見出し画像

校則

今日の山陽新聞に校則についての特集があった。

そもそもその記事について思うことを書こうとラップトップを立ち上げ、タイトルを入力しようとしたところ、IMEの変換候補に校則はない。こんなマイナーな概念が(まあIMEはそんなに日本語はお得意ではないが)、我々が生徒であった時代から変わらずに残っていること自体で、ほぼほぼ文化財で、保護の対象にせざる得ないかもしれない。

変えたくない理由は基本的に現状維持バイアスに基づくものとしか思えない。また、学校教育とはそもそも同一性を美徳とすることがいまだに根強く、と現状の分析をしており、これは個性を重んじる教育指針と異なる。理想が上滑りしている状態を物語っているのではないだろうか?

見直しができない理由の一つとして時間がないことが挙げられている。確かに、先生は忙しいだろうが、あまりレベルの高い言い訳ではないように思う。先ほど述べた学校の教育方針の正義”個性を重んじる”と現状のギャップを埋めるための認知的不協和への言い訳であろう。

この程度の理由であれば、そしてその運用の弾力性(校則通りに実際には運用していない)、校則その物の重要性は大したものではないので、先生の間でも優先順位が低く、変えることによる変化を煩わしく思っているのであろう。

Noteでもあまりポジティブな意見はない。学校が必要なことは閉じた世界ではなく、世の中の常識を学校に持ち込む必要があるのかもしれません。


https://note.com/made_in_watashi/n/n0209c233220a




よろしければサポートをお願いします。