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日本赤軍と進撃の巨人エレン

日本赤軍について

 日本赤軍は1971年から2001年まで存在した日本の新左翼系の国際極左テロ組織。赤軍の語源は1918年から1946年にかけてロシアやソビエト連邦で存在した軍隊である。赤は革命によりソビエト国家が誕生するまでに流されてきた労働者の血を意味している。

日本赤軍が目指した共産主義社会の前身ソビエト連邦

 ロシア革命が起きた二十世紀初めの世界は「資本主義が世界を支配する唯一の体制とされた時代」であった。ロシア政府は他国との戦争を続けていたため、即時講和・食糧・土地を求める労働者・農民の運動の高まりの中でレーニン率いるボリシェビキ(ロシア社会民主労働党内の革命派)の指導のもとで、労働者・農民が武装蜂起してロシア政府を打倒。この革命によって人類の歴史は、はじめて資本主義から離脱して社会主義への道に踏み出そうという試みが始まった。

社会主義の根本にある理念

 ソビエト政府が掲げた「民族自決の原理」。それは、発達した民族か遅れた民族か、ヨーロッパに住んでるか、遠い大洋を越えた諸国に住んでいるかに関係なく、植民地を含めたすべての民族の権利の宣言である。今でいう多様性の尊重ということだ。すべての人の人権を認めて誰ひとり人間らしくない不当な生活をさせない。誰一人取り残さない。みんなで幸せになろう。そんな優しい考え方が根本にあるのだ。

進撃の巨人エレンの目指した「自由」とは

 進撃の巨人のエレンが目指す「自由」。実は、これ積極的な意味の自由ではなく、保守的な意味の「自由」なのだ。人間らしく幸せに暮らしたい。そんな思いがエレンの根底にはあって、そんな何気ない毎日を壊すものと徹底的に戦う。エレンは積極的な自由を求めていたのではなくて最低限の人間らしく愛のある毎日を求めていただけなんだ。
 エレンの求めている何気ない毎日というのはハンネスのやる自堕落な酒に溺れる生活ではない。ハンネスは戦うことから逃げて酒に溺れたが、エレンはその妥協を許さない。徹底的に充実した毎日を求めるのがエレンなのだ。何者からにも「不自由」を強制されない充実した毎日。エレンはそういう意味で積極的な自由を求めていたのではなくて最低限の人間らしく愛のある毎日を求めていただけ。毎日を侵してくる「不自由」というものを徹底的に敵対視している。そしてエレンは自分自身だけの問題にするのではなくて、人間全員の最低限の人権を守ろうとしていた。誰一人人間らしくない生活をさせない。だから、ユミルを奴隷から解放したかったのだ。

日本赤軍とエレンが目指した世界

 日本赤軍もエレンも武力扮装を厭わないという点で「精神の自由」を何より重視して、精神の自由を侵害されることことを何より忌み嫌っていた。特に「奴隷」のような状況に置かれた人の救済を何よりの目的としていた。
 日本赤軍ならパレスチナ難民の解放。レバノンに逃れたパレスチナ難民は過酷な生活を課せられてきた。現在もその現状は続いている。貧困や差別だけでなく、市民権も持てないため、教育や医療へのアクセスもなく厳しい労働制限が課せられているのだ。日本赤軍は共産主義革命を起こして遠い異国の地の「自由」を侵された人達を救済しようとした。
 エレンが救済しようとした象徴的なものが始祖ユミルである。ユミルは長い間「精神の自由」を束縛され続けてきて、奴隷から解放されてもなお「奴隷」であることを自ら望んでいた。エレンはそういう奴が許せない。俺らは生まれてきたのだから徹底的に幸せになるべきだ。「奴隷」であることに甘んじるなんて許せない。エレンはみんなに幸せになってもらいたかった。幸せになることから逃げてほしくなかったのだ。

平和は妥協から生まれる

 争いのない平和な世の中は長続きはしない。江戸幕府だってせいぜい260年間しか続いていない。私達は人間である前に生物なので自分たちの子孫を残すことをどうしても優先させてしまう。そうすると、食う側、喰われる側というのがどうしても生まれてきてしまう。完全な平和はあり得ない。誰かが犠牲になっていることを知らないだけである。だから犠牲になっている側が妥協しないで抵抗し始めると大きな争いになる。結局、ある程度折り合いをつけなければつかの間の平和でさえ我々生物は手にできないのだ。


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