「できない」ではなく「しない」
私は現在41歳ですが、ずっと喫煙習慣がありました。まだラークマイルドが1箱230円だった時代からです(現在は460円)。その頃からタバコは体に悪いものという宣伝はありましたが、悪いことにちょっと手を出してみたくなる年ごろだったのでしょう。反町隆史やキムタクの吸いっぷりにも憧れて吸い始め、20年以上喫煙習慣が続いていました。厳密にいえば、途中で禁煙にチャレンジしたことは何回かあります。小さなチャレンジは3日程度で挫折しましたが、周りに宣言することで1か月以上続いた禁煙も2回ほどありましたが、結局の飲みの席で1本吸ってしまいそこから見事に禁煙が破られたように思います。
2019年の10月21日からタバコを吸っていません。きっかけは、愛用のアイコスが壊れた事です。修理に出すのも面倒だし、最近タバコも高くなってきたし、2020年4月から都内で禁煙条例スタートするし、マラソンにもエントリーしているし、せっかくだから禁煙するかと、何の気なしに持っているタバコを捨てました。そこからタバコを吸っていません。一本も。
それまで、1日1回腹筋や、1日1分運動する、1日1ページ本を読むなど、小さな「良い」習慣創りで成功体験を積んでいたので、「自分はやればできる子」という感覚が芽生えていたのは禁煙に役立ったことは間違いないのですが、もうひとつ自分の中に言い聞かせていたキーワードがありました。「自分は吸わない子」と言い聞かせ続けていたのです。禁煙してからしばらくは、それなりに吸いたい欲求が芽生えます。そのたびにガムを口にすることで紛らわせていました。ただ、飲みの席ではそういうわけにはいきません。接待などの会食で急にガムを噛みだしたら、お店にも、先方にも、喧嘩を売っているとしか思われないでしょう。そういう時には、「自分は吸わない子」とつぶやいていました。
これまで、禁煙したときに誰かにタバコを勧められたら、「今禁煙中だからタバコを吸えない」「我慢している」と答えていました。今は、「私、吸わないので」とドクターXの大門美知子ばりの切り返しをしています。これが大事なのです。「吸えない」は、本当は吸いたいけど、、、I can’t…I’m sorry…という想いが込められてしまうのです。タバコへの執着がを前提としているのです。一方で「吸わない」は、そもそも自分はそういう人間ではない。という考え方です。
私たちは犬は食べません。国によっては犬を食材にしている国もあります。食は文化なのでそういった国を軽蔑することはありませんが、「犬でも食べませんか?」と聞かれたら、「私は犬を食べないです」と軽やかに応えるでしょう。美味しいかどうかの問題ではなく食べないのです。自分はそういう人間だから食べないのです。「食べたいけど食べられない」ではないのです。禁煙も一緒です。禁煙という言葉ですら、すでに「タバコを吸う人間」という前提をおいてしまっているので使っていません。禁じられたら人は手を出したくなるもの。止めようとするのではなく、自分はこういう人間だと信じ込ませる事が大事なのです。もし止めたい習慣があるならば、「自分はやればできる子」「自分は〇〇しない子」とチャーミングにつぶやいてみると良いかもしれません。