認識の違いについて—「汗」の話—

 認識がおかしいということは言われ続けたし、何もやらかしてないのに(主に生き方の面で)説教されることが多かった。勿論回数としては多いがつまらないし、自分の周りに対して「つまらない」という感情を抱きたくないので、言う人とは距離を置いている。

 ただおかしいと言われる理由は何となく見えてきたし、「この人はおかしいんだ」と最初に思わせるエピソードが過去にあったから紹介しようと思う。結論から先に言うと、「事象の認識と言葉が繋がらない」ということである。

 3歳ぐらいの時だった。いや、珍しく記憶に残っているから5歳ぐらいだと思う。実家に帰省して、挨拶回りで親族の家に行った時だった。夏だったため、親族が汗だくだった。しかし自分は、その時汗の概念がわからなかった。 

 自分「おばさん!おばさんは何で泣いてるの?」
 おばさん「ううん、違うの。これは『汗』って言うんだよ。」

 自分も汗をかいているのに、恐らく汗を知らなかったと考えられる。事象と言葉の連結が遅いのか、それとも元々の頭が悪いのか、どちらにせよこういった事案が多かった。その分、他者とのトラブルに巻き込まれるようになったし、かなり屈辱的な扱い*も受けてきた。ただ認識が違うとなると、傍から見ると自分の所作はキチガイにあたる。仕方ない。あまりこういった認識の違いについて共感できる人も少ない。こういった認識の違いこそが自分の生きづらさの原因である。まともに話を聞いていても、この認識の影響で全く入ってこないことがある。そのため、小説がほとんど読めなかった(ただし学術書は"多少"読む)。通りで、集中して読んでる現代文で切った選択肢の中に答えが存在するのだ。逆に浪人とは言えども今の大学に通えることが奇跡だ。多分配点や科目に甘えた結果だが。

 こういったエピソードを書き残していくことで、自分の現状をより分析できるし、他者にこのエピソードを話したら自分の大体の人柄はわかってくれると思う。徐々に周囲を見た時、自分の持っている認識の違いが把握できるようなったのだ。なぜなら、こういったエピソードをあまり他者は経験しないからだ。自分は、おかしい。

 余談だけどこういった認識、というか頭脳を持った人でも、生きやすい手段を作っていきたいなと最近思った。また自分が逆に今まで積み重ねてきた認識を、何らかの形で世の中に残したいと思っている。自分はある意味独創的で、人によっては何らかの変化を生じさせるという期待がある。

* http://dangosakashita.hatenablog.com/entry/2021/02/02/153038 ブログ参照

 

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