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ワインにマナーは必要か

今日は少し持論を展開したい。

ワインはよく「堅苦しい飲み物」と言われる。

やれグラスの持ち方はこうしなさいとか、やれワインの色を見なさいとか、とにかくワインには作法のようなものがまとわりつくものだ。

堅苦しいイメージと、なにやら小難しい作法がありそうだという前評判のおかげで、たかがお酒であるはずのワインの参入障壁はとてつもなく高くなっているのが現状だ。

「ワインのマナー〇選」「ワインの飲み方NG集」といった記事や本を見たことがある方も多いだろう。見たことがないという幸運な方は、試しにgoogleなどで「ワイン マナー」などと検索してみてほしい。

代表的なものをいくつか挙げると
・ワインを注いでもらうときは必ずグラスを置きなさい
・香りの強い香水をつけてはいけない
・グラスを持つときは脚(ステムといいます)を持ちなさい
・手酌はしてはいけない

などがある。しかし果たしてこういった作法は必要なのだろうか?

少なくとも、ワインを楽しむためにこんなマナーを覚える必要は一切ない、とぼくは思っている。もちろんプロの試飲会などに香水やたばこの臭いを身にまとってくるのはご法度だが。

ではなぜこうしたマナーが広まっているかといえば、それはワインではなくレストランという場所におけるマナーが必要だからだ。格式の高いレストランでの食事、とりわけ接待やデート、会食などにおいて、最低限のマナーは欠かせない。それでも、あくまでTPOにふさわしいマナーが存在しているだけで、ワインを楽しむ行為そのものに付随しているわけではない。

例えば、ソムリエがいるようなフレンチレストランでは、ワインを注ぐのはソムリエ(又はギャルソン)の仕事であって、お客が自分で注ぐのはマナー違反などとと言われる。だがこれは客側の作法というよりレストランのサービスという側面が強く、カジュアルな町場のビストロなどでは自分たちで注ぐのが普通だ。さらに自分たちで注ぐ場合も「ワインは男性が注ぐものである」と思われがちだが、それはヨーロッパ文化圏での話であり、日本人がことさらにそれを強調する必要はないし、正直なところ時代錯誤だなと感じてしまう。瓶ビールは女性が注いでワインは男性が注ぐ・・・というのもなんだか滑稽に見える。

つまり、巷で見かけるワインマナーの多くは、あくまでレストランでのマナーの一部ということだ。そしてワインよりも大事なことは山ほどある。それは服装や身だしなみ、話し声の大きさ、立ち振る舞い、カトラリーやナプキンの扱い方といった基本的なマナーであり、ワインマナーだけを付け焼刃で勉強するよりも、むしろそちらを大事にしたほうがずっとずっとスマートに見える。さらに言えば、基本的なマナーがきちんとしている人は、たとえワインを知らなくても周りの動きを注意深く見ることで自然と美しく振舞う方法を会得していることが多い。(残念ながらワインマナーをなまじ知っていることで場の雰囲気を壊してしまうことも、長いワイン人生には起こりえるので注意したい)

そんなわけで、気心の知れた友人たちとカジュアルなレストランや居酒屋でワインを楽しむにあたっては、何ら身構える必要はないとぼくは思っている。

ワインは最も歴史が長く、そして最も身近なお酒の一つとして世界中で愛されている。日本人が思うほど、堅苦しいものであるはずがない。


ただし。
一つだけ、これだけは守ってほしいと思うことがある。
マナーというより、掟だといってもいい。
それはワインをつくった人への感謝の気持ちを忘れないことだ。

全てのマナーには理由がある。
もし「ワインを楽しむ」ことにマナーがあるとすれば、そのマナーが必要な理由は「ワインの美味しさを台無しにしないため」だろう。

つくった人に思いを馳せ、感謝の気持ちを持てば、自然と「一番美味しく飲んであげたい」と思うようになるのではないだろうか。

それが1,000円のワインであれ10万円のワインであれ、ワインの原料であるブドウは誰かが汗水流して育てたものだし、それを誰かが丹精込めて仕込んだものが、ワインなのである。
つくった人への感謝の気持ちを忘れない。
これはワインに限らず、全ての食べ物、あるいは作品に言えること。

マナーなんてない、ルールなんてない。
でもそれは、好き勝手していいという意味ではない。
作り手に感謝、ワインに愛情を。
その上で自由に楽しんでもらいたい、そう思います。

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