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契約交渉・締結にかかる「取引コスト」について

1.契約の締結と「取引コスト」

 顧客や取引先等と契約を結ぶのに多大な時間と労力を要することがあります。

 多くの会社・組織では、商品やサービスを提供する場合も調達する場合も、基本契約書の形か個別契約書の形かいずれであっても、ひな形や約款のようなものを用意していて、それをもって契約交渉にほとんど時間をかけることなく、一律に契約を結んでいるものが大半ではないかと思います。

 他方で、これから継続的取引関係に入るときに最初に結ぶ基本契約については、契約条件をめぐって、何度も修正案を提示したり協議を重ねたり、調整に時間を要することもあると思います。また、特注品の製造を委託(もしくは受託)するような場合も、汎用的に書かれたひな形に書かれている契約条件では不十分であったり的外れであったりするため、その取引のための個別の契約書を作成し(仕様書や作業指示書といった文書に書き込んでいく場合もある)、その調整に時間がかかることもあります。

 こうした契約条件の調整がたまにあるぐらいであれば問題は少ないですが、例えば、あるメーカが顧客から特別仕様の試作品の製造を受託し、それを作るために、やはり特別仕様の部品a,b,c...を国内外の20社に作ってもらうことにした場合で、なおかつその20社とは基本契約書が存在せずこれから契約書を一斉に取り交わさないといけないとなったとしたら、契約法務担当者としては「ええっ!」と声を上げたくなるかもしれません。

 特に海外の会社や国内であっても大手の会社の場合、自社が提示したひな形の契約書を丸飲みすることはほぼなく、いろんな契約条件に修正を入れてくるでしょうし、それが普通だからです。また、そもそも買主側の契約書で取引すること自体を拒否し、売主側が用意している契約書に書かれた条件を買主側が受け入れない限り、あるいはそれをベースに契約条件を協議するのでない限り、売りませんと言われることもあるからです。

 そうなってくると、これらの部品の製造を20社に新規に委託するにあたって、契約の締結だけで多大な時間と労力をかけることになり得ますが、こうした「取引コスト」は軽視できません。リーガルの立場からすると、特注品であればなおのこと納期までに所定のものができ上がらない可能性もあるわけなので、リスクをヘッジした契約書をちゃんと作って締結すべきだと言いたくなるでしょうが、プロジェクト・マネージャー等、事業の損益に責任のある立場の人からすると、その「取引コスト」がかかること自体に強い懸念を持ち、なるべくさっさと片付けてくれと言いたくなるかもしれません。

2.内部化による取引コストの削減

 こうした契約締結に要する「取引コスト」は少なくて済むのであればそれに越したことはないですが、実際にどうすれば良いでしょうか。

 まずは、「内部化」を進めることが考えらえます。つまり、なんでもかんでも外部に頼まず、自分で作る部分を増やすことです。

 これには2つのアプローチがあります。1つは、上記の例でいうと、20社を半分にするなど、委託先の会社の数を減らせられるように「内部化」することです。もう一つは、委託先の数ではなく、委託する仕事の範囲(SOW: Scope of Work)を減らすことです。例えば、自社で作る商品に用いる部品の設計を工夫して共通部品化を進め、その共通部品は自社で作ることにし、そこからのカスタマイズ対応が必要な要素だけ、専門能力のある他社に委託するという考えです。委託する仕事の範囲が減縮すれば、不確実性も基本的には減るはずですので、契約条件で気を付けるべき要素も減り、契約条件の調整に要する時間も減らせられると期待できます。(とはいえ、内部化した部分と外部に残す部分の線引きがあいまいだと、かえって品質不良を作りこみやすく、法的リスクが増えてしまいます。)

 ただ、いきなり「内部化」とか「共通部品化」と言われても、会社の実力はそんなにすぐに伸びるわけではなく、上記の考えは中長期的な視点に立っての方策と言えます。自社の開発/製造の能力向上の計画を立てるときに、技術的にできるできないという視点のみならず、「取引コスト」の削減という視点でも考える必要があります。

また、この「内部化」は、別の記事に書きました「事業ポートフォリオの見直し」と密接に関わってきます

 自社の商品について、顧客から注文を受け、部品を調達し、組み立てて、試験をして、出荷して、代金を支払っていただいて、アフターサービスを所定の期間提供し、最後にはそのサービスも閉じて、事業を終息するところまでを俯瞰した上で、やたらと「取引コスト」がかかるプロセスがあり、そこがぶれると事業遂行・継続上の影響も大きいのであれば、そのプロセスについては多少の投資を覚悟して「内部化」する意義があるといえます。

 他方で、「内部化」することにより、コストが増えることも考えられ、さらに自社内での設計や製造のプロセスが複雑化し、かえって品質不良のリスクを増やすことにもなりかねません。概して「複雑化」は法的リスクを高めますので、安易な「内部化」は要注意であり、そのプロセスを外に出していてもそれほど「取引コスト」がかかるわけでもなく、全体への影響も大きくないのであれば、そのまま「外部化」しておくほうが良いともいえます。単なる技術的な興味や、自分たちでもできそうだからという理由での「内部化」はお勧めできません。

参考:「持たざる経営の虚実」(松岡真宏著、日本経済新聞出版社)

3.問題の先送りも一つの選択肢

 上記2は普段からやっておくべき活動ですが、いざ、これから発注しようとするときには間に合いませんので、とりあえず今回の発注ではどうするか、短期的な方策も考える必要があります。

 まず考えられるのは、売主側であれ買主側であれ、相手方の主張を丸飲みし、余計な時間を費やさないことです。これはある意味、問題の先送りともいえますが、問題が顕在化しない限りは痛手を被ることもないでしょうから、魅力的な選択肢といえます。

 ということはそうした選択肢をとれるのは、契約締結時点で、その取引に関わる人たちが想定するいくつかの問題が実際に起こる可能性が低いだろうと判断できたときといえます。ただ、その起こり得る「問題」をどれだけ豊富にイメージできるかは、その人の実務への精通度によりかなり異なってくると思います。

 したがって、その選択肢をとる場合は、実務に精通している有識者に、できれば二人以上の人に、助言を求めて参考にすることぐらいはやっておくべきと思います。

4.一般条項と個別条項の書き分け

 次に考えられるのは、そしてこれが現実的ですが、最初から、相手方にリスクを押し付けるような契約条件をできるだけ減らす、あるいは多少押し付けていたとしても、契約履行の過程での状況の変化に応じて柔軟に契約条件を変更する仕掛けを盛り込んでおくことです。

 契約書を作成するにあたっては、売主側であれ買主側であれ、相手方にリスクをできるだけ押し付けようとしてしまいがちですが、結局、相手方もそれを受け入れず、往々にしてその妥協を探るのに時間がかかってしまいます。まして、当該取引ではあまり関わってきそうにない一般条項(汎用的に適用できる条項)で揉めるようなことは、(リーガル部門でない人はなおのこと)時間の無駄とも思えます。

 基本的に、一般条項と個別条項(それぞれの取引ごとに取り決める必要がある条項)をはっきり書き分けた契約書のほうが効率的に処理ができるといえます。具体的にどう分けるかについては、昨今のIT化を意識した契約書の書き方を踏まえて別稿で述べたいと思います※が、一般条項は最初から相手の立場に立っても受け入れやすいよう工夫して書いておき、とにかく触らないで済むようにし、個々の取引に応じて関係者がみんなで考える必要がある個別条項に意識を集中させるべきといえます。
※将来的にやってくる「スマートコントラクト」まで見据えて、プログラム化しやすいような契約書の書き方をこれからのリーガルの人たちは心がけるべきといえます。

 契約条件を柔軟に変更することについては、一度決めたことはきちんとそのとおりにやるべきだという価値観の下、抵抗がある人もいるかもしれません。もちろんそれはそのとおりですが、契約締結の時点で今後起こり得ることのすべてを見通すことなどできませんので、完成度を上げるとしても限界があります

 とはいえ、できるだけ完成度は高いほうがいいに決まっているとも思えますが、上述のとおり、一般条項の完成度を上げることに時間を費やすことは控えるべきで、個々の取引の特有の事情を考慮してどういうプロセスで物事を進めていくのかをなぞりながら個別条項の完成度を上げる◆ことに労力を振り向けるべきです。(◆この点については、「契約ブートキャンプ2020」で詳しく取り上げる予定です。)

5.コンプライアンスについて

 上記3、4で、ある程度の割り切りが必要であることを述べていますが、各国の法令に遵守することに関しては割り切りようがないようではないかと思われるかもしれませんので、最後に少し補足します。

 結論から申し上げると、コンプライアンスについても割り切るべきです。世の中には星の数ほど法令があり、そのすべてを最初から理解して遵守すべきだと言うほうに無茶があります。それに、仮に理解していても人間はミスをしますので、法令違反は、発生しないに越したことはないが発生してもおかしくはないという意識で、事業を進める必要があります。
(日本の企業にありがちなover-complianceの問題についてはいずれ別稿で述べたいと思います。)

 基本的に、よその地域のことはその地元の人に任せるほうが良いでしょう。例えば、日本で法令上問題のないビジネスモデルを、A国に進出するために、日本でもA国でも法令上問題のないビジネスモデルにブラッシュアップし、さらにB国に進出するために、日本でもA国でもB国でも令上問題のないビジネスモデルにブラッシュアップする…といったことを全部自社でやっていくのはたいへんです。A国で商売するのであれば、A国の会社に委託することにし、日本とA国との橋渡し的なところまでは自社で法令をチェックするとしても、A国内の法令遵守はそのA国の会社の責任でやってもらうほうが良いと思います。

 ただ、そうすると、自社とA国の会社との間で、法令遵守のリスク分担について取り決める必要があり、そこにまた「取引コスト」がかかるではないかと思えます。この点については、上記2で述べたとおり、「内部化」するで複雑性のみならず不確実性も取り込んでしまうことを回避する意義はあると考え、そうした「取引コスト」は受け入れるべきともいえます。

2020年6月7日
Resilia Amalgas

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