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煉獄さんがいる世界を取り戻したい・・・日本人にとっての「鬼滅の刃」ブームが意味するもの(後編)

(トップ画像はジャンプコミックス”鬼滅の刃”8巻より)

「鬼滅の刃」の話2つ目です。1つ目はこちら↓

一個目の記事では、

・「炭治郎くんの、あらゆる個人を個人として敬意を表する紳士的な振る舞い(特に黒子の人たちや元人間だった鬼たちへの敬意を失わない振る舞い)」

・「単なる男社会への恨み言・・・ではないほんとうのガールズエンパワーメント」

の2つが、「鬼滅の刃」の女性作者らしい特徴じゃないか・・・という話でした。

で、今回はもう一個、「無限列車編」の主人公といっても過言ではない「煉獄杏寿郎」さんについて書きたいんですよ。

さっきの「前編」の記事で書いた炭治郎くんと胡蝶しのぶ・・・には、非常に「今までのジャンプ漫画にない可能性」を感じた・・・という話だったんですが。

「煉獄さん」についてはむしろ、「過去のジャンプ漫画にあった理想のエッセンスを、現代的に再生した」可能性を感じるんですね。

1●鬼滅の刃世界における空条承太郎=煉獄杏寿郎

煉獄さんって相当クセの強いキャラクターですよね。

なんか「柱」の人たちってたいていそうなんですが、ちょっとそもそもコミュニケーションがあんまり成立しない感じの(笑)

「こうだからこうだ」という「単に事実、正しい意見」を曇りなく公平にズバッというけど、その話の「受け手」のことをあまり考えるタイプではないというか。

「無限列車編」の最初でも、炭治郎くんの名字間違えるし(笑)、

「うまい!」「知らん!」「そうか、しかしこれはこうだな」「この話はこれで終わりだな!」

みたいな、徹底的にマイペースすぎて、

「君はこういう風に考えるかもしれないし、その気持ちもわかるけど、でもこういうことはどうしても大事だしグダグダグダグダ」

みたいな、現代人的に推奨される「コミュニケーション上の手くだ」を全然持ってない。

確かに煉獄さんって凄い自分に厳しくて公正公平に理想を貫こうとするし、とにかく「味方として頼りになるぅぅぅ」という存在ではあるんですが、ただ存在が「自己完結」しすぎているところがあって、こういう存在って、現代社会では結構居場所がない感じになると思うんですよね。優しさがない、思いやりがない・・・みたいな感じで。

今書いてて「煉獄杏寿郎」と「空条承太郎」ってなんか言葉の字数も響きも似てるなあ・・・と思ってしまったんですが、空条承太郎も未来のアメリカでは奥さんとうまく行かなくて娘に誤解されて・・・みたいになってたりして(笑)

だから「古い少年ジャンプ文脈」ではよくある「本当の理想」みたいな存在だったのが、果てしなく流動化して全方位的な「優しさのフリ」が求められる現代社会において居場所がなくなっていってしまったキャラクター

・・・みたいなのを、

女性作者ならではのオリジナリティによって現代社会に再生した・・・のが煉獄杏寿郎

だと思うわけです。

2●「しんどい役回り」に人を手当する社会運営上の知恵について

今の時代の「意識高い系」の基本的方向性として、

「作られた女性らしさ・男性らしさといった呪縛からの解放」

みたいな志向性って、もう疑い得ない絶対の真理みたいになってるところがありますよね。

古い時代の「規範」が今の時代の「個人」の幸せを無意味に妨げているならば、それはどんどん変えていくべき・・・というのは全くそのとおりだと思うし、それが常識化するまではその事自体を強く強く主張するムーブメントにも意味があったと思うわけですけど。

ただ、この記事の前編でも言ったように、

「女性らしさ規範・男性らしさ規範というものが、社会マネジメント上果たしていた機能」

みたいなのもまたあるわけですよね。

そういうのを理解せずに、単に「誰かが自分のエゴで誰かを抑圧するために作り出された邪悪な風習だったのだ」みたいな感じだと、

「人工的な理屈を無理やり全員に当てはめて強制するファシズム的ムーブメント」

は作れるかもしれないが、

「個々の生身の人間の微細な違い」をちゃんと丁寧に拾い上げて社会の中で花開かせていく・・・ようなほんとうの優しさを持ったムーブメント

を生み出すことは決してできない。

ヒメジマさんが

「貴様の下らぬ観念を至上のものとして他人に強要するな!」

って上弦の壱に対して言ってましたけど、まさにそういう問題があるわけです。

で、何らかの「らしさ規範」みたいなものがあることの意味は色々あるけど、「ほうっておいたら誰もカバーしない領域」に人を手当する・・・ってことが大きいと思うんですよね。

女性が「ケア役割」を押し付けられる問題がある・・・というのはまあ正しいとして、それを本当に解決していくには、「古い社会の抑圧を非難する」だけではなくて、「ちゃんと必要なところにボランティア的でなくケアが行き渡る仕組み」を何らか作り出す必要がある。

また、社会には、軍人とか消防官とか、あとは重労働だけど誰かがやらなくちゃいけない類の色んな仕事とか、そういう「成り手を見つけるのが難しい仕事」ってのが結構あるわけですけど。

「男らしさ規範」は、そういう「損な役回り」を担う存在をちゃんと大事にする効果・・・を持っていたりしたはずですよね。

「らしさ規範」みたいなものは、そういう社会内部の人材マネジメント的な深い合理性が眠っているわけだから、「単なる誰かのエゴ」だと非難するだけでは解決できない。

形式的な「非対称性」をあげつらって非難することは物凄く安易にできちゃうわけですが、そういう「他責性のモンスター」的なムーブメントでは、

社会が生身の色んな人の集合体であることを理解して、色んな「役割」を相互に承認しあいながら、それぞれの個人が「心理的に強烈な無理」をしなくても暮らせるような調和を実現すること

・・・はとてもできない。しかし「それ」に踏み込めないなら、もう社会は中国型のゴリ押しの強権で統治するしかなくない?みたいな状況に人類社会が追い込まれつつある今、「鬼滅の刃」的世界観をちゃんと「メジャーなもの」として持ち上げていく私たち日本人社会の本能の価値も、今後は正当に評価される流れになってくるだろうと思っています。

3●「引き受けてくれる存在」を押し上げることでみんなが楽になる構造・・・を軽視しすぎていないか

「柱なら、誰であっても同じことをする 若い芽は摘ませない」

って煉獄さんがいうシーン、映画の中で本当に色んな人が「号泣した・・・」ってSNSで言ってましたけど、なんか、そういうのってやっぱりある程度「人工的な規範」で持ち上げていかないと、社会の中から簡単に消滅してしまう価値だなと思うわけですね。

もちろん、それが過剰な抑圧にならないように・・・というバランスを常に考えながら・・・ということではあるんですけど。

ああいう「引き受けてくれる存在」っていうのは、人間社会があらゆる個人vsあらゆる個人の永久的な勢力争い・・・という方向に流れてしまうと、社会の中からまっさきに消滅してしまう存在なわけですよね。

もちろん、そういう「規範」が良くない抑圧に繋がっていく懸念・・・みたいなのを持つ人もいておかしくない問題ではあって、自分もこの鬼滅の刃に関する「前編」の記事に比べたら、こっちの後編の方は「どこまで確信を持って主張していいのやら」と迷っている部分は正直言ってあります。

ただ一つ言えるのは、

今の時代の「差別反対運動」的なものは、むしろ「本当の個の多様性」に対して抑圧的になりがちだ・・・・っていう問題意識なんですよね。

あらゆる「非対象性」みたいなものを排除し、「あらゆる条件を万人に同じにするべき」みたいな規範を決して疑いえないものに持ち上げてしまうと、

「煉獄家」のひとたちの、「煉獄さん」も「弟」も「父親」も、「みんな同じ生き方」をしなくちゃいけない・・・みたいな構造になりがち

じゃないですか。それは生身の個々の人間の「本当の多様性」をちゃんと社会の中に引き上げることが可能なしくみになっているだろうか?ということは今の時代ちゃんと考えるべきだと思っています。

4●本質的な平等志向を、形式的な平等に乗っ取らせないことが大事なのでは?

なんか、映画の特典で最初期入場者は特別の読み切り漫画冊子が配られていたそうで、僕は遅め(といっても公開一週間以内なんですが)だったんでもらえなかったけど、もらった人に読ませてもらったんですけどね。

それは、煉獄杏寿郎が、

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百人が百人口を揃えてその才能を認め、褒め称える者でなければ、夢を見ることさえ許されないのだろうか

強烈な才能と力を持たない者の、夢を叶えるための努力や

誰かの力になりたいと思うその心映えには

何の価値もないのだろうか?

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という悩みを抱えながら成長し、鬼殺隊に入って最初の任務に行く話・・・だったんですけど。

全体的に、煉獄さんよりは「実力」は弱いかもしれないが、誰かのために必死になって「鬼の弱点」を教えてくれた同僚の隊士を「立派な人だ」って思う・・・という話だったんですよね。

そういう「本質的な意味での平等性」にちゃんと目を向けることができれば、「立場とか形式上の平等性」に無理やりこだわり続ける必要が減って、「強い人がちゃんと弱い人を助けられる」構造に自然とみんなが乗っかれるようになるんじゃないか・・・とは思っています。

>>>

強いものは弱いものを助け守る

そして弱い者は強くなり、また自分より弱い者を助け守る

これが自然の摂理だ!

<<<

↑これは映画にもあった炭治郎くんのセリフですけど、なんかこういう「土俵際でちゃんとみんながお互いを労り会えるように導く」ための幻想というか共有ビジョンというか、そういうものをなんとか取り戻していくことが、これから大事なんじゃないかと思うわけです。

なんかこう、「実力や才能には当然のごとく差がある」わけで、「そんなのないよ!」という話を無理やりでっち上げていくのも結構たいへんじゃないですか。

でも「それぞれなりに生き方をちゃんと立派にしていくことはできる。その点では平等なのだ」みたいな理解の仕方・・・って、ちゃんと社会が「そういう美徳のあり方」にコミットしておかないとどんどん消えてしまって、果てしなく個人同士のエゴの争いだけが残ってしまう不幸にまっしぐらなわけですけど。

そこの「本質的な平等」に目を向けることで「形式的な平等」にこだわりすぎて本末転倒になるのを避ける道がありえるのではないか?とは思っています。

5●「尊い存在」を「推す」カルチャー

「日本のアイドル」文化のこと僕はそんなに詳しくないですが、「オシ」とか「尊い」とか言うカルチャーありますよね。

「尊い」存在って、単なる「個vs個」しか存在しない泥沼の競争環境の中ではあまり「トク」しないところがあるわけですけど。

でも「みんなのための尊さ」を実現している存在を「みんなでオシ」て持ち上げていくことで、単に「個の集合体としての社会」という構造ではありえなかった「生きやすさ」を実現していくことができるはずで。

煉獄杏寿郎みたいな存在を、潰してしまわないで、コミュニケーションが多少苦手なところはまわりがフォローしてやって、そして「みんながみんなのために」お互いを補い合える社会になっていけるといいなと思います。

煉獄さんがいなくなって「煉獄ロス」だわ・・・って言ってる人たくさんいるんですけど、この社会に「煉獄さん」みたいな存在をちゃんと取り戻していけるかどうか、みんなで工夫していけるといいですね。

今回記事の無料部分はここまでです。

以下の部分では、なんか、うちの父親って凄いコミュニケーション下手で、とにかく母親と会話が全然成り立ってない人だったって話を煉獄さんを見ていると思い出すという話をします(笑)

いきなりなんだ・・・って感じなんですが、そういう時に「子供」って結構「かすがい」役っていうか、お互いのコミュニケーションロスをなんとか補完したい・・・みたいに動いちゃうと思うんですけど、

「そういう事を子供にさせるべきでない」

っていうのが最近のトレンドになりつつありますよね。

まあ、潰されちゃうならそういうことしなくてもいいけど、でも自分は、「父親が担っていた役割」ってやっぱり大きくあるな・・・と思っていて、「そのことを母親にもわかってほしい」ってずっと思って生きてきたな・・・という話をします。

そこで、「欧米由来の過去20年の意識高い系」とは違う形のソリューションがありえるんじゃないか・・・みたいなことを、少し書いてみようと思っています。

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