カレーを作って食べていたら「カレー思考」が湧いてきた話
食べ専から作る方へ
もういつからかは覚えていないけど、毎週土曜日は「路地裏カレーtiki」でカレーを食べるのが習慣になっていた。完全に毎週というわけにはいかないけど、そんな週は他のお店でもいいからとにかく平日にカレーを食べる。そんなことをしていたら、すっかりカレーまみれの食事になっていた。
コロナ禍になって在宅勤務になった。始まって数日はスーパーで見繕ったレトルトカレーを食べていた。悪くない。おいしいものもある。しかし…なにかその…もの足りないというか…。そうか、作ればいい。ぼんやり「いつか作ってみよう」と思っていた、それを今やろう。そうして”食べ専”から”作る”へ移行してしまった。
正直、最初のはひどかった。家に残っていた古いスパイスを使ったのがよくなかったんじゃないかと思う。ちょっと凹んだけど「スパイス買い揃えたら違うかも」と思ってやってみたら、ちょっとマシになった。人は少しでも成果がみえると前に進みたくなるもの(じゃないかな)。そこから、自らズンズン沼にはまる日々が始まった。
(↓一番最初に作ったキーマカレーを作っているところ。全然美味しくなりそうな気配がない)
カレーを作る工程とか、味とか、そういうことについてはまた別の記事で書こう。ここではカレーから受けたインスピレーションについて書きたい。
カレーは多様だ
諸説あるとは思うけど、「カレー」には明確な定義がないと言われる。しかし、みながカレーと呼び共通理解しているものはある。と言いながら「カレー屋さん」と標榜している(認識されている)お店は数多あって、それぞれに異なっていて、場合によっては同じく「カレー」と呼称していいのかというくらいの違いがある。実に多様。
おそらくはインドの各家庭で作られているカレー、パキスタンの各家庭で作られているカレー、日本のスパイスカレープレイヤーが自作しているカレー…その材料も作り方も違うんだろう。カレーという言葉ではまとめきれないくらい多様。言い方を変えれば、正解がない。唯一の頂上、のようなものが作り得ない。
カレーを作り始めて、調べたり考えたりしていく過程で、そんな食べ物なんだということに思い至った。なんて奥行きなんだ。
ということはつまり…私が過去に作ったあんまり美味しいとは言えないキーマカレーも、先週作った美味しい骨付きチキンカレーもまずはカレーなのか。間違ってもいいから、堂々と「自分のカレー」を作っていい。そう思うと、なにか自信のようなものが湧き上がってきた。カレーを作ろうとするものは、カレーに認められる。私がいいと思ったカレーは、わたしにとっていいカレーである。それでいいじゃないか。
今は多数の評価が数値化されやすい世の中だ。自分がおいしいと思ったお店をネットで見たら点数が低くて、思わず自分を疑う瞬間がある感じ。おいしいと感覚を、軽く否定されている気分。自分がおいしいなら、それでいいはずなのに。
そんなことを思い出したりする。
カレーは自由だ
カレーを作り始めると、レシピの本とかYoutubeとか見るようになる(よね?)。日本で紹介されているレシピはかなり近いものが多いけど、海外の作り方みてるとホント全然違うことに驚く。作り方も自由でいいだな、乱暴に言えばだいたいどう作ってもカレーにはなるんだろうな、あとは食べる人がおいしいかどうかの問題なんだろうな、と思う。実に自由。具材もスパイスも作り方も自由。もはや「カレー」というカテゴリは不要なんじゃないかとも思うけど、ここに「カレー」という括りがあるからこそ自由さを感じるんだよな。
これは…「カレー思考」と呼べるかもしれない
「カレーは多様だな」とか「カレーは自由だな」とかカレーを作る日々を継続しながらそっちの方にも頭がいってて、そうなるとこのカレーが持つ「多様」とか「自由」とかを人生とか仕事とかにも反映したいものだな、なんてことを思ったりして。
社会は多様性を許容する方向にあるようにもみえるけど、もっともっとやらなければいけないことがたくさんある。今まで生きてきた数十年で考えても、自由になったことも多いけど、一方で不自由になったことだってある。カレーを作ったり食べたりしていると、例えばもっと組織や社会が多様性を前提にするにはどうしたらいいのかな、とか考えたり機会が増えてきた。
もっと言えば、今まであんまり興味のなかった植物についてもスパイスを通すと気になり始めたし、スパイスが身体にどんな影響を与えるかにも関心が向いている。私と同じように自宅でカレーを作っている人に会えばカレーの話がとまらないし、カレーを作り始める前には考えなかったことを考えるようになって、思考自体に変化が起こっているような。カレーからいろいろな学びを得ているような。
そしてある日、「もはやこれ”カレー思考”なんじゃ?」と思い至った。
みんなでカレーを食べて、話がしたい
カレー思考?自分でも何を言っているのか…
まだ明確に定義してるわけではないんだけど、カレーから学び得ることが多くてそれを土台にカレー以外のことにアウトプットもできるなということを考えています。
それは「多様」とか「自由」とかだけじゃなく、カレーが持ってる色んな要素がこれからの社会とか個人とかを考えるにあたって関連しているように思えるのです。
ここからの掘り下げは、また別の記事で掘り下げます。
昨今「デザイン思考」とか「アート思考」とかそれはもうたくさんの「○○思考」が生み出されていて、これもその類のひとつになるのかもしれないし、ならないかもしれない。そんな名称はともかく「おいしいカレーをみんなで食べようよ」ということと「実はカレーは多様で自由なところが面白いと思っててね…」みたいな話をたくさんの人としていくきっかけとして「カレー思考」という言葉を使っていこいかと思ってます。
ということで、これからカレーについての記事書いていきますので、お時間ある時にでも。
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