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はっぴーな暮らしを問い続ける

こんにちは。音楽の世界から、高齢者介護に挑戦中の静間です。

今、僕が経験を積ませていただいているサービス付き高齢者住宅、はっぴーの家に掲げられている一つのテーマが、「はっぴーな暮らしを問い続ける」ということなのですが、これは、そのまま僕自身の人生の大きなテーマでもあります。

頭で先に考えてしまう癖のある僕にとって、はっぴーであると感じる自分自身の感情にはなかなか気づきにくかったり。

ハッピーである状態の定義って、人それぞれだったり、いやいや実は「こんなハッピーのあり方もあるんだ!」という知らないことが多すぎたりで、なかなか難しいところです。

昨日、9代の入居者さんであるT子さんが、なかなか核心に迫るようなお話を僕にしてくれました。

「その人の人間的な面白さや深さは、私には、少し見て少し話せば分かる。
その人自身が、面白い、とか、美しいとか、好きだ!と感じて、自分自身の興味から、自分をより高尚なところへ成長させようと行動してきているかどうか、そのために自分の時間やお金を使えているかどうか、それは、その人の見た目や雰囲気、会話の端々に表れる。

いくら、商売に成功してお金を持っていても、そういった趣味嗜好がなく、自分の心をより高尚にしていこうという発想のない人は、人として全然面白味がない。

それは、音楽でもスポーツでも他の芸術でも学問でも哲学でもなんでもいいけれど、何か自分を高めていったり、より面白いもの、より美しいものを求めたいという感受性を持っている人は、他人の"高尚な趣味"への想いを理解できるから、話も面白いんだよね。そういう人たちと一緒に時間を過ごしたいね。」

ビール片手に語ってくれた人生の大先輩のお話を聞きながら、これは僕にとってのはっぴーな暮らしの核心に迫る部分だなと思いました。

幸せというのは、「感受性」そのものや、感受性への「好奇心」が、「共感」できる時に感じるのだなと。

要するに、心が揺さぶられる瞬間があるかどうか。
感動って誰しも自分1人ではできないものですから。

逆にそんな時間がない生活って、いくら安心安全健康でも、僕にとっては死んでいるも同然。

はっぴーな人生を考える時、感動する瞬間を創る仕事がいかに大切か、改めて考えるきっかけになりました。

そんな話をしてくれた後に、

「なかなかそんな雰囲気のある人は最近少ないけど、あんたからはそういうことを大切にしている匂いがする。一見、目先の役には立たなそうな高尚な趣味を大切に思えるあんたの感性は、大事にした方がええで」と、言ってくれまして。

自分にそんな感性があるのかどうかは、分かりませんが、自分の感覚は、やっぱり大切にしたいなぁと思うことができました。

そんなありがたいお話を頂いた1日。
また、飲みながら話したいな。

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