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最近見た映画の話

この下書きを書いたとき、私は『十二人の死にたい子どもたち』について何か書きたいことがあったようだ。noteの下書きはまるでタイムマシンのように過去に連れて行ってくれる…ような気になる。実際はいつのことだったか少し曖昧なのだけれど。

あらすじはきっと調べれば出てくると思うので(YouTubeの予告動画を見てみてください)割愛しますがなんだかいろいろ考えられる作品だなぁとすごく前のめりになって観ていました。というのも『死』をテーマにしている点、特に若者の『死』に対するイメージとか死にたくなる気持ちとかすごく込み入った話なのに死にたい理由が「えっ、そんなことで?」みたいな人が出てくるし、生きるとか死ぬって改めてなんだっけみたいな疑問がふつふつと湧いてきた。

『死にたい』というネガティブな感情が中心のコミュニティが形成されているところがなんだかすごく興味深かったというのがこのnoteで2番目に伝えたいことかもしれない。じゃあ、1番目はなんなのかと言うと、死にたい人を応援する気持ち、「死んでほしくない」という気持ちがそのコミュニティから生まれていること、ネガティブな感情を受け入れた上でそこから「生きたい」という感情が生まれていることがすごく印象深いということだと思う。思うと書いたのはうまく言語化できていないから。きっと読んでいる人もどういうこと?ってなっていると思う。でもなんかこうぐっとくるものがあったということを覚えておきたいという気持ちを尊重してこのまま書いておきます。

これよりも前に『アイスと雨音』という映画を観て、本当に自分が生きているのか、息をしているのか疑問に思ってしまったことがある。演じる役をと演じる舞台を与えられ、それに甘んじ本番に向けてお決まりのセリフと動きを繰り返すそんな見せかけだけの生き方をしていないか…。映画の中では、演じる場所を奪われて初めて若者たちがもがき、苦しみ、生きはじめる。稽古小屋を飛び出し、感情は剥き出しに、声は音割れを起こすぐらいに大きく、セリフというよりも叫びのそれなのだ。舞台という枠から飛び出し、映画からも飛び越えてきそうな「生」が強くきつく胸に刻み込まれたような気がした。いまの世の中、失敗しても命は取られない。取られないことをいいことに命を粗末にしていないか、死んだように生きていないか?自分に喝を入れたいときはこの映画を見直すことにしようと思う。

まったくもって最近の映画の話ではなくなってしまったが映画を見て残しておきたいと思ったことはきちんと残せたと思うので良しとする。ちなみに本当に最近見た映画は『アラジン』と『海獣の子供』の二つの作品だ。前者は現代風のアレンジが面白く、後者は映像の美しさ、特に海の表現がなんとも言えない。梅雨が明けて暑くなってきたらぜひ、また観たい作品である。なんだか語尾がめちゃくちゃな文章になってしまったけれど良しとして寝ることにする。こんな拙い文章にお付き合いくださりありがとうございました。読んでくれた皆さんに良き出会いがありますように。

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