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村上春樹氏の【猫を棄てる】を読んで

 心待ちにしていた「猫を棄てる」を手に取り,ものの1時間ほどで読了した.タイトルにもある「棄てる」が,この本のキーワードになる.また本の表紙の絵も作者とみられる少年が,段ボールに入れられて棄てられている.作者と父は,関係が疎遠になり,20年もまともな会話をしておらず.時代,環境,考え方が全く異なる.父との唯一と言って良いほどの共有体験が,子供の頃の猫を棄てた記憶.この記憶を通して作者と父,そして,松の木から降りられなくなった子猫と戦争の対比から読み解く.

 父は,幼少の頃,奈良に小僧として養子を前提に預けられる(ある意味,親から棄てられている).しかし,預け先に馴染めず,家に戻ってきている.そのため海岸に棄て,家に戻ってきた猫を自分に投影している.また戦争に従軍した経験を有しており,多くの仲間の命が失われたなか,命拾いしている.
 一方作者は,一人っ子であり,大事に育てられており親から「捨てられた」気持ちを理解し得ない.作者は,このときの「すてる」の字に「捨てる」を用いている.一般に塵を捨てるなどに用いられるため,どのような気持ちで自分に対して捨てるを用いたのだろうか.父が命拾いしなければ,自分の存在がなかったために,この表現を用いたとも感じ取れる.

 父は,住職の次男として,時代に翻弄されながらも全うに生きた.俳句にはまり教師になり,多くの教え子に慕われていた.ただ,棄てられ,拾われた経験をしている.一方作者は,そのような経験をしてないし,そのような気持ちもわからない.しかし,そのような関係の父からも引き継がなければならない歴史の意味がある.
 それが,「棄てる」と「拾う」の対の対比「起因」と「結果」「結果は起因をあっさり飲み込み無力化していく」であると推察される.何らかの起因により子猫は松の木に登り,結果として降りられず声を震わせ泣いている.戦争も然り,起因など様々考えられ,後生でも検証されている.一方で結果として父と同じ多くの若者の尊い命が,戦争により失われた.起因など結果に比べれば,後付も可能な取るに足りないことである.

 いずれ死にゆく松の木から降りられなくなった子猫の震える泣き声は,何十年たった今でも作者の脳裏に焼き付いている.本の最後にもあった「この僕は平凡な人間の平凡な息子に過ぎない」「我々は,広大な大地に向けて降る膨大な数の雨水の,名もなき一滴に過ぎない」,しかし我々は,子猫の震える鳴き声のように,誰かの記憶に残し,語り受け継ぐ責務があると.そう改めて認識させられた.

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