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いつからか痛みに鈍くなってしまった私

2023年8月24日(木)晴れ

起きたら既に9時になっていた。撮影が終わってまた寝る時間が遅くなってきてしまい、早起きができない。私はフリーランスなので、決まった時間に何かをするということがあまりない。でも何だか最近、同じ時間に通う場所やする作業など、何か習慣なるものを作った方が良いのではないかと思うようになった。1日の中であまりにも不確定要素が多すぎて、どこが私にとって大切で、どこは力を抜いて良いのかが見えにくくなっている。9月から北鎌倉に引っ越すので、散歩でも坐禅でも何でもやってみよう。

午前中はまた泉のラジオを聴く。今まだ8月15日を聴いていて、やっと約半月分聴き終わった。岡山から帰ってきてから彼のラジオをまとめて聴いたり電話で話したり、最近は泉の声を誰のものよりも多く聴いている気がする。物理的には一番遠くにいるのに。

午後、日記と映画のプロジェクトのために文章を書いていてふと伸びをすると、背中の左側、肋骨付近が急に痛くなる。私はもう3年ほど左の脇腹に異物があるような違和感や呼吸の息苦しさがあり、何度か病院で検査も受けたが、ストレス以外に原因が分からなかった。この1年くらいは検査も受けていない。このことがあったので、痛くなった箇所も近いことから一気に不安が押し寄せる。しかし痛みは徐々に消えていき、息苦しさだけが残った。これは痛みが消えたのか、慣れてしまっただけなのか、自分で判断がつかない。

私は痛覚が鈍いところがあり、痛いと言われている皮膚の治療をしていたときも、注射なども、あまり痛みを感じなかった。正確にはちゃんと痛いのだが、それが自分に差し迫ってこないというか、それでどうということもないのだ。これは小さい頃からどこかが痛いということが何故か親にどうしても言えず、我慢してやり過ごす癖がついたからだと思う。こうして私は痛みに強くなってしまった。仮に私に病気があったとして、この我慢癖によって発見や処置が遅れてしまう原因になりうるので、直さなくてはいけないと思っている。

夕方、ばばに北鎌倉に引っ越すことをついに告白した。少し寂しがっているように見えて、胸が締め付けられた。鎌倉が好きなので住むことを決めたけれど、ひとりの生活リズムを作りたいという気持ちも少なからずあった。しかしいざ離れようとすると、急にじじばばの存在が脆く儚いように見えて、ふたりを残して家を出ることに胸が痛くなる。引っ越し先として、生活を作る想像をしてワクワクできる徳島県の上勝町や、生まれ故郷の北海道の物件も調べた。けれど結局、じじばばに何かあったらすぐ駆けつけられるように、頻繁に訪ねられるようにと、神奈川に留まることにした部分もある気がする。2021年秋にイタリアから帰国してから、かれこれ2年近く祖父母の家に居候してしまった私は、思った以上にふたりの存在に依存しているのかもしれない。夕飯を食べながら、じじから「無駄な金使うこともないだろうに」とぼそっと言われた。

今日は一日中頭痛があって、夜になってもまだ少し息苦しい。

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