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2023年9月1日(金)晴れ

9時に起床。相変わらず夜が遅いので、朝は非常に眠い。でもなんだか落ち着かず、目が覚めてからすぐに布団から出た。今日はいよいよ新居の鍵を受け取る日だ。

午前中、ひとりで運べる量の荷物だけをスーツケースとリュックに詰めた。食器などを少しずつ服にくるんで準備していると、じじから声をかけられた。

「お前もうずっと行っちゃうわけ?」
「ずっとって?」
「鎌倉」
「分からないけど、退去は短くてもいつでも良いみたい」
「その、1年とかで戻ってくるならまあ」
「うーんどうだろう」
「お前が家にいた方が助かるんだよ」

しっかり引き止められた。家の契約をしたのはもう10日くらい前なのに、入居当日になって言ってくるなんてドラマチックすぎるしずるい。遠くに引っ越すわけでもないのに。じじは普段からあまり細かいことをどうこう言わない人なので、きっと言えなかったんだろうなあと想像すると、かなり胸が痛くなる。最近はよくこういう打撃をくらって、毎日一度は自分の選択に自信を失っている。しかしそのまま準備を続けていると、ふと思ったことがあった。

このひとり暮らしは、今しかできないのではないか。

こう思い切って好きな場所を自由に選んでひとり暮らしができることなんて、年齢的にもこの先どんどん減っていくのではないか。というか今の時点で一歩踏み出すことを躊躇し慎重になっていたら、これから歳を重ねていくうちに、より一層慎重さが増してしまうような気がする。そうやっていつの間にか安全地帯にいることしかできなくなって、挑戦ができなくなっていくなんて嫌だ。

たとえ踏み出した一歩によって大変な思いをしても、この先動けなくなる癖がつくよりはいい。私は今27歳、まだ活動的でいたいしこれからどうにだってなる。それからおそらく経験してもよい失敗と、しないほうがいい失敗があると思う。自分や誰かの命に関わる場合を除いて、大体のことは大変でもどうにかなるのではないか。そう思ったとたん、じじばばに対する寂しさはもちろんあるけれど、私の中でふつふつと力が湧いてくるのを感じた。「負けないぞ」とそっと小さな火を灯しているような感覚。「今しかできない」という基準による選択には暴力性があると思う。おそらく好き嫌いが分かれるけれど、私には確かな影響力をもっている。

北鎌倉。管理会社の方から鍵を受け取り、少し室内清掃の説明を受けて、初めて新しい部屋でひとりになった。ひとまず窓を開けて換気。まだ電気もガスも通っていないので、エアコンが使えず汗がじわじわと垂れてくる。この部屋は日光が色々な方向から入るのでとても明るいのは良いけれど、閉め切っているとそれはもう耐えられないくらい暑い。それでも北側からの風は心地よく、思ったよりも涼しかった。

荷物の整理をすぐに終え、持参したメジャーで部屋のいたるところの長さを測った。作業をしながら、汗がポタポタと垂れ、頭痛がしてきた。気づくとあっという間に水筒に入れてきたお茶を飲み干してしまった。この部屋は坂の上にあるので、自販機もコンビニも、駅まで降りて行かないとない。さすがに熱中症が怖くなり、ほどほどで作業をやめた。それでも大体必要な部分の長さは測れたので良し。

16時を過ぎると太陽も山に隠れ、部屋に差し込んでいた日光がいつの間にか消えた。風が通って光の変化を感じられる場所が好き。多少涼しくなった部屋でほんの数分横になった。西日が照り付けていた床の生ぬるい温度に触れ、じじばばとの生活をぼんやり思い描いた。私はこれからこの部屋で暮らすのだ。

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