アイドルに興味はないけどアイドル論の講義を受けた人間が手越祐也の人気を勝手に考察してみた

 アイドル...元々は「idol」という偶像や理想を表す単語から、ある共通のくくりを持つ特有の芸能人階層を指す言葉になった。

 この言葉は特に厄介だ。なぜなら人によって理想のカタチは違うのに、無理にそれらを集約したような欺瞞さが感じられる。例えば「アイドルは恋愛禁止」「アイドルに汚れ仕事をさせてはならない」などの規則が不文律として定着していている。勿論90年代以前に比べれば、その種類は減ったことは事実である。しかし嵐の二宮和也が結婚を発表し欠勤する者の存在や、引退までスキャンダルを起こさなかった白石麻衣や渡辺麻友が賞賛されるなど、現在においてもその不文律が存在することは否定できない。特にジャニーズ事務所の滝沢副社長がクリーンなイメージを持たせることを理由に、不祥事に容赦ない対応を行っているのが代表例である。むしろ、アイドルに対してこの不文律の存在が近年強化されつつあるようにも思ってしまう。

 そんな中、手越祐也は独立を発表した。元々独立が決まっていたのか、素行が原因でクビを言い渡されたのか定かではない。しかし現段階では、YouTubeの登録者数がすぐに100万人をこえるなど上手くいっている。その動画の内容も、初体験の話などアイドルの不文律も軽々と破っているかのように思える。今回、手越祐也が不文律を破っても支持される理由を独自に考察してみることにする。

 まず手越祐也の過去を軽く遡ってみよう。メディア向けの活動だと「NEWS」の一員から、イッテQのレギュラー出演、テゴマスの結成などにより国民的な知名度が非常に高く、今でも大衆的な人気がある。また、歌唱力やダンスの技術、顔の造形やスター性(オーラ)、頭の回転の速さやたまに見せる天然性...などアイドルの素質としては十分すぎるぐらい備わっている。

 しかし、その一方で数々のスキャンダルを起こしてきた。一番多いのが女性スキャンダルである。この中には芸能人も交じっており、彼の知名度を皮肉にも高める原因の一つにもなった。またコロナウイルスによる自粛ムードの中、大胆に会食をしたことも記憶に新しいだろう。

 ここで注目してほしい。この会食の中には安倍昭恵や経営者など、何かやりたいときに非常に手腕となりそうな人物が多い。また、上記のようなスキャンダルを起こしても彼なら「許される」環境になってしまっているのが事実である。

 アイドルとしてのポテンシャルを維持したまま、経営者や政界への人脈を持つ。それに加え多くの資産を持ちかつ不祥事を起こしても誰も何も言わない...実質、何でもできる状態にあるのではないのだろうか。

 金があり、アイドルポテンシャルがあり人脈、加えて爆モテ要素がある。これは所謂大衆の「理想」なのではないだろうか。大体の人間が欲しいものを持っているのではないだろうか。現在の日本は、かつてより貧富の格差が激しくなり、金を持っている者へのアタリもきつくなった。彼に至っては、そういうアタリもない。そんな中、彼は夢をそのまま体現しているように見える。勿論彼が「手越祐也」というブランドを勝ち取るまで死ぬほど努力してきたのだろうし、簡単なことではない。しかし今の日本では、努力しても何かを犠牲にしなければならないほど現実が厳しいのではないだろうか。金があっても容姿がアレだとか、人脈があっても活かす頭がない...といった具合である。

 手越祐也は、現代の日本人の理想像であると考えている。努力の末、欲しいものは何でも手に入る状態にある。この状態は大衆に夢を与え続けることになり、ジャニーズという大手事務所を退所しても結果的に絶大な人気を誇る。また他の所属アイドルの対処も相次ぐことを考慮すると、ジャニーズのブランド力の低下も否定できない。これは、従来のアイドル観にあった「理想になること」から「理想をやること」へのパラダイムシフトを感じるのは、果たして自分だけでしょうか。

 

【参考文献】

・井上俊・永井良和編『今どきコトバ事情―現代社会学単語帳—』ミネルヴァ書房

・南田勝也・辻泉編『文化社会学の視座—のめりこむメディア文化とそこにある日常の文化—』ミネルヴァ書房

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