2023年8月29日(火)晴れ
9時ごろ起床。昨日少し体調が悪かったので不安だったが、今朝は大丈夫そう。多分昨日いたいくつかの場所で、冷房にやられただけだったのだろう。
日中は引っ越しの準備をしていた。4年ほど前に荻窪でひとり暮らしをしていた頃に使っていた生活用品を、じじばばの家の納戸から掘り起こした。食器を手に取ると、一気に当時の生活の記憶がよみがえってくる。ワンルームの暗い部屋、廊下にあるミニキッチンでラジオを聴きながら料理をしていたのが懐かしい。湯呑みや小皿はじじが陶芸教室で作ったもの。ゴツゴツしていて分厚く、陶芸作品としてはおそらくへたっぴだ。でも私はまたこれらの食器と共に、新生活を始めようとしている。
夕方家を出て、新橋のカフェであゆかと合流。彼女がある撮影現場で一緒になり、私のプロジェクトの話をしたら興味をもってくれたという俳優の方を紹介してもらう。Kさんは落ち着いていて、淡々と話す印象だった。演技をこれからやっていきたいという。私の考えに興味をもってくれた時点で、相手のことを知りたいと思った。でも会ってみて感じたのは、初対面で分かることなんて本当に限られているということ。何が好きで、何に夢中で、どんなことに不安や憤りを感じるのか、聞きたいことはたくさんあった。彼女が途中で言っていた「(どういう人物か)感じてもらえたら」という言葉にハッとした。「好き」や「不安」という単語がもつ意味や印象は人によって違うのだから、言葉で聞いたって仕方ない。そう気づいてからは、何か情報をを得ようとする質問はしなくていいと思った。誰かのことを知るなんて、海の水量を測るようなものだ。それよりも、分からないまま、分からないを超えて個人同士を繋ぎとめる「まなざし」があることに懸けたいと思った。そうやって人との間で生まれる空気感をなんとなく共有し、不完全な言葉や日常の断片を受け渡す。思えば私が今まで築いてきた親密な関係も、時間をかけてそうすることでしか生まれないものだった。
最寄駅から家まで歩いていると、川の水面に映った月の光が綺麗だった。この景色を家にいるじじばばに、大切な人たちに見せたいと思い、立ち止まって写真を撮った。
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