アカデミアとしての苦悩と民間への転職


DALL -E3により生成

はじめに

初めての投稿です。これまでPhDの時から数えると12年もの間、アカデミアとして研究生活を送ってきました。そんな自分がなぜ突然民間転職を希望したのかについて書いてみたいと思います。

アカデミアとしての苦悩

大学院から海外で10年ほど研究経験を積み、満を辞して日本へ帰国しました。当時「これまでの経験を還元して日本の重要プロジェクトにしっかり貢献するぞ!」という感じでかなりモチベーションは高かったです。が、その気持ちはたった数年で打ち砕かれました。

目の上のたんこぶ

これまでスイスの国際研究所で、それなりにあらゆるタイプの「強者」を相手にしてきました。例えばロシア人やイタリア人の中には何がなんでも自分の意志を貫く人もいたわけですが、それでもお互いにリスペクトをもっていたため、最後は程よい落とし所を探すことが出来ました。

しかし、今回の実験パートナーの方は、全くリスペクトをもってくれませんでした。度々意見してはみたものの、受け入れられることは決してありませんでした。このままではまずいと思い、会話の機会を持つなど、関係改善を試みたものの、最後までうまくいきませんでした。

コミュニティが小さく、利害関係の薄い人を探すのも難しく、相談しづらい環境でした。また上司に関係が悪いことを訴えて「うまく人間関係を築けない」などのレッテルを貼られることも避けたかったので、とにかく逃げ場がありませんでした。

昭和体質

部署によっては職員の平均年齢が非常に高く、定年再雇用の方が沢山いました。また年功序列制度が根付いており、上の人に従っていればやがて昇進していくであろうという文化の中では、優秀な研究者は中々育たないものです。また組織の上の方達は、変化を嫌う傾向にありました。そりゃあ、そうですよね、あと数年しか居ない人たちにとって変化なんて持って来られても面倒で迷惑なだけです。ただ新しい実験である以上、過去と同じやり方で全てがうまくはいかないことは明白でした。

本来、人事というのは一研究所だけの問題ではなく、大学・研究所含めて広く流動的に人材が動くことではじめて改革が可能となるものです。競争力のある研究環境を整えていくためには、国がそれだけのお金を割いて若手にとって魅力的なポストを増やしていく必要があると思います。

給与

私には小さな子供が3人おり、まだ妻が復職できていない状況ということもあって、(特任)准教授であっても給料は決して満足できるものではありませんでした。残業手当などが付けばまだなんとかなるかもしれませんが、裁量労働制が適用されていました。仮に昇進して教授になったとしても、子供3人が大学まで行くことを考えると厳しいことは容易に想像できます。

幾らかの希望

先にネガティブなことを色々と書きましたが、よいこともたくさんありました。自分を評価していただき、応援してくれる上司に恵まれました。また実験装置の性能が過去最高を更新するなど幸先の良いニュースもあり、その中で一定の貢献ができたことは最高の経験でしたし、私の誇りでした。また科研費の基盤B(最大2000万円)の申請が通り、自分の裁量の範囲で新しい研究を進めることもできました。向上心が高く優秀な若い研究者や学生さんに恵まれ、私と一緒にこの研究を強力に推進してくれました。

アカデミアから民間企業へ!

自分の成長環境として限界が見えていたこと、お金のこと、子供の教育のこと、など色々考えた時に、民間就職というのも選択肢として考えはじめるようになっていました。ただ、これまでアカデミアとして長年キャリアを築いてきたため、中々覚悟を決め切ることができず、一年以上ズルズルときていました。また40歳手前ということもあり、民間就職をしたところで給料が劇的によくなる保証も一切ありませんでした。

一方、10年以上アカデミアとして世界で戦ってきた自分が民間転職をする、という新しい挑戦にワクワクしている部分もありました。前例のないことをやるというのは研究と同じでやりがいを感じることができました。

とりあえず動いてみる

動いてみないことには何も変わらないので、とりあえず、民間で活躍している先輩に連絡をとり、色々と相談にのってもらいました。そしていくつかのサイトに登録し、漠然とした希望を書いて、エージェントからのスカウトを待ちました。すると数日のうちに複数のエージェントスタッフから連絡があり、データサイエンスやコンサルへの応募を支援していただけることになりました。そもそもアカデミア用のもの以外、履歴書なんて書いたこともなかったのですが、添削していただくこともできて、しっかりした書類に仕上がりました。

いざ出陣

この履歴書を武器に、エージェント、個人での応募合わせて20社くらい応募したと思います。自分の希望はコンサルで働くことでした。40歳手前で、コンサル未経験、ましてやビジネス未経験という圧倒的に不利な状況で本当に就職できるのか正直不安でいっぱいでしたが、6社(コンサル3社、データサイエンス3社)ほど書類選考を通過することができました。

面接

面接では、これまでの経歴、志望理由、自分ができること、入社してやりたいこと、などありきたりなことを聞かれました。面接に臨むにあたり、企業のことを可能な限り調べて準備したので、志望理由や会社と自分のマッチングがよさそうだと思っていることなどを熱意をもって語れたと思います。私の場合、コンサルでもフェルミ推定のような質問はありませんでしたが、ある課題に対しての具体的な解決策を述べよ、という類の質問はありました。

内定

結局2次面接まで行ったのが3社で最終的には希望していたコンサルとデータサイエンスの会社から内定をいただくことができました。就活期間はエージェントに登録してから内定まで正味2ヶ月でした。給与面でも希望通り、大台に乗せることが出来ました。本当にラッキーでした。そして、就活を通してサポートしてくれた、企業で活躍されている先輩、家族には感謝です。

「自分が納得いくまで研究をしてからでも民間を目指せるよ」ということを進路に悩む若手研究者に示せたと思います。

ここだけの話

エージェントのサイトの中で、「ワンクリックで応募する」的な機能があったのですが、それで誤って応募して、一度お祈りメールをいただきました。まだ履歴書が完成しておらず、中途半端なものを送ってしまったのが原因だとは思いますが、結局その企業に1週間以内に別のサイトから再度応募し、入社することになったのには不思議な縁を感じます。

ご存知かもしれませんが、エージェントは会員登録料としてお金をとる、もしくは入社先の企業からその方の年収のXX%を報酬として受け取るみたいな形で商売しています。なので自分達が斡旋した企業にどうしても入社してほしいわけです。私の場合、最終的に個人で応募したところに入社したので、エージェントには全くお金が入らない形となりました。情報収集のフェーズ、履歴書の作成、面接の練習などでは随分とお世話になりましたが、個人で応募した会社の選考も並行して進んでいることなどは言えず、途中から関係が難しくなりました。最終的にはエージェントにお伝えしなければならない時が来たのですが、お伝えした際は、まるで人が変わったかのように、入社を決めた会社のことをボロクソにいっていました。しょうがないことだとは思いますが、怖いですよね。

40手前コンサル未経験

私のキャリアはコンサルでは予想通り相当珍しいらしく、入社後から「あなたが噂の吉原さんですね!」って言われることが多いです。コンサルといっても私のロールはデータサイエンティストなので、コンサル業務とプログラミング業務の両方に携わっています。2023年は生成AI元年でした。そしてこのタイミングで生成AIを仕事にできたことはこの上ない経験となりました。

データサイエンティストとしての仕事の話は次の記事で書きたいと思います。そして、何を隠そう、すでに4月より再度転職が決まっています!これについてはさらに次の記事で紹介したいと思います。

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