用しておらず、私も妊娠中。さらに、3年間は専業主婦をする約束でした。どう考えても働けません。
 
そこで考えたのは、オイシックスの前に職歴を作り、その後オイシックスの中途採用に応募するということです。よく、3年働くと転職できるというので、まずはどこかで3年間働こう、ということ。

あのありたい未来からの流れでいうと、 
その時のありたい未来は、オイシックスで働くこと(ゴール)。
課題は今は職歴もないし、採用されそうにないということ(課題)。
 
そこで、オイシックスにこの先入社するためには、まず出産し2人目を2学年離れでさくっと産み、3歳と1歳になったら仕事を始める、そこで3年間働いてからオイシックスを受ける、という物でした(打ち手)。

新卒で未経験で子供2人というハンデがあるので、普通の就職は厳しいだろうから唯一のアセットである英語力が評価されそうな国際法律事務所か翻訳会社に入り、そこで3年間働いてからオイシックスを受けるるのがいいのではないか(仮説)。
 
そして、3年後に1社目の職歴を作るためには、それまでに履歴書に書くものを増やそうと思い、取っていなかった英語系の資格を取り、翻訳の通信教育をはじめました(実行)。

オイシックスで働くことを夢見て過ごす


英語関連資格だとイギリスから帰国してすぐに英検準1級を中1で取り、その後一度英検1級に落ちていたまま放置していた状況なので、まず英検1級を取ろうと決定。
 
TOEICは在学中に980点を取っていたので、英検1級、国連英検の特A級とA級に狙いを定め子供が1,2歳の頃に全部取りました。

といっても、帰国子女なので長文や作文などは楽勝でただひたすらに単語だけを暗記するというようなスタイルで乗り切りました。
英検1級の単語って難しいんですよね、たぶん今はほぼ忘れています。

でも一応ちゃんとやったため、得点もよかったらしく1級は「優秀賞」かなにかの賞状が後で送られてきました。
 
あとは翻訳関連もやっておこうと思い、自宅でできるDHCの出版翻訳の通信教育を修了。
 
そして、新聞の日曜日の求人欄を常にチェックして法律事務所と翻訳関連の求人を見たり、オイシックスの採用ページを見ながらオイシックスで働く日のことを妄想しながら過ごしていました。

心の支えとなった壮大な計画

今考えると結構壮大な計画で、実際に2010年に入社するまで、よく7年もその気持ちを失わずにいられたなと思うのですが、ずっとオイシックスのことを思いつつ過ごしていました。

ゴール設定→課題特定→仮説出し→打ち手策定→実行

これは結構物事のすべてに使えると思っているので私は常にこれで考えて整理しています。

キャリアの相談などでも基本これにのっとって進めているのですが、実はゴールに到達したいと本当に思っている人は少ないのではないかと思います。

そもそもゴールが明確ではなかったり、そこになぜ行きたいのかを真剣に考えていないことも多々あります。

それは、よい悪いではなく単純にそのタイミングではない、というだけだと思っています。でも、そのような場合は当然ゴールには届きません。

でも、理由はなんであれ強烈にゴールに到達したいと思っていれば当然行動するし、その結果自分の望んでいる結果が得られやすくなる気がしています。

もっというと、たとえ望んでいるというか当初想定していた結果でなかったとしても自分が納得できるので、ゴールの明確化とやる理由をしっかり言語化して自分の中で落とし込むことは大事なのではないかなと。

まわりは大学を卒業して名の知れた会社で働き、きらきらしている中、働きたかったのに専業主婦をして慣れない育児とワンオペ生活をして、悩むことも多かったのですがこのオイシックスに入りたい、そのために今やれることをやっている、というのが根本にあったので乗り切れたのではないかと思っています。

それくらい、オイシックスに入りたいというゴールとそれに向かってやることをやっている、ということ自分を支えてくれていました。

とはいえ、実際は慣れない育児に奮闘し、料理を学んだり、洋服作ったり、公園行ったりという生活です。

家のことをするのも結構好きなので、楽しかったです。むしろ今もう一度全く働かなくてよいなら、専業主婦やりたいですね。楽しそう。


働くことやキャリアについていつかきちんと書きたいと思っていたので、少しずつ書いています。

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