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起業に至るまでのストーリー❤️‍🔥

こんにちは!

ご縁があってこの記事を読んで下さり、
ありがとうございます!

改めまして、ケイティこと
濱村 圭土(ハマムラ ケイト)と申します。

東京で生まれ育ち、
大学時代にカナダで1年留学を経験。

卒業後にWEB広告会社で4年勤務し、
その後主人の転勤でドイツに2年帯同しました。

帰国後は派遣社員として、
博報堂・楽天で事務職を5年経験。

第一子を日本で出産し、再び主人の転勤で、
2021年7月よりドバイに帯同しています。

子育てをしながら、
改めて自分の人生とキャリアと
向き合うことで見えてきた、理想の働き方。

✔︎時間・場所・ライフステージに捉われず
          自由な働き方を叶えたい

✔︎自分の強みや経験を活かして、
   やりがいのある仕事を作り出したい

✔︎世界のどこにいても、
    自分で収入を得る力を身につけて
            経済的に自立したい


この理想を実現するために、
「起業」という手段を選びました。

現在は、ドバイで子育てをしながら、

海外在住の女性向けに、
自己理解からサービス作り~SNS発信・集客まで
オンライン起業のサポート
をしております。

また、
海外在住×起業ママの
横のつながりを広げる場として、
承認制のオンラインコミュニティ
「Brighten Club」
を運営しております。

今日は、人生やキャリアにおいて、
私がどんな悩みや不安を乗り越えて
起業に至ったか
をお伝えさせて下さい。

起業に至るまでのストーリー

⚪︎ やりたいことが明確だった学生時代


「人生で1番充実していた時はいつですか?」


この質問で、
あなたはどんな出来事を
思い浮かべるでしょうか。


中学や高校時代の部活?

受験勉強?

大学のサークルやバイト?

私の場合は、
学生時代のダンス活動と一年のカナダ留学
頭に浮かびます。

2つの共通点は、
自分が心からやりたいと思えることを、
自分の意思でやる!と決めて、
夢中で取り組んでいる状態
だったということ。

中学で出会ったダンスは、
大学に入ってからもっと上手になりたいと思い、
友人とコンビを組んで活動したり、
ダンススクールにも通っていました。

練習も苦ではなかったし、
なによりもステージに立って踊る時は
ワクワクして楽しい瞬間でした。

ダンスを見に来てくれた人にも、
ポジティブな影響を与えられる。

幸せの循環がありました。

留学も、もっと英語を話せるようになりたい、
と思い一人でカナダに飛び立ち、

半年は語学学校で学び、
その後は学んだ英語を実践するために
カフェでレジのバイトも経験。

正直、食器洗いやカフェのホール係など、
英語力をさほど必要としない
働き口は多々ありましたが、

「現地の人と対等な立場で働きたい」

「英語を使うポジションを獲得したい」

という強い想いがあり、
面接でレジの仕事を獲得しました。

ダンスもカナダ留学も、
自分がやりたい!と心から思えることを、
自分の意思でやると決め、
夢中で取り組んでいたので
充実していた
んだと思います。

帰国後は、
またすぐ海外に行きたいと思っていましたが、
親の意向を汲み、日本で就職活動をし、
WEB広告会社に内定をいただきました。


⚪︎ 自分の好きなこと、やりたいことに迷子になった新卒時代



WEB広告の需要が高まると考え、
WEB広告会社に入社。

ソーシャルメディアの広告枠売上拡大のため、
媒体者向けにコンサルティング業務
担当していました。

最初の一年は、先輩のサポートが中心。
問合せ対応と、
議事録や提案書の資料作りに追われていました。

職場の仲間には恵まれていたものの、
終電まで働いたり、タクシー帰りもしばしば。
土日出勤をしている先輩を見ながら、

「わたしも数年後にはこうなるのか…」

「社会人だし、
お金を稼ぐためにはやるしかないのか…」


という不安を抱えつつ、
割り切って働いていました。

会社と自宅の往復の毎日で、
毎週金曜日は決まって同期との飲み会。

会社の飲み会も多くなり、
好きだったダンスからも次第に離れていき、

海外に行きたいという願いも
だんだん忘れてしまうほど、

日本のサラリーマンの働き方に
染まっていきました。

2年目以降も、色んな方と関わり、
たくさんのことを学ばせてもらいましたが、

心の中ではずっと、

「誰も見ない資料作りが、
私の仕事のルーティンか・・」

「私の仕事って直接誰の役にたってるんだろう」

「私が休んでも、正直仕事がまわるし、
私の存在意義って何だろう?」

「この仕事内容のまま、定年まで働くのかな?」


というモヤモヤを抱えていました。

今思えば、
自分が誰かの役にたっているという
実感が得られないことと、

自分でなくてもできる仕事である
ことに
引っかかりを感じていました。


転職しようかな…」

「でもやりたいことがわからない…」

「かといって定年まで
この会社で働くイメージもできないし…」

「これから私のキャリアはどうなるんだろう?」

キャリア迷子になりかけていた時に、
主人のドイツ転勤が決まり、
寿退職して海外に帯同することになりました。


⚪︎何者でもないただの専業主婦になったドイツ時代



ドイツに帯同することになった当時は、

「もう働かないで
海外にいけるなんてラッキー!」

「人生のロングバケーションだ!」

「私のキャリアはもう終わりでいいんだ!」

「第一線からは離脱して、
これからは夢だった専業主婦だ!」


と、ポジティブな感情ばかりでした。

周りからも、

「海外に住めるなんて羨ましい!」

「働かなくていいなんて超ラッキーじゃん!」

「人生の勝ち組じゃん!」

そんな言葉をよくかけられました。 

いつか海外に行きたいと思っていたことが、
ラッキーなことに叶った。

私の次の仕事は、
小さい頃からの夢だった専業主婦

海外で主人を精一杯サポートすることと
ドイツを楽しみ尽くすことを目標にして
渡航しました。

渡航直後は、
久しぶりの海外生活にうきうきし、
家で料理を作って待っていることが
とても楽しい日々でした。

ただ、数週間経つと、
昼間は自由過ぎて暇すぎて…

自分は、

「社会とのつながりがない、孤独な専業主婦だ」
という実感が沸々と湧いてきました。

このままではいけない!と思い、
ドイツ語習得と友達の輪を広げるために、

ドイツ語の語学学校に通い始めました。

クラスで、

「Ich bin Hausfrau」(私は専業主婦です)

と自己紹介すると、

周りからは、

「そうなんだ…本当に何もしてないの?
一日中家事でおわり?」
と、

聞かれて話が終わってしまうことがほとんど。

自己紹介で自分の仕事を語っている
他のクラスメイトが羨ましく見えました。

とはいえ、
その違和感に気づかないふりをして、

この2年は主人を支えること、
旅行、本場のオクトーバーフェスト・
クリスマスマーケットに足を運んだり、

現地の方との交流を第一優先
にすると
決めて楽しんでいました。

あっという間に帰国が近づいてきて、
頭によぎるのは、帰国後のこと。

「こどもも欲しいけれど、
すぐに授かるか分からないから
やっぱり働かなきゃダメか」

「やりたいことは分からないままだし、
もうキャリアの第一線からは離脱したしな…」

「そもそも2年のブランクがある私を
雇ってくれる会社なんてあるかな?」

「家族を第一優先にしたいから、
今度はパートや派遣かな…」

漠然と未来のことを考えながら帰国。 
名古屋で新生活をはじめることになりました。


⚪︎モヤモヤがずっと晴れなかった派遣時代



帰国後は、
結局自分のやりたいことが
ずっと分からないまま・・・

自分は派遣社員の事務職しか
できないと思っていたのと、

家庭を優先できる働き方がいいと思い、
消去法で選んだ仕事を2社で経験、

計5年続けました。

仕事は、会議室予約、資料作り、
請求書対応など新卒時代と
さほど変わらない内容でした。

ただ、圧倒的に違うのは、
同世代はみんなキャリアアップし、
管理職に就いている人もちらほら

何歳も年下の新卒も楽しそうに働いていて、
彼らから仕事を頼まれるという立ち位置

サポートすることは苦じゃないし、
「助かります!」と言われて
嬉しいのは確かだけど、

やっぱりなんだかしっくりこない。

「自分にしかできないことってなんだろう」

「本当にやりたいことって結局なんだろう」

が脳内ループ。

楽しそうに働く、
社員さんがキラキラして見えて、
誇りをもって仕事に取り組む彼・彼女らの姿に
羨ましさを感じていても、

「自分も夢中になれる仕事を見つけて
楽しく働きたいけれど、

そんな才能も熱意もないし、
自分にバリバリ働くのは無理だな」


という諦めを感じていました。


新卒時代同様、
素敵な職場の仲間に恵まれていたものの、

自分の居場所は、
ここではないような居心地の悪さを感じる
ことも。

そんな矢先に、妊娠・第一子を出産し、
再び海外への帯同が決まりました。


⚪︎転勤と子育てを通して、自分を変えようと決意したドバイ生活


日本で出産し、
生後4か月の娘を連れて始まった
ドバイでの新生活。

海外生活と子どもの成長を楽しみつつも、
今度は子育てだけで
あっという間に過ぎていく日々に、

「私の人生このままでいいのかな」

というモヤモヤが強くなっていきました。


日々成長する子どもに対し、  

「将来は好きなことを見つけて、
人生を思いきり楽しんでほしい!」

という想いがあるのに、
自分がそれを実現できていない。

そんな現実にハッとし、

今の自分を変えたい!

と強く思うようになりました。 


更に人生とキャリアに向き合う中で、

「日本にいる友達は、
キャリアを積んでステップアップしている。」

「ドバイで知り合う外国籍のママは、
ビジネスをしていたり、
働いているのが当たり前
。」

「ドバイには、
同世代の起業家もたくさん移住してきてる。」

自分は専業主婦で、
いつからか自己成長ができていないことにも
焦燥感も感じる
ようになりました。

日本にいつ帰国するかも分からないし、
その時は歳を重ねてブランクもあって、
自分を雇ってくれる会社があるかも分からない


また事務やアシスタントの
選択肢しかない
かぁ・・

嫌だなぁ・・とぐるぐるぐる。


そこで出てきた今後の理想の働き方


それは、

今後も主人の転勤が続く可能性が高いので、

「場所・時間・ライフステージに捉われない
オンラインで完結する働き方がしたい」

そして、

誰にでもできる仕事、消去法で選ぶ仕事ではなくて、  

「自分が本当にやりたいことを見つけて、
やりがいを感じられる仕事を作り出したい」

ということ。

それを実現することで、

「わたしもママでありながら、
   自分の人生に目的と責任を持って、
       自分の人生を楽しく生きたい」


「人生や仕事は楽しいものだよ! 
       を体現して、子供に伝えたい」


「これがママの人生だよ! 
      と胸を張って言える
        かっこいいママになりたい」

という目標ができました。


そんな中で、ここ数年よく耳にする、
フリーランスや起業という言葉が
気になるように。

私の周りにはサラリーマンの友達しかおらず、
フリーランスや起業と聞くと

「なんか怪しい・・・」

「才能やスキル、
特別なアイディアがある人がやるものだ」

「有名企業で働き、
優秀な人が独立してやるものだ」

「会社を作る訳だから、
始めるためのお金が必要?」

「やっぱり私とは無縁の世界だな」

というイメージがあり、
その実態を全く知りませんでした。

まずは、知ることが大事と思い、
起業に関する本を読み始めるようになりました。

そこで、

自分のやりたいことを見つける
 =自己理解が必要」

「起業=自分でサービスをはじめること」

と知り、

サービス内容によっては、
初期費用もかからないし、

海外にいても、オンラインで完結する
仕事であれば、家からでもできる。

自己理解を深め、起業のやり方を学べば、
自分のサービスが作れそうかも?


という気持ちの変化がありました。

そこで、
キャリアスクールに通うという、
初めての自己投資を決意。

決して安くはない値段でしたが、
ドキドキ手が震えながらも
将来の自分に投資しました

キャリアスクールでは、自己理解を深め、
サービスの設計に必要なマーケティングや
ビジネスの基礎を学びました。


⚪︎起業して自分が想像していなかった人生を生き始めるように


私も1年前までは、

「何か始めたいけど、
何からやったらいいか分からない」


「変わりたいのに、
どう踏み出せばいいかわからない」


そういう状態でした。


でも一歩踏み出して、
新しい環境に飛び込んでみたら、

新しい人生が動き始めて、
自分が想像もできなかった未来を
生きるようになりました。

「他の女性達も、
そんな人生を歩んでもらいたい」

そんな想いがあります。

そこで私がやりたいこと。

それは、

自己理解方法やサービス設計、
マーケティング、ブランディング、
SNS集客の知識を活かして、


起業に興味があるけれど
何から始めたらいいか分からない女性達が

自分らしさを活かしたサービスを作り
楽しくやりがいを感じながら仕事ができる状態

になれるよう、伴走すること。

一人で抱えこんで、

「なかなか一歩を踏み出せない」

「一人で始めるには不安がある」

「何から始めたらいいか分からない」

「一人でモチベーションが続かない」

「仲間がいないから不安」


という悩んでいる状態から抜け出し、

新しい人生の一歩を
踏み出してほしい
と思っています。


実際に今は、

Very世代の海外在住の女性たちが
オンライン起業で、

✔︎自由な働き方
✔︎やりがいのある仕事づくり
✔︎自分で収入を得る力を身につける

を叶えるスクール
〈Brighten Academy〉を立ち上げ、

完全オーダーメイドの個別コンサルで
サービス設計からSNS集客まで
サポートしております。


スクール名の〈Brighten Academy〉

「Brighten」は、

「明るい」や「輝いている」
という意味
があります。

私自身が周りの方々から、
その場の雰囲気を明るくするね!」と
褒めていただくことが多いことと、

みんなが自分らしく明るく輝き、
周りもその人らしく明るく輝いてほしい

という想いがあり、この名前を付けました。

一人一人が自分らしく明るく輝き、
自分が想像もできなかった人生を歩み出す
その姿で周りにも幸せが循環していく世界

を目指しています。

一人一人が唯一無二で、
みんなのロールモデル。

次世代に希望を与える女性になってほしい

そんな思いを込めて活動しております。

ぜひあなたもあなたらしく、
明るく輝く選択肢を選んでくださいね!

そんな選択をしたあなたを
私は全力でサポートしたいと思っております。

ここまで読んでくださったあなたは、
もう一歩を踏み出してます!

このまま次の一歩を進むか、
今のまま何も変わらない人生を送るかは
あなた次第!

一緒に前に進む仲間に
なってくれたら嬉しいです!

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。


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