見出し画像

「思考のクセ」は、なかなか簡単には直せないという話

先日、こちらの「DXの思考法」という書籍を読みました。

冒頭、第1章にこんなことが書いてあります。

デジタル化だ、DXだ、人工知能だ、といわれても、技術からシステム、経営に至るまで、あまりにも数多くの事柄と関わっていて、また、技術のトレンドも次から次へと変化していってしまうので、その全体をどうイメージして、何から手をつけて良いかわからない、という実感を持っている人も多いのではないか。

まさにまさに。どこから、何から、どうやって手をつけてよいかわからない。そんな状態だと思います。

・結局、何からどうやって始めていけばいいの?
・いや、それよりも、オススメのツールって何かないの?

つい、その答えがどこかに書いていないか?と最後まで読んでみましたが、結局のところ、そうやって答えを短絡的に考えてしまう思考パターンこそ、著者がアカン!と言いたいことなんだろう(関西の人かどうかは知らんけど)というのが、私なりに受け止めた結論でした。

1、課題から考えよ、解決策に囚われるな
2、抽象化せよ、具体に囚われるな
3、パターンを探せ、ルールや分野に囚われるな

という最終章の提言にあるとおり、表面的なデジタル(Digital)ツール云々のことではなく、目の前の業務のことだけでなく、企業(Corporate)や産業(Industry)全体まで俯瞰し、DXだけではなくCXやIXまで視野に入れよ。それが本書を通じたメッセージであろうかと思います。

絆創膏の問題を思い出した。

若いころ、何かで見かけた”問い”のことを思い出しました。

画像2

公園でのんびり座っていると、
目の前で、見知らぬ子が、転んでひざを擦りむいて泣いている。
大した怪我ではなさそうだが、少しだけ血が出ている。

その時、どうするか?

ふつうに考えれば、、、
もし絆創膏を持っているならば、応急処置をしてなぐさめてあげて、、
という対応をするだろう。

それは、素晴らしい対応だし、何ら間違っていることもない。

しかし、それは応急処置=対処であって、課題解決策=対策ではない。

課題は何だ?

このケース、課題は何だと思いますか?

・転びそうになったときに、自分でそれを防げなかったこと?
・擦り傷程度なのに、泣いてしまうこと?
・子供が泣いているのに、親が助けに来ないこと?
・転ぶような遊びをしているのに、半ズボンだったこと?
・公園が石ころだらけで、いつ転んでもおかしくなかったこと?

・・・などなど、課題を深掘っていこうと思えば、いくらでも掘り下げることはできるし、そこからたどり着く「解決策」は、最初の「対処策」とは全く違うものにもなりえます。

だけど、目の前に泣いている子供がいれば、とりあえず絆創膏を貼って対処しようというのは、長年で染み付いてしまった思考のクセでもあり、それ自体が間違っているわけではないがゆえに、それ以上の思考にはなかなか至りません。

DXを取り巻く課題も同じで、企業の中で「この業務がムダだ」「この業務が非効率だ」という問題が顕在化したとしても、ついつい、じゃあ何からどうすればいいんだ?どんなツールがいいんだ?と”絆創膏的に”考えてしまう思考のクセも少なからずありそうです。

そうなってしまわないように、より課題に深く向き合いことが大事だな、とあらためて思い直した一冊でした。

(ちなみに、今のご時世、見知らぬ子に絆創膏貼ったりしたら逆に怒られたりするんですかね。。)